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2006年6月2日金曜日

ビザ延長

今中国ビザ再延長のために香港にいます。
普通ビザ取得のためには専用の紙にいろいろ記入して写真張って…と面倒なことこの上ないものですが、なぜか香港だとお金と写真一枚とパスポートをエージェントに渡すだけで翌日にはアッサリ長期ビザがとれてしまうのです。
なんだ、つまりは金がほしいだけのことかって気もしますがね。

ちなみに過去、ビザ・入国書類で「えっ?そんなこと書かせるの?!」って思わせたベスト(ワースト?)3は…

第3位:宗教を書け(1996年シリア 入国カード)
無難に「仏教」と書いておいたが、もし「ユダヤ教」と書いたら入国拒否か?!

第2位:瞳と肌の色を書け(2003年ビルマ ビザ申請)
「肌色」じゃ答えになってないし、さりとて「黄色」と書くのもなんか嫌だったので「茶色」と書いておいた。実際日焼けしていて真っ黒だったからね。

第1位:ここ3年納税している現地人2名の名前を記入し納税レシートを添付せよ(2004年バングラデシュ ビザ延長)
「ツーリストなのにそんな都合のいい知り合いがいるわけないでしょう!」と係官に文句を言うと「なら諦めな。それとも…」とワイロの請求。なんだ?ユスリのネタか?!無論拒否。クサレバングラ役人。

2005年5月18日水曜日

今日の外電

5月15日午後3時ごろ、バングラデシュ中部の込み合う渡河フェリー内で日本人旅行者Mさん(32)がスリの被害に遭った。
被害総額は、現金約1000円。
現地では約5日分の滞在費に相当する巨額なダメージだけに当人はかなりのショックを受けている模様。
コメントからもその深刻さが窺える。
Mさん談「後々考えてみれば10人がかりで仕組まれた巧妙な罠に見事にハマった感じですね。それにしてもあまりに鮮やかな手口で、全く気が付きませんでした。」
(ロイター発共同)

ケケケの毛太郎

その大学でのこと。
バングラデシュの男たちは普段家の中ではルンギ(巻きスカート)一丁で上半身は裸、というラフなスタイル。
学生寮内でもそれは同じ。
だから私もルンギ一丁でいた。
するとある学生が
「オー!ワキゲモジャモジャ、ソレヨクナイ!」と叫ぶ。
聞けばバングラ男は腋毛は剃るのがマナーらしい。

後日、ある床屋でウダウダしていたらヒゲを剃りに来た男が
「おう、ついでに腋もあたってくれるかい?」
って感じで、おもむろに上半身裸になり腕を上げてジョリジョリ剃ってもらうのを目撃してしまった。
床屋も冥利に尽きるだろう。

ずっと以前、トルコのハマム(蒸し風呂)に行った時、垢すりを頼んだら三助が同様に
「オーワキゲモジャモジャ!ドウスル?」
と叫んだので、丁重に断った。
トルコでは剃るのではなく、トリモチみたいなのをベタッと貼り付けて引っぺがす、冷酷無比な強制脱毛法を使うのを知っていたからだ。

ちなみにバングラデシュもトルコも腋毛は剃るが、胸毛・ヘソ毛・スネ毛・耳毛・鼻毛・ホクロ毛はボーボーのまま、眉毛が繋がっていようがお構いなしである。

2005年5月17日火曜日

嗚呼、日本人

バングラデシュのとある地方農工大に去年に続き再訪した時のこと。
(このコラムにも書いた、エロビデオを学生100人くらいで集まって一緒に見る大学です)

数人の学生が「日本の文部省へ外国人向け奨学金の申請をしたらこんな返事が来たのだが見てくれないか?」と言う。
そこには「この奨学金は日本への留学が決まった者に与えられるもので、個人の申請は受け付けられません。うんぬん…」
と丁寧な『日本語』で書かれてあった。

一体全体この手紙を寄越した者は何を考えているのであろうか?
おそらく担当者は毎日のように送られてくる、主に貧しい国々からのこの種の手紙に手を焼いて形式的に作った文章をコピーし送ったのだろうが、その貧しい国の学生がこの難解な『日本語』をスラスラ読めるとでも思っているのだろうか?

まあ返事を出すだけでもマシ、と言えないこともないが、その裏には「ちゃんと返答はし、責任は果たしたのだからこれ以上何を言われても聞く耳持ちません。」という役人的思慮がうかがえる。

よい返事を期待している学生たちにどんな顔して訳してやるべきか困り果ててしまった。

2005年1月2日日曜日

火事・オヤジ

インドネシア地震で発生した津波はインド東海岸に甚大な被害を及ぼし、多数の死者・行方不明者を出した。
バラナシは内陸なのでもちろん何の影響もなかったが、テレビでは連日このニュースばかり。

で、ここで私はふと思うのだが、このような深刻な災害を、政府やその関係者はむしろ歓迎しているのではないだろうか?
というのは、こういう時に真っ先に亡くなるのは税金も納められない最下層の人たちであって、国にとっては存在価値はなく、逆に人口が減って食糧問題解決になる、と喜んでいるのでは?
更に嬉しいのは海外から大量に送られてくる援助物資を横流ししてガッポリ儲けられる絶好のチャンスであること。
事実、しょっちゅう洪水に遭うお隣の「被」援助大国バングラデシュには横流しマーケットなるものが公然と存在する。
そこに集まる古着の中にはビンテージジーンズのような掘り出し物が時々見つかるとかでマニアが買い付けに来るらしい。
と言うわけで今頃インドの高官たちは笑いが止まらぬのではないかと思うのだ。

余談であるが、「津波」のことを英語で「Tsunami」と言うことを今回初めて知った。

2004年11月29日月曜日

白人旅行者のフシギ(1)

多くの白人さん達も世界各地を旅しています。
現地人の生活風習を見るのも面白いですが、彼ら白人ツーリストの行動も私にとっては興味深い異文化の一つ。
そんな中で「??」と思ってしまう彼らの行動パターンをいくつか。

<その1.外で食うのが好き>
ここで言う「外」とはキャンプとか屋台の話ではありません。
れっきとしたレストランで「外」で食う話です。
たいてい白人が好む場所は、屋上レストランのある宿とか道に面したオープンテラスのあるレストランとか。
日光を浴びながらの食事は気持ちがいい、という気持ちは分からないでもないのでそこは百歩譲るとして、問題は本当にこの環境が気持ちいいのか?!と疑うような場所でも悠然と食っていること。
道路脇は埃っぽいし、車の排ガスモクモクだし、乞食が次々現れるし、牛はそこらじゅうにウンコしていくし。
屋上ならばどうかというと、日差しサンサンといってもチベットなんかでは日差しはジリジリと肌を焦がすようでとても快適とは言い難い。
もちろん賢明な地元民は屋内で食います。

ある時北パキスタンでフランス人グループと一緒に夕食を摂ることになりました。室内で食うとばかり思っていたら、彼らは従業員にテーブル・椅子をベランダにセットするよう指示し食事もそこに運ばせました。
季節は春でしたが標高3000m位の所なので夜はかなり冷えます。
「そこまでして外で食いたいかー!」とブルブル震えながら食べました。
(オゴってもらったので文句は言えない)

余談ですが、この時のフランス人がすごい訛りの強い英語を話す人らで「バッチパッチ」がどーのこーの、と初めは何のことかよく分からなかったのですが、どうやらこれは「Back Pack」のことを言っているらしい、と推測できるようになりました。
「ck」=「チ」というんだな、と分かると他の意味不明だった単語も理解できるようになります。
インド人も訛りの強い英語を話し、「R」を全部読んでしまうので「Brother」=「ブラザル」、「Four」=「フォル」になります。
バングラでは「Lunch」=「ランス」、「Visa」=「ビシャ」。

余談の余談ですが「ザジズゼゾ」の発音を上手にできない国は結構多いようで「ジャジジュジェジョ」になってしまいます。
だから私の名前の「カズ」も「カジュ」に。
南アジア一帯では「カジュ」は「ナツメヤシ」を意味するようで覚えてもらいやすい。
で、ところ変わってアラビア語圏に入り自己紹介すると私の名前を聞いてクスクス笑う人がいるのです。
人の名を聞いておきながら笑うとは無礼千万な輩かな!と思ったのですが、どうやらアラビア語で「カジュ」は「ウンコ」のこと。
まあ確かにアメリカ人が
「ワタシノナマエハ『ウンコ・マクドナルド』デス」
などといったら笑えるわな。
名前がこうなんだから、私のコラムにウンコネタが多いのもこれで納得していただけたことでしょう。

2004年10月19日火曜日

海外危険情報

9月初め、イラクでネパール人が誘拐・殺害されたことに対し、怒ったネパール国内のヒンズー教徒がイスラム教との店を襲撃。
大規模な暴動へと発展し、軍が出動。
1週間外出禁止令がしかれ、店はすべてシャッターを下ろし町はゴーストタウンに。
勝手にうろうろすると撃たれる、というおっそろしい事態にみまわれました。

危険情報として真っ先に思い浮かぶのは外務省の発表するものですが、彼らも神サマではないのでこのような偶発的な事態には対応できないのが痛いところ。
しかもそれがあんまり頼りにできないのは、何か起こった後に危険度があがるのですが、その時点ではすでに治安が強化され、逆に一番安全な状態だったり、とっくに沈静化しているのにいつまでも「危険」なままだったりすること。(以前のイスタンブールがそうだった)

外務省よりは期待できるのは、旅行者同士の情報交換ですが、これは思いっきり個人の主観が入ってしまうので本当は危ない所なのに運良く何もなく行けてしまった人は「全然大丈夫だよ」と言うでしょうし、平和な国のはずなのにスリに遭ったりすれば「泥棒だらけのヒドイ国だ!」と言うでしょう。
更に困るのは人ずての噂に尾ヒレどころか、胸ビレ腹ビレ背ビレフカヒレエイヒレとヒレが付きまくってたいしたことない話がとんでもない話になって聞こえてきたりすること。

やっぱり一番信用できるのは地元民のくれる情報ですね。
バラナシのホーリー(祭)は出歩くな!(殺される)
バングラの夜行バスには乗るな!(バス強盗に遭う)
などなど。
でもこれにも落とし穴があって、たいてい他民族同士は「あいつらは泥棒だ、ウソツキだ、誘拐犯だ」といがみあっているのに、第三者の立場ではどっちも正直でやさしい良い人達だったりするのです。

こうなると一体誰の話を信じてよいやら。
結局頼りになるのは、取捨選択できる自分自信の「勘」ということになるのでしょうか・・・

2004年4月5日月曜日

バングラデシュ・パキスタン比較概論第一

1971年の独立以前バングラデシュはパキスタンであった。
元々は一つであったこの両国を比較する。

まずバングラデシュにおいて(以下は大いにインドも同様)、役所・銀行・郵便局などに勤めるものは、無能・有象無象・人の形をした虫ケラの集団である。
彼らの主な業務は、いばること、ワイロを請求すること、できるだけゆっくり仕事をすること、である。
彼らに関わらねばならなかった後は火炎放射器で全員を焼き殺したい衝動にかられる。

特に警察はひどいようで、まず警察になるためにはコネと多額のワイロが要求される。
いざ警官になるとその金を回収するために、適当に因縁をつけ罪のない市民を逮捕しワイロを請求し私腹を肥やす。
以前警察署内で外人女性がレイプされる事件もあったらしい。
メチャクチャである。
「バングラで一番の悪党は警察だ」と警官の息子が言っていたので間違いなかろう。

してパキスタン。
どうせ似たようなものだと思っていた。
しかし全然違った。
どの役人もやたら丁寧で親切でそれなりにテキパキ仕事をするのである(地元民には厳しいらしい)。

道を走っていると検問やパトカーにしょっちゅう止められる。
パキスタン国内を自転車で旅することは自由なので別に恐れる必要はないのだが、やっぱり嫌なものだ。
止まるとひと通り質問される(どこから来た、とか)。
しかしそれは尋問というよりは好奇心から出る普通のオッサンの質問と同じである。
そして質問の後には必ずチャイやジュースの接待付き。
別れ際には「腹減ったら食べなさい」とお菓子や果物を買って持たせてくれたり、「困ったら電話しなさい」と携帯番号をくれたり。
パキスタンでは警官にお世話になりっぱなしだった。

そしてこの両国を比較すると一番の特徴は一般市民は皆この上なく親切である、という点でまったく同じであるということだ。

2004年3月3日水曜日

文化の壁

私の旅では、ある国に行ったらその国の文化風習に従うのが大原則である。
しかしたまに例外もあって、紙拭き文化の中国で水で洗っていたら変な目で見られた、というのは以前書いた。

そしてもう一つあった。
それはインド・バングラデシュにおける座りション文化である。
一度試しにやってみたのだが、長年の癖でしゃがんでしまうとウンコをしてしまいそうになるのだ。
これはアセった。

しかしこの座りションもこの国の文化に合っているのだ。
男でも足首まである長い巻きスカート(ルンギ)をはくので、立ちションしようとすると、ガバッとたくし上げなければならず、座ってチョロチョロやった方が都合がいいようだ。

ちなみにズボンの人も座りションする。
ズボンを脱いじゃうわけではなくてチャックだけ開けてする。

また便所には座りション用便器まである。
便器といってもただ足置き用のブロックが2個あるだけで穴はない。
前方に溝がある。

お隣ビルマでは男女共にルンギ着ていて、男は同じように座りションだが、何と女性は立ちションである。
道端で難しい顔してジッと立っている人は、もよおし中か考え中である。
もちろん足元やすそはビショビショになるが一日に何度もルンギつけたまま水浴びしているので問題無いらしい。

いやはや、所変われば、ですね。

2004年2月26日木曜日

バングラデシュサイクリング事情

今回初めてバングラデシュを自転車で移動してみて驚いた。
この国はとてもサイクリングに適した国である。
特に海外サイクリング未経験者の入門用にはもってこいの国なのだ。
理由を挙げてみよう。

・行けども行けども見渡す限りの平地である。今回800kmの走行中上ったのは2回渡った橋だけ。川はたくさん越えたがほとんど橋はかかってなくて渡し舟を使う。

・道幅は十分広く、舗装状態は驚くほど良い。

・車の運転は荒っぽいが圧倒的に数が少ないのでヒヤリとする場面はごく稀。

・幹線は車が多いがちょっと外れればそれはそれはのんびりとした静かな田園風景の中の道を行ける。

・自転車を停めて一休みするとすぐ100人くらいに囲まれるが、逆に囲まれることにより安全は守られる。自転車をほっぽいといても自動的に彼らが監視役になっているので大丈夫。

・たとえ英語もベンガル語も全くできなくてもどこかから親切な人が来て助けてくれる。

・食事、休憩ポイントはいくらでもある。宿も鉄道駅やバスの停まるような町なら間違いなくある。運悪くなかったとしてもきっと誰かが泊まりに来い、と言ってくれる。

こういうわけだ。
さあ、サイクリストよ、バングラデシュを目指せ!!

バングラデシュ・インド比較概論第一(2回目)

インドにはさまざまな手段を使って旅行者から金を騙し取ろうとする奴が大勢いる。
(ズドンと一発とかボコボコにして力づくで、とかはあまり聞かないが)

中でも最も注意すべきは巧みな日本語使いである。
旅の上級者はその辺よく知っているので相手にしないが、インド初心者にとっては、困っているところにサッと現れ親切に助けてくれるのでコロリと騙され、後でドカンと持っていかれてしまう。

対してバングラデシュ。
実はこちらにも大勢の達者な日本語使いがいる。
町を歩いていると結構頻繁に日本語で話しかけられる。
しかし警戒する必要はない。
彼らは以前日本に出稼ぎで働いたことのある人たちで日本人を見て懐かしがって話しかけているだけなのだ。

昔はバングラ人は簡単に3ヶ月のツーリストビザがもらえた。
しかし来日しても3ヶ月で帰るはずがなく、多くは10年とか15年とか不法滞在して働き、最後に警察に捕まって強制送還される。
そのあまりの多さに大使館は個人の申請ではビザを出さなくなった。
(↑これは聞いた話です。詳細は違うかも)

時々小さな村の中に豪華な家が建っていたりする。
それは「日本ハウス」と呼ばれる出稼ぎ組の家なのだ。
当然それを見ている他の人らも日本に行きたがる。
だが決してビザは下りない。
お前の力で何とかしてくれ、と私に頼んでくる。
しかし悲しいかな、私は何の力も持たないただの旅人。
それは難しい、と諭してもなかなかわかってもらえない。

バングラデシュ人の親切にいつもあやかりながらこういうところではまったく力になってあげられない…
己の無力さを痛感する。

事故った!

時は2004年2月16日。
とある田舎の幹線道路を一台の自転車が横断しようとしていた。
常にサーキット状態にあるこの国の道を横断すること自体かなり無謀なのだが、その自転車は決行した。
そこへ猛スピードの乗用車が衝突!
自転車はグルリングシャグシャ。
周りで見ていた大勢の人々が制止しようとするが車はそのまま突っ走って逃げていった…

という事故を目撃したという話です。
私が事故ったわけではありません。
必死の形相で逃げにかかるドライバーの顔が印象的。
すぐさま野次馬の一人が後続の車を止め追跡開始!
運良く(悪く?)前方で踏切が閉まっておりそこで御用。
ものすごい量の人が群がっており、おそらくそいつは引きずり出されボコボコにされていることだろう。

私はトバッチリを避けるためさっさとその場を去りました。

2004年2月21日土曜日

スチューデントライフ


ボリシャルではヒョンなことから大学の寮でしばらくお世話になっていた。
この大学は全寮制。
授業は8:00〜13:00、後は自由。
ずうずうしくも講義まで参加し、先生から質問され
「そうだと思いますが専門外なので確かなことは分かりません」
とアカデミックな返答で切り抜けた。

学生生活はやはり夜が面白い。
娯楽室みたいなのがあって、テレビの前にみんな集まってアメリカ映画を観る。
その中で心が洗われるようなシーンになるとピュ~と早送りしてしまうのだ。
さすがイスラム国。

と思ったら映画が終わると低学年の学生は部屋から追い出され、高学年だけが残ってさっき飛ばしたシーンだけをワザワザ見直す。
ボリューム担当は、声が大き過ぎず小さ過ぎず調整するのが大変そう。

そしてそれからは心が洗われるような映像専門のアメリカ産ビデオを立て続けに3本見た。
100人くらいで一緒に見ている時点で既に異様なのだが、私にとってもっと不思議なのはこのビデオで大爆笑が起こることだ。

そのシーンはさくらんぼみたいなのに生クリームを塗って舐めたり、バナナみたいなのにチョコを塗って舐めたりするシーンだった。
みんなの大爆笑の中、私一人「うまい棒のチョコバナナ味は美味しいんだけど、小さいからメンタイ味にすべきか迷っていたなあ」と考えていた。

ちょっと話はそれるが、南アジアの映画は笑いが単純である。
ずっこける、叩かれる、などで大爆笑。
単純ゆえに言葉の分からない外国人にも面白いことは分かる。
以前日本で働いたことのある人に「日本の好きな番組は?」と聞いたら「シムラケン、バカトノ」と答えてくれた。
それと同じことだろう。
志村けん、偉大なり。

またどうにも理解に苦しむのがアメリカンジョークである。
どこが面白いのかさっぱり分からない。
アメリカ人の知能レベルを疑う。

話を戻そう。
そのとき見たビデオの中で2本目にはインド人が出ていてやっぱりインド女性はとても美しかった。

一応バングラ学生の名誉のため言っておくが、授業態度はきわめて真面目で私の学生時代より10倍真剣である。
ビデオを見る目は20倍真剣であったが・・・

(写真:真剣そのもの…)

バングラデシュ・インド比較概論第一(5回出席で2単位)

バングラデシュとインドの違いは何か?と考えたとき、ほとんど変わらない、と思ってさしつかえない。
言葉・食事・衣服・乗り物・宗教などなど細かい点に違いは見られるが、大方はよく似ている。

しかし私は長期にわたる現地調査の末、ある一つの決定的な違いを発見した。
それは「ノープロブレム」の使い方である。
まずは例を見てみよう。

インドの場合…

・バスに乗っていたらトラブル発生、修理が始まる。
 私「いったいいつになったら出発できるんだい?」
 運ちゃん「ノープロブレム」

・町を歩いていたらリキシャに足を踏まれた。
 私「痛い痛い!」
 リキシャ引き「ノープロブレム」

対してバングラデシュの場合…

・宿の部屋を案内してもらう。文句なし。
 宿ボーイ「Anyプロブレム?」
 私「ノープロブレム」

・食堂で頼んだものが並べられた。
 食堂ボーイ「Anyプロブレム?」
 私「ノープロブレム」

これらから見て分かるように、インドでは明らかに問題があるときにそれをはぐらかすために現地人がよく「ノープロブレム」を使う。
対してバングラデシュでは明らかに問題がないのにわざわざ気を遣ってくれたことに対し旅行者が「ノープロブレム」を使うのだ。

これこそ両国の決定的な違いである。

血祭り


2月1日~3日はコロバニイード、犠牲祭でした。
これはその昔ムハンマドがどーたらこーたらでああしたらしいという、理由はこの際どうでもいいのだけど、町中で牛・羊などが生け贄として殺され神に捧げられるというお祭りです。

祭りはその数日前から始まります。
空き地や道路に何百という牛が売られるため集まります。
その規模はドナドナどころの騒ぎでなく、強いて言うならばドナドナドナドナドナドナドナドナ…ぐらいすごいです。
そして1頭1万~100万円くらいで買われ町のあちこちにつながれその日を待ちます。

祭り初日、朝のお祈りの後、牛は足を縛られ、倒され、数人に押さえつけられ、ナタでギコギコ首を切られます。
グェ~という断末魔の咆哮、
ビュービュー噴出す鮮血、
ブシューブシューという気管から漏れる息。
町の川は洗い流された血で真っ赤に染まります。

事切れた牛は皮をはがれ細かい肉片になり、その日の昼食の皿に並びます。
その食事にはその辺をフラフラ歩いている外国人も気軽に招いてくれ、ご一緒させてもらえます。
また貧しい人にも肉が分けられみんな幸せになれます。

コロバニイード、スプラッターかつハートウォーミングなイスラムの大切なお祭りのひとつです。

(写真:今日はビーフカレー!)

カユイ!PART2

だいぶ前に書いた、映画館に行って椅子に座ったらダニの巣窟になっていてひじと背中がボコボコに腫れた、というのはバングラデシュでの話でした。

その後私も賢くなって、映画を観る時は館内に入るとすでにドッカリ座っている人に
「その席で見たいから一つずれてよ」
とお願いするようにしていました。
バングラデシュの人はとても親切なので喜んで換わってくれます。

で、今回も懲りずに映画館に行きました。
しかし!
ありがたいことに係りの人が気を利かせて入場待ちの行列をすっ飛ばして先に入れてくれてしまったのです!
つまり中には私一人。
どこが当たりかハズレか分からない。

一か八か適当に座ってみました。
お尻だけチョコンと。
しかしこの姿勢を3時間もある長いバングラ映画で続けるのはあまりにも辛い…
思わず背中もたれてしまいました。
その瞬間…

背中ボコボコ。
あなどるなかれ。

2003年12月1日月曜日

潜入!女子中学校!


バングラデシュでのこと。
地元エロ兄ちゃんにいろいろ案内してもらっていた。
じゃあ次は学校を案内してやろうと言う。
しかもそこは女子中学校。
イスラムのこの国で女だけの園、女学校に入るなんていうのは日本で言えば女子更衣室に入って行くくらいのハレンチなことなのだ。

ではあるが、外国人をダシに使って秘密の花園に入ってみたい、というエロ兄ちゃんのエロ的欲望と、バングラデシュの教育現場を見学してみたい、という真面目な私の学術的欲望が、それを実行に踏み切らせる。

まず校長室を訪れ「私は日本から貴国の教育現場を見るためうんぬん・・」と挨拶。
すると校長先生は、「それはそれはようこそ、校内を案内しましょう」
授業中の各教室を回り、紹介され、生徒の質問に答えたり。

やがて「外国人が来ている」との噂が校内に広がったようで校庭にドワーと生徒が集まってしまっていた。
私が姿を見せるとキャーキャーの黄色い声。

バングラデシュの教育現場視察は、まことに有意義なものになったのでした。

2003年8月19日火曜日

バングラ・ビルマ比較概論第一(2単位)

バングラデシュとビルマ。
地理的には東西に接する国同士であるが、その性質はまったくもって異なる。
海を挟んでいるわけでもなく、ヒマラヤのような巨大な山脈を挟んでいるわけでもない。
しかしありとあらゆる点が違うといっても過言ではあるまい。
気づいた点を列挙してみよう。

・顔
 彫りのふかーい顔立ちのバングラ人。日本人とそっくりのモンドロイド、ビルマ人。ビルマ人の顔はタイ人よりも日本に近いような気がする。親近感が湧きます。

・人柄
 外国人を見ればほおっておけない強烈な好奇心を持ち、熱く正義感溢れるバングラ人。シャイで静かなビルマ人。バングラでこれでもか!というくらい質問攻撃を受けてきたのに対し、ビルマではだれも話し掛けてこないので、顔が似てるから気づかないのかな?と思いきや、やっぱり外国人とはわかっているけど声かけるほどの勇気はないらしい。

・食べ物
 インドと同じようなカレー・香辛料中心のバングラ料理。いろんな味付けのあるビルマ料理。油っこいと評判の悪いビルマ料理ですが、8ヶ月間カレーばかり食べてきた私にとっては天国のような毎日です。

・服装
 男は洋服、女はサリーが標準のバングラデシュ。男性は家の中ではルンギという巻きスカートをはきます。しかしビルマではこの巻きスカートが男女ともに外出着となります。巻き方が両国でちょっと違ってバングラ巻きでビルマを歩くと「違うよ」と注意されちゃいます。でもバングラ巻きの方が緩みにくいので私は好き。

・交通
 先行く車があったら追い越さずにはおれない気狂いドライバーばかりのバングラ人。対向車が来るとライト点滅させ端により減速して道を譲るビルマ人。これは歩行者も同じで、ひたすら直進してくるバングラ人と、さっと道を譲るビルマ人。ビルマでは町で信号がちゃんと機能しているのにも驚かされました。
 どちらも日本の中古車を大量に輸入しているので、街で見るのは右ハンドルの日本車ばかり。しかし共にイギリス領だったのに、バングラは左通行でビルマは右通行。だからビルマ車は追い抜く時はすごく大変そう。輸入されたバスも右側をぶち抜いて出入り口を付けています。(左側の元々ある扉は開かずの扉)

・ボリ方
 観光大国タイとインドに挟まれ忘れられがちなこの2国。観光客が少ない分、どちらも観光ズレしていない素朴な旅が出来るかなあと思っていたのですが・・・
 バングラデシュは素朴そのもの。まずボッてくるということ自体ほとんどないのですが、ごく稀に買い物しようとしてちょっとでも相場より高い値段を言おうものならそばにいた客が「てめえ、言葉の不自由な外国人からボろうとはふてえ野郎だ!正しい値段で売ってやれ!ついでにオマケも付けてやれ!」と怒ってくれるのでいつも安心して買い物出来ます。
 しかしビルマにおいてとても驚いたのが、庶民向けの店や食堂でも平気な顔してぼってくるのです。しかもそのボリ方が相場の2倍3倍という大胆さ。ぼっている事に気づいて値切ろうとしても頑として譲らず駆け引きを知らない。特に観光地はひどい。一般市民がそれを見ても見ぬふり。政府のやっている外国人料金制度に商店も追随している感じがします。
 
しかし今回私が見たビルマは都市と観光地だけなので、一面から見ただけでこの国を判断するのはよくないですね。
もっと田舎や普通の町に行けばきっと素朴な人達に会えるんでしょうね。

2003年7月20日日曜日

ありがとうバングラデシュ


いやー、バングラデシュの旅楽しかったですよ〜。
今回は基本的に観光地巡りしかしていないのですが、他のアジア諸国(特に北インド)で観光地しか行かないとうっとうしい輩がウヨウヨ寄ってきて嫌な思いをするだけで終ってしまいがち。
私が自転車旅が好きな理由の一つは、自転車だと必然的に観光地以外の所に行かなければならないのでそういう所ではボラれたり騙されたりすることが無く一般の優しい人たちに会えるからです。
しかしここバングラデシュにおいては観光地巡りのバックパック旅でもその優しさが味わえる!

この雰囲気は中東のシリアととてもよく似ていて(この例えで、なるほど!と思える人は少ないでしょうが・・)とても懐かしい気持ちになりました。
共通点として挙げられるのは・・・
1。どちらの国の人もやたら親切である。
2。どちらもやたら話し掛けてきてすぐ友達になれる。
3。友達になると親戚友人らに紹介するため町中を引きずり回される。
4。どちらも親日的である(バングラは国際援助で、シリアは日本赤軍の活躍で)。
5。バングラはインド・タイという観光メジャー大国の間にあり、シリアはエジプト・トルコの間にあるため忘れられがちである。ゆえに外国人が珍しい。

というわけでバングラデシュは観光客の少ない今が行きどき!(今後そう増えるとも思えませんが・・)
前にも書きましたが、私が今回ここを訪れた理由は子供の頃親から「バングラデシュに連れて行くよ!」と脅されたあの国がどんなものなのか見てみたいというものでしたが、今となってはわざと好き嫌いして脅されたら諸手を挙げて歓迎したい、そんな気分ですね。

(写真:バングラデシュの朝)

ヒソヒソ話


バングラデシュのほとんどの人は井戸水で生活しています。
しかしその地下水から砒素が検出されて問題になっています。
かといって飲まないわけにはいかないのでみんな飲んでいます。
もちろん私も普通に飲んでいます。
とてもおいしい水なので、本当に砒素なんか入っているのかな~?と疑問に思うこともありますが、ミネラルウォーターのラベルにはデカデカと「Arsenic(砒素) Free!」と銘打ってあるところを見ると事実なのでしょう。
こんなことが書いてあるミネラルウォーターはバングラデシュだけだろうなあ。
それでも負けずにみんな元気にやっています!!