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2008年7月14日月曜日

再び登場!!『50人のチベット』展 in 長野・善光寺







6月7・8日に東京狛江で好評をいただきました『50人のチベット』展、今度は長野・善光寺で開催されます!
この前は見逃してしまった方、今度は見逃しちゃダメですよ~。
前回「裏のメインイベント」と言われたチャリダー茶館ももちろん復活!
しかも今度は丸2日間だ!!

【日時】
7月25日(金) 6:00~15:30
7月26日(土) 6:00~15:30

【場所】
長野・善光寺 大本願寿光殿2F

【展示内容】
○写真・絵画展
  (両日とも終日 2F大広間にて)

○「いのちのうた川辺ゆかミニコンサート」
  (26日13:00~13:30 2F大広間にて)

○梅野泉 詩の朗読
  (26日13:30頃~ 2F大広間にて)

○チベット民話紙芝居「王様になった雨乞い師」 松田みちえ
○お話会「遊牧民と暮らして」 松田みちえ
○「チベット横断チャリダーと旅を語ろう茶館」 三輪一元
  (以上3点 両日とも終日 2F展覧会会場隣の部屋にて 2時間サイクルで順次 チベット図書館も併設)

【入場料】
全て無料

【主催者】
チベットの風  

【全面協力】
「チベット大好き」の会  
※『50人のチベット』展に関する連絡先
kazumotomiwa@hotmail.com

【イベント総合】
『Buddha Road PeaceWalk to ZENKOJI』 

「50人のチベット」展以外にも25日~27日は『Buddha Road PeaceWalk to ZENKOJI』として善光寺周辺でチベットイベント盛りだくさんですよ!!
詳しくは以下をご覧下さい。
↓ ↓
『50人のチベット』展 公式ホームページ

このページはリンク・コピー、フリーです。
どんどん宣伝してください~。
お願いします。

2008年4月3日木曜日

ネットにも載らない、本当にチベット・中国であった怖い話

去年北京で居候させてもらっていた中国の友人、張くん(仮名)からメールが届いた。しかしそれはいつもの彼のアドレスではなく、サブのアドレスから送信されていた。

当時彼の家には私の他にフランス人ピエール(仮名)も泊っていて、夜な夜な三人で語り明かしたものだ(三人とも世界を駆けるサイクリストだ)。しかしそのメールにはピエール(仮名)がチベットで逮捕され国外へ強制追放されたらしい、と書かれていた。彼は道なき道を行くのが好きな完全Mタイプの男なので、おそらく今回のチベット騒動を全く知らぬままどこかの町へたどり着いたところ拘束されてしまったのではないかと思われる。

その彼の荷物から大量のダライラマの写真が見つかってしまった。実はそれらは以前私が「チベットへ行くならラマの写真が何よりの贈り物になる」と助言したために、張くん(仮名)がこっそりプリントし彼に持たせた物だったのだ。コイツは怪しい、とにらんだ中国公安はピエール(仮名)の荷物を徹底的に検査したようで、手帳に書かれていた張くん(仮名)の連絡先を(無論私のも)チェックしたのだろう、張くん(仮名)のメールアドレスは突然消滅、ホームページは封鎖、電話は盗聴が入っている模様。以前は問題なく開けた私のホームページは現在中国本土からでは見れなくなってしまったという。いよいよ対岸の火事ではなくなってきた気が・・・。

さすがはオリンピック開催国、フトコロの深さがうかがえる心温まるエピソードをお送りしました。

2008年2月12日火曜日

チベットの空

チベットで遊牧民のテントに泊まらせてもらったときのこと。
朝早く起きて乳絞りをしたあとは放牧に出る。
私もお手伝い(といってもただついていっただけ)。
草地に放ったあとは草原でゴロリお昼寝。
雨季の後の草原は青々とした草が芽吹き、空は抜けるような青空、ポカリと白い雲が浮かんでいる。
うーん、こんな所で横になって流れる雲を見るのが夢だったのだ!

で、ゴロリ。
・・・・ウ・・・・アレ・・・・ジリジリ・・・・暑い、いや、熱い!
日差しが強烈すぎてとても空など見ていられない!
昼寝するにも顔を服で覆わねば!
そして流れる雲が太陽にさしかかる。
・・・・ウ・・・・アレ・・・・寒い!
日が隠れたとたんモーレツに寒くなる。
とてもTシャツ短パンじゃいられないので着込む。
雲が取れる・・・・熱い!
なかなかじっとしていられないのだ。
その点遊牧民の民族服はやはり地元の気候に合った作りになっているようで、露出しているのは顔と手の先だけ。でもその部分だけは真っ黒に日焼けしてガサガサ。

やがて夕暮れ時。
しかしチベットに夕焼けはない。
空気が薄く大気中にチリ・水分が少ないから。
考えてみれば当たり前だけど日の沈む前は赤くなるのが普通と思っている我々にはちょっと不思議。
そしてこの日が沈む直前の東方の景色を見るとそれはそれは美しいのだ。
空・草・水、すべての色が映えて見える。
その日が山の向こうに沈むとやはり突然寒さがやってくる。
そして1時間も経たないうちに満天の星空。

これが日本には存在しない、4300mから見る空。

2008年2月9日土曜日

夢之丞七変化

●実験の目的
 チベットを安全かつ快適に不法旅行するためには中国人と思われる事が重要である。しかし同じ東洋人顔なのになぜか日本人とばれてしまうことが多い。その境界を探る。

●実験方法
 様々な格好で町を通り抜ける。「ハロー!」と英語で声かけられる割合を集計する。なお対象は登下校中の小学生である。

●結果
 1.Tシャツ短パン姿で荷物満載の自転車に乗る・・・100%
 2.赤レインウェア(上)、短パン姿で空荷の自転車に乗る・・・90%
 3.赤レインウェア(上)、短パン姿で歩く・・・80%
 4.Tシャツジーンズ姿で空荷の自転車に乗る・・・20%
 5.長袖ジーンズ姿で空荷の自転車に乗る・・・5%
 6.借りた中国製地味ジャケット、ズボン姿で歩く・・・0%

●結論
 以上の結果より決め手は派手な原色のウェアと季節はずれの短パンにあるといえる。自転車に関しては野良仕事に出かけるオッサンがマウンテンに乗っている(もち中国製ボロ)のを見るのも珍しくないので関係ないだろう。
 なお、実験を行ったのは成都方面からの不法入域外国人狩りのチェックポストのある町であった。試しに6.で公安の前を歩いてみたが(かなりドキドキした)声をかけられる事はなかった。

●今後の展開
 この結果を参考にし、以下のメーカーに以下の製品の開発を要望する。
 ・パタゴニア:人民服風フリース(上下)
 ・モンベル:ズダ袋風バックパック
 ・オストリッチ:竹編みかご風サイドバッグ
 ・資生堂:日光にあたると真っ黒に皮膚はガサガサにひび割れるサンオイル
 ・アデランス:中国人風角刈りカツラ
 ・セイコー:決して動かない腕時計
あと白人向けとして
 ・背の低く見える逆シークレットブーツ
 ・毛沢東のお面

以上のアイテムをそろえる事で快適なチベット旅がおくれる事だろう。
チベットを毛沢東顔がぞろぞろ歩く日もそう遠くはない。

(実験者注:以上の試験は2002年に行ったもの。現在は派手なウェア着て自転車で旅する中国人がゴマンといるので日本人なら黙っていればまず外国人と思われない。)

2008年2月7日木曜日

垢太郎

チベット高原を横断しラサに到着して宿に入ってからまずした事は、40日ぶりに体を洗った事。
垢すりタオルに石鹸をつけてゴシゴシゴシ。黒い垢が止めども無く出てきて排水溝が詰まりそうになるくらい。
うーん、サッパリ!
その晩・・・。
寝る前に肌を見てビックリ!
今までしっとりツヤツヤしていた肌が、急にガサガサになり白い粉をふいてしまっている!

チベット人(特に田舎)は一生に3回しか体を洗わないとも言われる。
生まれたとき・結婚したとき・死んだとき。
徳を落とす、という理由でそれ以外にはまず体を洗わないが、これはやはり風土・気候に合った生活の知恵なのだろう。
強烈な紫外線と乾燥から肌を守るためには、バター茶をタップリ飲んで脂質を補充し、垢まみれになって皮膚の乾燥を防ぐ。乾燥してるからそんなに臭くならないし、周りがみんなそんなだから自分さえ気にしなければ他に気にする人もいない。
その垢は落としてはいけない大切な防護服だったのだ。

またバター茶をいっぱい飲んで垢をためる事にします。

2008年1月12日土曜日

魔女の宅急便

実は、今回のラサ滞在で取り返しのつかないポカをしてしまった。
私には6年前に初めてラサに来たときからお世話になっている一家がいる。
最近そこの娘さんが英語の先生になったというので、その学校へ行き授業の様子を写真に撮ったりした。
その写真をぜひほしいと言われたのだが、あいにくそれがラサ滞在の最終日だったため直接渡すことができず、北京に移動してからプリントし郵送することにした。
しかし過去数度その家宛に郵便物を送ったことがあるのだが、一度も届いたことがない。
今回は写真の量も多いし期待されていることもあって確実に届いてほしいという思いから、EMSを使って郵送することにした(中国では国内でも速達便としてEMSが使われる)。

それから10日くらい経って日本に帰り着き、さすがにもう届いているだろうとホームページで確認してみたところ、投函から3日後にはラサの中央郵便局に到着しているのだが、その後そこに留め置きになったままになっている。
EMSでもこれか!と腹立たしく思いながら手元にある自分用のアルバムをパラパラ見ていたところ、背筋の寒くなるようなとんでもないことを発見してしまった。
送った写真の中には授業風景の他にその家族の写真も混じっていたのだが、その中の一枚の背景に壁に貼られたダライ・ラマの写真が!!その気になって見れば充分判別できるくらいの鮮明さで写ってしまっている。
もしかして郵便局留め置きの理由は、公安の検閲によってそれが見つけられたためで、住所も書いてあることから家宅捜索され、家の中をしっちゃかめっちゃかにされ、誰か連行され・・・なんてことになってしまっているかも!?とめちゃめちゃ不安になり、なんとかそちらに連絡取りたいと思ったのだが、電話は通じず、メールも返事なく。
これはチベットの一つの平和な家庭を破滅に追い込んでしまうようなとんでもない大失態である。
恩を仇で返すとはまさにこのこと。
いてもたってもいられないが、この遠く離れた地では今更どうしようもない・・・
とあきらめかけたが、一つだけ希望の光があるのを思い出した。
チベットで知り合った日本人がまだラサにいるはず!
急遽その人に頼んで郵便局まで行ってもらい、更にその娘さんの家に行って事情を説明してもらう。
どうやら自宅強制捜査などは行われていない模様、との報告を受けホッと安堵の胸をなでおろした。
その後その家族が自ら郵便局を赴き無事それは受け取れたとのこと。
めでたしめでたし。

そもそもこういった事態を招いてしまった原因には中国の郵便システムの欠陥が挙げられよう。
局によっては一戸一戸配達せず全て局留めにし、住民が自ら取りに行く方式にしているところがある。
もし住民に定期的に確認する習慣がなければ、送り主からその家に連絡しない限り永久に郵便物は届かない。
それを避けるために用いたEMSですらこのざまだ。

あれ?
もしかしたら中国の「EMS」って「Express Mail Service」じゃなくて、
「Er Mei Song 而没送(しかも配達しない)」だったのかも??

2008年1月9日水曜日

ここ掘れワンワン!

帰国に向けて荷物のパッキングをしていた時同室の日本人に言われた。
「確か日本の税関って乳製品持ち込み禁止じゃなかったでしたっけ?」

ツァンパはバターとチーズを一緒に混ぜ込むことで少しはマシな味となる。
もし没収されちゃったらこの10数kgもの白い粉を一体どうしろというのだ?!
何とか守り抜きたいと思い、とりあえず粉袋の中奥深くに隠しこんではみたのだが・・・。

そして大阪港到着。
税関のテーブルに荷物を置くと麻薬犬が近寄ってくる。
鼻をクンクンさせている犬を横にして嫌な予感が頭をかすめる。
もし調教師が麻薬犬として育てる傍ら、個人的理由でバター犬としても調教されていたのなら・・・。
私には永遠にも感じられたその10数秒間、しかし全ては杞憂だったようだ。

結局日本では乳製品に関してはおとがめない模様。
おかげで日本にいながら充実のツァンパライフを満喫しています!

2008年1月6日日曜日

夜間演習

西チベットに阿里という大きな街がある。
巨大な軍の駐屯地があり、その存在のために拡大していったような人工的な街だ。
そこには異様に床屋が多い。
言うまでもなく夜にはピンク色の蛍光灯がともるような床屋である。
血気盛んな若き人民解放軍兵士が夜の射撃訓練場として使用していると思われる。

当時私は本当に髪が切りたくて普通の床屋を探し歩いたのだが、どこを覘いてみてもこの寒いのにえらく薄着な小姐がソファにだらりと座っているような所ばかりで、なかなか椅子と鏡があるような店が見つからない。
それでもやっと見つけた普通の床屋で散髪してもらったが、やっぱりそこでもアフターサービスの勧誘があった。

その街以外にも、チベットでは荒野のど真ん中にポツンと駐屯地があったりする。
ある基地の正門前には二軒の掘っ立て小屋があり、一軒は食堂兼雑貨屋。
そしてもう一軒は床屋だった。

ここら辺りじゃ床屋小姐は生活必需品なんだな~。

熱い吐息

チベット横断中のことだ。
その日私は道路工事に従事している農民工の小屋に泊めさせてもらっていた。
普通こういった小屋では同じ出身地・民族ごとに分かれて住んでいる。
数ヶ月の共同生活を行うにはその方が揉め事とか起こらず都合がいいのだろう。
当然ほとんど男だが、洗濯・料理係として女がいる場合もある。
私がいたのは漢族小屋で、隣にはチベット人小屋が並んで建っていた。

そして草木も眠る丑三つ時・・・。
尿意で目が覚めた。
しかしここは標高5000m近い地点で外は極寒。
暖かい寝袋からは出辛くこのまま朝まで我慢しようか迷っていた。
その時。
隣の小屋でなにやらごそごそ物音がする。
そしてその音の中になんとも悩ましい女の吐息が聞こえてくるではないか!
とても楽しいことをしているのは明らかで、声を立てないように必死に抑えているものの、あまりの良さにこらえ切れないで漏れ出てしまった声、といった感じ。
その音源は私の寝ているすぐ横のビニールシートの壁一枚隔てた向こう側、手を伸ばせば届くような所で起こっており、もっとタップリ聞きたいということもあり、あ、いやいや、お楽しみのところ邪魔しちゃ悪いと思い、小便は朝まで我慢することに決めた。

翌朝。
目を閉じればまだ耳に残るあの悩ましい声。
モーソーはどんどん膨らむ。
あの熱い吐息の持ち主は一体どんな顔しているのだろう??
どうしても一目拝んでみたくて、用もないのにチベタン小屋の前でウロウロしてたところ、中から一人の女が出てきた。
・・・・・・オカメヒョットコ、、、。

モーソーはモーソーのままで留めておくべきだった・・・。

2008年1月3日木曜日

直訴陳情

その農民御用達ズダ袋を持って北京駅に下り立った。
北京到着がビザ最終日だったためすぐ様公安へ延長申請に行かねばならない。
天安門方面行きのバス停で待っていると次々とウサン臭い奴が近寄ってきて「仕事探しか?」と聞いてくる。
地方から出稼ぎに来たと思われているようだ。
もしこれに付いていったら、おそらく不法営業の炭鉱で死ぬまで石炭掘らされること必至。

何とかそれを振り切り天安門に到着。
広場を横切ろうとしたら警備の公安に呼び止められる。
「オイ、そこの農民!そのデカイ荷物は何だ?全部中見せろ!」
かなり厳しい荷物検査が始まってしまった。
はじめは、勝手に見れば、とするにまかせていたのだが、フト財布の中にダライラマの写真を入れていたことを思い出した。
これ見つかるとマズイ!
先に身分を明かしてしまうことにし、パスポートを差し出すと・・・
「?!外人さんですか?!こりゃ失礼しました。よい旅を!」

今中国では開発により土地を強制的に奪われた農民らが北京へ直訴に押しかけ、それを排除しようとする政府との間でしばしば衝突が起こっている。
中国の農民は虐げられてるなー、と実感。

2007年12月29日土曜日

チベット鉄道


ラサから北京へは2006年に開通したあのチベット鉄道に乗っての移動。
超期待していたのだが結果は・・・、うーん、いまいち。
理由は明瞭。
暖かい車内にいて、その車窓から見る部分的に切り取られた風景というのは、まるで家でテレビでも見ているようなもので、既に幾度もあの大地を自転車で走り、フルパノラマの風景をこの目で見、寒さをこの肌で感じたことのある者にとってはすべてが物足らなく感じて当然なのだ。
未だチベットに行ったことの無い人が初めてラサに向かうときに乗ると本当に楽しめると思う。
実際他の乗客らも、もうこの風景には見飽きたか寝てる人ばかり。

この列車の売りの一つは、高地を走るため飛行機のように車内を与圧する装置がついていることだ。
密閉されているので全面禁煙のはずなのだが、なんと車掌が窓を開けてタバコを吸っていた・・・。
外の方が気圧が低いため煙は自動的に外へ流れていくので理にかなっているといえばかなっているのだが・・・。

お土産

今回でラサ訪問は4回目。
当然行けば行くほど知り合いは増えてくる。
毎回ラサを離れるときには各家庭を訪ねお別れの挨拶をするのだが、その際「餞別に」とツァンパをいただく事が多い。
私が自転車旅中にはツァンパを常食していることを知っているからだ。
でも今回はそうじゃないので断るのだが「またまたそんな遠慮して!」とどうしても押し付けられてしまうので仕方なくいただくこと約10回。
出発前夜いざパッキングしようとしたところで青くなった。
「お、重すぎる・・」
貰うにまかせたツァンパ袋はいつしか10数kgに。
45Lのバックパックが完全に白い粉で一杯になってしまった。
仕方ないので農民ご用達のズダ袋にその他生活用品を入れ持ち帰る羽目に。
今回往路は中国人チベット人へのお土産で一杯で、すべて渡し切った復路は軽々と帰って来られるはずだったのに。
うれしい誤算?!

チベットの恩返しその5『父と娘』のその後

今回のラサ訪問最大の目的は3月に訪れたインド・ダラムサラの学校で撮った娘の写真を父へ手渡すことにあった。(これについては9つ前のコラムをお読み下さい)

5:00PM
オヤジに電話。ラサに来たことを伝えると「すぐ宿まで迎えに行く!」
5:10PM
オヤジに再会。立ち話は何なので飲み屋へ行こうと言われる。
5:20PM
席について娘の写真を渡す。
ダラムサラで娘に会った時のことを話す。
両親を想い涙を流したこと、ラサへ戻って一目でもいいから会いたいと言ったこと、学校の様子、寮の様子、日々の生活、などなど私が見たこと聞いたことをそのまま伝えた。
オヤジの目から涙があふれた。
男泣きを見た。
5:40PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。
7:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
8:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
9:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
10:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
11:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれようとしたら店の女将から「アンタ達いい加減にしなさい。もう閉店よ」と追い出される。
11:10PM
他の店をいくらかあたるがどこも閉まっているので、ならばうちへ来いと言われお邪魔する。
11:20PM
部屋に飾ってある娘の写真を見ながら「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。
0:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
1:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
2:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれようとしたが、さすがに2人とも飲みすぎで眠くなりそのまま倒れこむように寝る。
・・・・・・
11:00AM
目が覚めてそのまま出かける。どこへいくかと思ったら飲み屋だった・・・。
そして「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれる。
12:00AM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
2:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれ続ける。
4:00PM
「ありがとう、ありがとう」とビールやチャンをつがれそうになったが、これ以上感謝されたら死ぬと思い、おいとまする。

以上計約13時間口に入れたのはビールとチャンのみ。
感謝してくれるのは全くもって嬉しいことなのだが、はじめの2時間以降は苦痛でしかなかった・・・。

ちなみに今回も娘に送るためにオヤジの写真を撮ったのだが、写っているのは酔っ払ってる姿ばかり・・・。

(写真:オヤジ。飲みすぎるなよー)

トラップ

今回のラサ入りは雲南省から2泊3日の直行寝台バスにて。
このバスのフシギなところは、雲南のバス停では外国人だろうが何人だろうが誰でもチケットが買える(窓口の係が英語で対応してくれる)のに、「やったー!これで安くラサへ行ける!」と喜んだのもつかの間、途中に外国人狩りの検問があること。
見つかると5000円程度の罰金を払わされることもある。
窓口と公安の連係プレーとしか思えないのだが…。

私が乗車した時は、40人乗りの車内に外国人は私一人だけ。他に中国人旅行者が2人で、あとは全員チベット人だった。
しかしそのチベット人のうち10人くらいはこれからインドへ亡命するつもりという人で、更にそのうち4人はインド帰りで身分証無し、というかなり見つかるとヤバイ人々。
運ちゃんもチベタンで、そういう人らの対処は慣れているのか、早朝に検問所に着いた時にその訳アリな人々(もちろん私もその一人)を起こして「1kmくらい向こうまで歩け」と指示し車から追い出し、その後公安を起こしに行って乗客全員の身分証チェックを済ませたあと再び我々を拾ってくれた。

鉄道によるラサ入りも、パーミット代払った人払ってない人まちまちで未だ統一されていない。いかにも中国的。

2007年4月3日火曜日

チベットの恩返し その5『父と娘』


それはラサでの馴染みのチベタン飲み屋から帰ろうとした時だ。帰り道一緒になった客のオヤジがこっそりオレに告げてきた。
「実は私の娘が今インド・ダラムサラの学校で勉強している。6年前に亡命させたのだが、それ以来娘の姿を見ていない。お前はこの後ダラムサラへ行くのだろう?娘の学校を訪ね、成長した姿を写真に撮ってラサへ送ってくれ。」
この手の頼まれ事はもうお手の物だ。二つ返事で承諾し、オヤジの写真もそこで撮っておき、オレはダラムサラへ向かった。

そしてその亡命チベット人の子どもが多く寄宿している学校へやって来た(実はその学校はダラムサラにはなく、100kmくらい離れた所にあって探し出すのに随分苦労したのだが・・・)。そこの先生に事情を話し、その娘の名を告げるとすぐさま連れて来てくれた。15歳の小柄な女の子だった。
ラサであなたのお父さんに会いましたよ、と写真を渡すとそれだけで止め処もなく涙が彼女の頬を伝った。思わずこちらももらい泣きしてしまいそうになるのを堪え、彼女の話を聞く。
「少しの間だけでもいいからラサに帰ってお父さんお母さんに会いたい」
パスポート無しの亡命の身分ではそれはちと難しいかも・・・とはとても言えず、ご両親はあなたがここで頑張って勉強し続けることを望んでいるはずだよ、と言うと、
「じゃあ頑張って勉強して大学卒業してからラサへ帰る!」
と力強く答えてくれた。

彼女が立派に学を修め、堂々と祖国へ凱旋できることを強く願いつつ、オレは帰路についた。獅子の描かれたチベットの国旗がポタラ宮の上にはためくことを夢見ながら・・・。

(写真:中央が娘。両脇も亡命してきた子供たち)

2007年3月20日火曜日

真説・法王に謁見


それは乾季にもかかわらず冷たい雨の降り続く日だった。
私を含めた日本人30人、他に韓国・台湾・ベトナムなどのアジア仏教国の人々のための特別謁見が王宮で行われた。普段は固く閉ざされた門の奥深くにある謁見の間に通された我々は、法王の到着するのを祝福のカター(白い布)を手にじっと待つ。やがて侍従に付き添われ法王が現れた。優しい笑顔で有り難いお言葉を頂く。
「皆さんの国の仏教の歴史に比べ我々チベットの仏教の歴史は短い(チベットに仏教伝来したのは7世紀)ので皆さんの方が先輩です」と言って深く頭を下げられた。その姿に自称仏教徒の私をはじめ一同驚いてしまい慌てて頭を垂れるが、顔を上げてみるとまだラマは深々と頭を下げており、更に驚いて頭を下げた。

して国ごとに一緒に記念撮影。撮影が終わるとみなラマに群がってその手を握る。ラマの手は73歳とは思えぬくらい柔らかく福よかで、そして温かかった。
その手を握った時、私の5年弱の旅もこれで本当に気持ち良く終わることが出来るな、と思った。

2007年3月18日日曜日

チベットの恩返し その4 『幸せ配達人』

私がダラムサラに来た目的の一つが小包配達であった。
その荷物は、ラサのお寺にいる尼さんに私がこれからダラムサラへ行くということを話した際、「それなら私の兄(僧侶)が亡命してそこの寺にいるので荷物を届けてほしい」と託された物だった。

チベット(中国領)⇔ダラムサラ(インド領)でも電話で話すことはでき(もちろん中国当局により盗聴されている)、手紙も送れるし(もちろん検閲される、そしてたまに消える。私が以前インド→ラサで出した手紙は届いていなかった)、荷物も送れる(がやっぱり開封される)。
しかし何といっても確実なのは郵便局を通さず人の手を通しての配達だろう、ということで私に白羽の矢が立ったわけだ。

果たしてどんな大切な物を託されるのだろう?とドキドキしながら取りに行ってみると、渡されたものは何と「豆」。
しかも小型枕くらいの大きさでかなり重い。
これからヒマラヤ越えねばならぬのに…と少々たじろいでしまったが「この豆はロサール(チベット正月)のお供え物として欠かせないのですが、インドでは採れないものなのです」と説明され俄然やる気が起きた。絶対届けます!!

という訳でその豆担いでヒマラヤ越えてタライ平原を西に突っ切って標高1800mのダラムサラへ到着した。
あとはその人のいる寺へ行って渡すだけなのだが、数千人規模の亡命僧のいる寺もいくつかあるくらいなので探すのに四苦八苦するかも、と心配していたが、その寺内でブラブラしていた坊さんに名を告げるとアッサリ見つけ出してくれ、アッサリ手渡すことに成功した。
通じる言葉がチベット語しかなかったので説明するのが大変かと思われたが、その妹(ラサの尼)の写真と共に渡すとすぐ理解してくれた。
どうもありがとう、と出してくれたコーヒーはインド風のとても甘い味だった。

9年振りに添えられた豆と共に2月18日、チベットの新年は明けた。

(写真:ラサに住む妹(左)とダラムサラに住む兄(右))

法王に謁見

重厚な扉には50数年前この地球上から公式的に姿を消してしまった国の国旗がモールドされていた。私は緊張に手を震わせながらその扉をノックした。中から低い声で「どうぞ」と聞こえ、私はその重い扉を開いた。

彼はゆったりとした椅子に深く腰掛けたまま静かな笑みをたたえていた。私達はしばらく近況を報告しあった。話題が途切れたのを見計らって、私は以前からあたためていた事を意を決して切り出した。

「法王!2008年の北京オリンピックの開会式にはぜひインド選手団の旗手となってチベット国旗を掲げ堂々入場してください!忌まわしき中国共産党の度肝を抜き、チベット独立を世界にアピールする最大のチャンスです!」

あまりの唐突な申し出にさすがの彼も驚きの表情を隠せず、沈黙のまま遠く東の方を見つめた。それは、そう、本来彼の住むべき天空の城のある方角だった。

どれくらいの沈黙が続いたろう。私はまんじりともせず彼の返事を待っていた。やがて彼はその遠くを見つめたまま、あの静かな菩薩の笑みを取り戻し、ゆっくりと、そして深くうなずいた。

(了)

非行よ非行よ

ついに最終目的地ダラムサラに着いた。
その足で私は郵便局に向かい局員に告げた。
「電報を打ちたいんですけど…用紙はどこにあるんですか?」
しかしカウンターのヒゲ面の太った典型的インド人のその男は、まるで私の声がまったく聞こえないかのように新聞に目を落とし続けている。私は台をバンバン叩き、足でボコボコ蹴って注意を引こうとした。さすがにうるさく思ったか、男はモッソリ顔を上げ面倒臭そうに言った。
「君はここから電報は打てない」
私は、どうしてなのか、と少し強い調子で訊ねた。
「ここは電話局じゃない」
「えっ?」
私には彼の言っている意味がわからなかった。
「電報は電話局から打つんだよ」
「あっ!」
ようやく私は自分の誤りに気がついた。電報は郵便局からではなく、電話局から打つのだという。言われてみれば当然のことだった。私は恥ずかしくなり小さな声で訊ねた。
「電話局はどこにあるんでしょう」
すると相手は本物の笑い顔になって言った。
「どこでもいいんだよ」
「どういうことでしょうか…」
「電報は電話から打てるんだよ」
「!」

歩きながら次第に私はおかしくなってきた。電報は電話のあるところならどこからでも打てるらしい。ということはダラムサラのどこからでも可能ということになる。いやもうそこがダラムサラである必要はないのかもしれない。
クックックッと笑いが洩れそうになる。私はそれを抑えるのに苦労した。これからまだ旅を続けたって構わないのだ。旅を終えようと思ったところ、そこが私の中央郵便局なのだ。

私は近くの電話屋のボックスに入った。そして受話器を取り上げると1ルピーも入れずにダイヤルを廻した。
<725872-7258>
それはダイヤル盤についているアルファベットではこうなるはずだった。
SAKURA-SAKU
<サクラ咲ク>と。

2006年12月3日日曜日

ラサ観光都市化計画


今年のラサは鉄道開通、内外の観光客ワンサカいらっしゃいませ、に向けて都市改造したところが随所に見られる。

特にポタラ宮周辺は激変。まず正面の広場に「平和的開放記念塔」なる巨大な塔が建てられた。
チベットが『平和』的開放なら、南京にも虐殺博物館なんかじゃなくて「日本軍入城熱烈歓迎記念塔」でも建ててもらいたいものである。

その広場は夜になるとライトアップされるのだが、池や橋につけられた紫やピンクのライトがチカチカ(ゲスに)輝いてまあきれい!
極めつけは池の周りにグルリと「卍」のマークのライト。
「中国では信仰の自由が守られています」アピールのつもり??
ちなみに五体投地していい場所というのが決まっていて、それ以外の場所ですると逮捕されてしまうとかしないとか。(未確認情報)

ポタラ宮の周りにも巡礼路があって、以前は一休みのためのチベタン茶舘や露店がズラリと並んで賑やかだったのだが、今は全て撤去されてしまって植木遊歩道になっていた。
してそこかしこにスピーカーがあってチベット語で歌われている中国の流行歌が(ゲスに)ガーガーピーピー流されていてまあいい雰囲気!
「中国では言語の自由が守られています」アピールのつもり??

もしダライラマ法王が50数年ぶりにラサ帰還!成ったとしても、この変貌振りを見たら「インドの方がマシじゃ」と帰っちゃうかもしれない。