2004年4月19日月曜日

裏技

カラコラムハイウェイは急な山の斜面に無理矢理道を切ってあるので雨が降ると土砂崩れを起こしやすいそうである。
しかしある時雨が降ったわけでもないのに上からバラバラ石が降ってくる。
見上げれば50mくらい上から子供たちが私めがけ楽しそうに石を投げてくるではないか!!
おそらく子供たちは、あの外国人を殺してやろう、と思っている訳ではなく、犬に石をぶつける感覚だと思うのだが、コブシ大の石がすごいスピードで降ってくるので直撃すれば即死ものである。
しかしその子供たちの純真無垢で無邪気な笑顔を見ていると思わず心和んでしまう、というような仏の心はあいにく持ち合わせていないので、とっつかまえて横っ面に2・3発ビンタを食らわせてやりたいところだったがそんなに上に居ては手も足も出ない。

ここは落ち着いて昔ファミコンで鍛えた腕を生かし、降り注ぐ隕石群を巧みにかわして進んでいく。
3回当たるとゲームオーバーだが、上上下下左右左右BAで最強装備に成れるので安心である。
ただしレーザーは自分でつけてね。

シュート!!


近いうちにこの日が来るとは思っていた。
撃ちました、鉄砲。
前に部族のおかしらの家で銃を見てビックリした話は書いたが、その後泊まる家泊まる家、そこそこお金がある家ならこの辺りでは銃や用心棒は常識なようだ。

ドギューン!!
AK47、1丁26000円なり。
かなり反動が強くて肩に痣が出来てしまった。

教訓
「ライフルは射撃の基本。脇を絞めえぐり込むように撃つべし撃つべし。」

2004年4月7日水曜日

敵情視察

日本で注目している人は3人もいないと思いますが、今イスラマバードでは南アジアスポーツ大会が行われています。

陸上競技を見てきました。
私は純粋に競技を見たくて行きましたが、これを見に来ているパキスタン人の9割9分9厘は女子選手の短パン姿が目的だと推測されます。(ちなみにパキスタンの女子選手だけはロングスパッツだった)

この調子で女子競泳も見に行きました。
なんてったってインド人やパキスタン人の水着姿が見れるなんて金輪際ない、あ、いやいや、純粋に競技が見たくて行ったのですが、何と男性の入場は禁止!!
プールは秘密の花園でした。

まあ、パキスタン男性にとってこれは国立ストリップ劇場(しかも無料)みたいなものだから、開放すれば全男性人口の9割9分9厘が押し寄せ、競技どころではなくなりそうなので賢明な措置かも。

先日はサッカーの決勝が行われました。
パキスタンの人気スポーツといえば、クリケットとタコ上げくらいで、サッカーの立場は日本のセパタクロー程度のものなのでそんなに期待していませんでした。
しかしそのカードは、開催国パキスタンvs宿敵インド。
これで盛り上がらないはずはありません。
5万人収容の大スタジアムに2万の観衆が集まり、そのうち9割9分9厘は男というムサイ空間で試合は行われました。

試合そのものよりパキスタン人の熱狂ぶりの方が遥かに面白く、結局1-0でパキスタンが勝ち大狂乱の事態になりました。
ゲームセットの瞬間、選手の半分くらいが西の方角に膝まづき額を地面に付け祈り始めたのが印象的。
神は偉大なり。

今度のワールドカップ1次予選で、日本はインドと戦いますよね。
5番のオーバーラップに気をつけろ、とジーコに伝えておいてください。

2004年4月5日月曜日

そこのけそこのけ自動小銃が通る(その3)


寝る前おかしらは言った。
「一人で寝るか?それともこの辺りは危険だから一緒に寝てやろうか?」
私のホモ感知センサーは瞬時にレッドゾーンを振り切った。
「一人で寝ます。」

30分後静かに部屋の扉が開いた。
おかしらだった。
おかしらは私の布団の横にドッカリと座る。
「自転車で疲れているだろう。マッサージしてやろう」

この手のシチュエーションには以前中東の旅でも何度か遭遇している。
もはや驚くことではなく、対処の仕方も熟知していた。
しかしそれらの時と今と決定的に違うのは、おかしらの腰元にはトカレフが巻かれているのである!
下手に怒らせたりするととんでもないことになりそうなので慎重に様子を伺うことにする。

おかしらはまず私の両足をマッサージし始めた。
そしてさりげなく私のMrニョロニョロに触ってくる。
それが意外にいい感じで、危うくMrスナフキンになってしまいそうになったので慌てて手で押しのけた。
するとその押しのけた手をとって今度は腕をマッサージし始める。
そしてその腕をおかしらの股間にグイグイ押し付けてくるのだ。
手の甲に当たる感触から、おかしらの自家製トカレフは既に対戦車用バズーカと化しているのがわかってしまう。
そしてついに私の掌でその砲身を握らせようとした。

「おー、ストップストップ!もう寝るよ!勘弁して!」
するとおかしらは意外にあっさりと諦めて、とても残念そうな顔をして部屋を出て行った。
しかしその後もまたいつ現れるかと気が気じゃなくて安眠どころではない。

翌朝・・・
おかしらは何事も無かったかのように元の紳士に戻っていた。
そして領内のドライブに連れて行ってくれた。
もちろんおかしらは自分で運転などせず、用心棒2人と自動小銃2丁を連れてのことである。

別れ際、「もしこの先困るようなことがあれば私の名前を出すがよい」といって見送ってくれた。
幸い困るようなことは起こらず、会う人会う人、皆暖かく親切でそして誇り高き部族達であった。

(写真:翌朝のおかしらファミリー)

そこのけそこのけ自動小銃が通る(その2)


家(城)には数え切れないくらいの部屋があった。
「何人住んでいるのか?」と聞いても、人によって「50人以上」「たくさん」とはっきりせず、平均で80人くらいらしい。
鳥小屋があってそれは私の家より大きかった。
そして家にはモスクがあった。
部屋の一つがお祈りスペースになっているのではない。
庭にモスクそのものが建っているのだ。
プライベートモスク・・・。

しかしこのオッサンはただの金持ちではない。
日本の居間に今日の朝刊が置いてあるかのようにロシア製自動小銃やピストルがその辺に置いてあるのだ。
食後にはみんなでハシ○をプカプカ。
目つきのメチャメチャ鋭い用心棒風の男がハ○シを仕込んでいる姿は失禁ものである。

もちろん私は誘拐されたわけじゃなく、おかしらのゲストとして迎えられているのでこの家を訪れる人はおかしらの次に私に挨拶しに来る。
NO.2である。
この気持ちよさといったら戦車に乗ったどころの比ではない。

夜もふけてきた。
20畳くらいのゲストルームの床に布団を敷いて寝る部族式である。
このままならばいつもの地元民宅お泊りのちょっと変わったパターンで終わるところだった。
しかし話はまだまだ続くのだ・・・

(写真:くつろぐおかしら(左)。そしてその後…)

そこのけそこのけ自動小銃が通る(その1)

パキスタンの危険地帯といえば北部インド国境付近のカシミール地方が有名であるが、それ以外にアフガニスタン国境付近のトライバルエリア(部族エリア)がある。
ここはパターン人というこの地域最大の部族の土地。
パターン人というのは大小様々な部族の総称であり、この地域には国の法律が及ばず自治が任されている。
麻薬・武器・酒が公然と売買され、外国人が誘拐されたりするおっそろしい地域である。

もちろんこの情報は前もって知っていて、今回の中部パキスタンツーリングのルートはこのトライバルエリアを大きく外した道を行った。
しかし一般パキスタン人に言わせるとその道でも誘拐があるので危ない、という。
必ずメインの国道を行くように忠告され、それに従ってさらに大きく迂回するルートをとった。

その国道上のドライブインで夕飯を食っていた時のこと。
一人の身なりのしっかりした紳士がやって来て
「この辺りも危険地帯なので私の家に泊まりに来た方がいい」
という。
その人の元には辺りの人がわざわざ挨拶に来るような信用できそうな人だったのでついていくことにした。

車に乗って田舎道を行く。
「あれは私の家だ」
しかし車は通り過ぎてしまった。
「あれも私の家だ」
やっぱり車は止まらない。
そんなのが数回続いて
「あれが私のメインの家だ」
しかしそれはもはや「家」と呼べるような代物ではなかった。
砦、要塞、城・・・

もうここまで読まれた方はお気づきだろう。
そう、この男こそ、この地方最大の部族、6万人を率いる部族のおかしらなのであった。

これを日本に例えるなら、
神戸辺りのコンビニで肉マンをかじっていたら、通りがかったオッサンに「この辺りはヤクザの抗争があって危ないからうちに来なさい」と言われ、行ってみたらその人は山口組の組長だった、
といったところである。

パキスタニーレディース

パキスタンの女性は皆気絶しそうなほど美人である。
しかし都会を除けばその顔を見ることができるのはまれだ。
黒いブルカ(顔を隠す布)をかぶっていて目しか見えない。
しかし更に田舎に行くとその目すらも見えなくなる。
顔全体をスッポリ覆ってしまうのだ。
パキスタンではイランなどでも見られるこの黒いブルカの他に白いタイプのものもある。
それは頭から足までスッポリかぶるポンチョのようで、顔の前は格子状の網になっていて中身を想像することは全く不可能。
頭の先っぽがピョッコリ出ていて、まるで歩く哺乳瓶(コンドーム?)
「そんな人が5人も集まっていたら、子供はどれが自分のお母さんかわからなくなるのでは?」と聞いたら、やっぱりわからないらしい。

写真でお見せできれば皆さんにもよく理解してもらえるだろうけど勝手に写真を撮るなど言語道断。
「写真を撮っていいですか?」と聞くのも、日本人に「風呂に入っているとこを覗いていいですか?」と聞くくらい勇気が要る。
どうせ答えは「NO」に決まっているし。

誰かさんちにお世話になっても姿を見せるのは男ばかりで奥さんや娘が出てきたことは一度もない。
扉の向こうで料理しているのに。
初めの家が特別なのかと思ったらその後どの家でも同じであった。

だからパキスタンにいる今まで1ヶ月の間に女性と話したのは7歳ぐらいのチビッコに「ハロー」といわれた1回コッキリ。
この子は将来大物になろう。

こんな厳しい男女関係の国なので、結婚前に付き合うなんてありえない。
「パキスタンにはホモが多い」とよく言われるが半分は正しいが半分は間違っている。
「メチャメチャ女好きだがその環境がないので男同士で我慢している」というのが正しい。

だからいざ結婚するとマシンと化してしまい、速攻で10人のパパである。
もはや「子供は10人」と聞いても驚かなくなってしまった。
逆に「2人」とか言われると「どこかお体の調子でも悪いんですか?」と心配になってしまう。

最高24人の子持ちの人がいて(妻は3人)、「子供の名前をちゃんと覚えられるのか?」と聞くと、やっぱり覚えられないらしい。

パキスタンに「スエ男」や「トメ子」は存在しないとみた!

バングラデシュ・パキスタン比較概論第一

1971年の独立以前バングラデシュはパキスタンであった。
元々は一つであったこの両国を比較する。

まずバングラデシュにおいて(以下は大いにインドも同様)、役所・銀行・郵便局などに勤めるものは、無能・有象無象・人の形をした虫ケラの集団である。
彼らの主な業務は、いばること、ワイロを請求すること、できるだけゆっくり仕事をすること、である。
彼らに関わらねばならなかった後は火炎放射器で全員を焼き殺したい衝動にかられる。

特に警察はひどいようで、まず警察になるためにはコネと多額のワイロが要求される。
いざ警官になるとその金を回収するために、適当に因縁をつけ罪のない市民を逮捕しワイロを請求し私腹を肥やす。
以前警察署内で外人女性がレイプされる事件もあったらしい。
メチャクチャである。
「バングラで一番の悪党は警察だ」と警官の息子が言っていたので間違いなかろう。

してパキスタン。
どうせ似たようなものだと思っていた。
しかし全然違った。
どの役人もやたら丁寧で親切でそれなりにテキパキ仕事をするのである(地元民には厳しいらしい)。

道を走っていると検問やパトカーにしょっちゅう止められる。
パキスタン国内を自転車で旅することは自由なので別に恐れる必要はないのだが、やっぱり嫌なものだ。
止まるとひと通り質問される(どこから来た、とか)。
しかしそれは尋問というよりは好奇心から出る普通のオッサンの質問と同じである。
そして質問の後には必ずチャイやジュースの接待付き。
別れ際には「腹減ったら食べなさい」とお菓子や果物を買って持たせてくれたり、「困ったら電話しなさい」と携帯番号をくれたり。
パキスタンでは警官にお世話になりっぱなしだった。

そしてこの両国を比較すると一番の特徴は一般市民は皆この上なく親切である、という点でまったく同じであるということだ。