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2004年12月7日火曜日

殺意

今こうしてコンピューターを前にしてあああの時のことを思い出すだけで、いいいいい怒りが込み上げてきて手の震えを抑えるこここことができなklづいんふぇあklhvだな4ふぁjdk・・・

うー、申し訳ない、キーボードにあたってしまった。
いやはや、何に対しこんなに怒っているかというと、それは在ネパールのインド大使館で働く虫ケラどもに対して、である。

ここでインドビザを申請するためには
1.テレックスの申請(本国、私の場合は日本へ怪しい奴かどうか身元照会する。当然金とられる)
2.ビザの申請
3.ビザの受け取り
と三回足を運ばねばならない。
この面倒な手続きを2年前一度経験している。
その時はまだよかった。
用紙配布窓口・テレックス窓口・ビザ窓口がそれぞれ分かれていたのだ。
当時から仕事ぶりはメチャメチャ遅く、各窓口に行列ができ非難轟々だったものの一応処理はされていた。

しかし、しかしである。
ここの虫ケラどもは訪れる外国人のために便宜を図ろう、などとは微塵も考えないらしく、何を血迷ったか窓口を一つにまとめやがったのだ!!
当然2年前とは比較にならぬ人間が一箇所に集中する。

初日、私はバカ正直にも開門の9:30に行ったのだが、そこは既に数十人の大行列ができていた。
先頭の人は7:00に既に並んでいたという。
日本シリーズじゃあるまいし・・・

しかしサッサと仕事をすれば充分処理できるはずなのだが、虫ケラ中の虫ケラである窓口の奴ときたら、10分くらい遅れて窓口を開いたと思ったらいきなり新聞を読み出すのだ!
一通り目を通すと業務に取り掛かるが、一人片付けては茶を飲み、一人片付けては虫ケラ同士でダベリ、電話をかけ、便所に行き、書類にサインし、鼻クソをほじり・・・

しかも一人一人に渡航理由の面接をしていて、たとえば私の場合
虫「理由は?」
私「観光です、サー」
虫「どこへ行くつもりだ?」
私「バラナシです、サー」
虫「バラナシなんて見所ないところに行くのになぜ6ヶ月要るのだ?」
私「い、いやその、友達に会ったり、他にも行くかもしれないし、それにインドは広いから時間かかるし・・・」
虫「観光なんてどうせ嘘だろう!怪しい商売でもしているに決まっている!本当のことを言え!!」
私「本当に観光なんです、サー!私はインドを愛しています!あなたも含めインド人を尊敬しています、サー!!」

と心に思うことと全く逆のことを言って何とかOKされた。
私だけでなく多くの人がこんな感じでやり取りしているのだが、結局みんな6ヶ月貰っているところを見ると、どうもこの虫ケラはいろいろ難クセをつけて我々がアタフタ困るのを見て楽しんでいる節がある。

こんな感じなので列は遅々として進まない。
初日、12:00になると
「今日はここまで!明日また来い!」
と私の目の前で無情にも窓口は閉まった。

コイツが一回鼻クソをほじってなければ私の番まで回ってきたはずだ!
業務開始前にしっかりウンコしてあったら更に後ろ2人分まで相手できたはずだ!
難クセつけてなければ全員分処理できたはずだ!!

私はこの日生まれて初めて「殺意」を覚えた。

2004年11月16日火曜日

昼食

ネパールの国民食といえばタルカリダルバート。
タルカリ(スパイスで味付けした野菜)、ダル(豆汁)、バート(ご飯)、平たく言えば「カレーライス」です。

これの長所はオカワリ無限であること。
慢性的空腹サイクリストにとってはこの上なく素晴らしいことです。
やろうと思えば、朝行ってダルバートを注文し、そのまま夜まで食べ続ければ、1食分の値段で3食まかなえるでしょう。
巨大な胃袋と勇気のある人は試してみてください。

それ以外は、というと
サモサ(イモコロッケ、無論カレー味)、
モモ(チベットギョーザ)、
チョウメン(中国の炒麺[チャオミェン]が伝わったものであろうが本場とは似ても似付かぬヤキソバ)
などがありますが、どれもメインというよりはオヤツ程度の量しかないので結局ダルバートが主となってしまいます。
他の物はないのか、と周りの人が食っているのを見てもやっぱりダルバート。
どこかの家に招かれてもやっぱりダルバート。
ダルバート以外は恐らく存在しないのでしょう。

カトマンズといえばいろんな国の料理が美味しいことで有名ですが、ここポカラにもややレベルが下がるものの美味しい店はたくさんあります。
日本食ももちろんありますが、高く、量少なく、味はややいまいち、と3拍子揃っているにもかかわらず足を向けてしまいます。
なぜならそこには500冊以上の日本の本があるから。
100-200円で本を借りて、おまけに一食付いてくると考えれば安いものです。

午前

朝食から昼食までの間はお勉強の時間。
お題目は「中国語」。
「中国語勉強したいなら中国に行けばいいのに」というのはごもっともな意見なのですが、なかなか現地ではじっくり落ち着いて学べる環境が無く、仕方なくネパールにて・・。

今まで私が身につけた中国語はもっぱら現地仕込みで、老師(先生)は主に南方中国出身のトラックの運ちゃん方であるため、以前北京の人と話した際
「アナタの中国語は南方のトラックの運ちゃんみたいな話し方アルヨ」
とそのままズバリ言われたことがあります。
日本でいえばズーズー弁を話すどっかの白人タレントみたいなもんでしょう。

チベットの子供たちは学校で普通話(共通語)の教育を受けているのでレベル的にも彼らと話すのがちょうどいいのですが、これは当てはめてみれば、1930年頃に韓国の人に日本語を教えてもらうようなもので、心情的に憚られるものがあるので断念。

やっぱり基礎的な発音とか文法とかしっかりやっておくべきだなと思いたち、日本から送ってもらったCD付きテキスト・辞書に加え、中国で買い込んだ小学生用漢語教科書・チビッコ向けの本やらでセコセコ勉強しています。
静かに落ちついて勉強するにはここは絶好の環境ですが実地訓練できないのが痛いところですね。

2004年11月7日日曜日

朝食

私がポカラに着いた9月中旬はまだ雨季の最中で、一日中雲がかかって山が見えることはほとんどなかったのですが、最近はすっかり気候が変わり、特に朝方は雲一つ無い快晴、朝日に映える7000m級のアンナプルナの山々が奇麗に見えます。

その山々を見ながらの朝食のメニューは・・・
「ツァンパ」
このコラムでも度々登場しマズイマズイと酷評してきたチベットの主食です。
しかしながら「イヤヨイヤヨもスキのうち」「マズイマズイもウマイのうち」。
いつしかなくてはならぬ朝食の定番メニューになってしまいました。

ラサを発つとき、餞別に、とサイドバッグ一つ埋まる程の大量のツァンパを貰い受け、どうしたものか・・・と途方に暮れたのも今は昔。
それも結局食べ尽くし、新たにネパールで買い入れたものを食べています。
はじめどこに行けば買えるのか分からず、その辺を歩いていたチベット人のおばちゃん(ネパールにも沢山チベット人は住んでいる)を見つけ「この人について行けばチベタン御用達ツァンパ屋に行くかも」と尾行を開始したところ、程なく感付かれ
「アンタ何やってんのよ?」と問われ「イヤハヤ私は怪しい者でもスパイでもストーカーでも中国の回し者でもございません。実はかくかくしかじか・・・」と正直に答えたところ、おばちゃんはあっさりツァンパのありかを教えてくれました。
はじめから聞けばよかったところです。

で、そのツァンパですが、これまた以前このコラムで「カレー粉とかいろいろ混ぜたけどやっぱりマズイ」と書きましたが、その後も数々の試行錯誤の末、遂に完成したのが以下のツァンパ。
レシピを記すと、
1。約150ccのお湯に
2。はちみつスプーン2杯
3。砂糖スプーン1杯
4。粉ミルクたっぷり
5。以上にツァンパを適量加えグチャグチャ混ぜて団子にして食べる。

ちなみにダライラマ法王のお好みもミルクツァンパだとか。
あなたも「観音菩薩の味」を試してみてはいかがかな?

ハッピーニューイヤー!


明けましておめでとうございます。
年が明けました。
10月20日はネパールのお正月「ダサイン」でした。

その日人々は親類知人の家を訪ね、新年の挨拶とともに祝福のティカ(額に付ける赤い印)をもらいます。
たくさん回ればその印はどんどん大きくなって額面積の半分ほどにもなるので、町にはノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ直後の大仁田厚のような額を真っ赤に染めた人達がニコニコ顔で歩き回っています。

このダサインは一家が集まって家の中でコソコソやるのが主なため、部外者である外国人旅行者にとっては、特に大きなイベントがある訳ではないので全然面白くありません。

以前このコラムの中で
「ヒンズー今日の祭りは過激すぎて近寄り難く避けるべし」
と書いたことがありますが、今回のもまた別の意味で避けるべし。
店・食堂は閉まり、バスも止まり、不便なことこの上なし。

ただ唯一の見所らしきは、寺に行けばその日の食卓へ上げられる食材を屠る儀式があり、捧げられるニワトリ・ヤギなどの首が切られます。
巨大なナタで首をスパン!
落ちた頭がコロコロ。
血がビュービュー。
頭の無くなった胴体はしばらくジタバタ。
ひっきりなしに参拝者がやって来るので、次から次へと機械的に作業は進み
スパンコロコロビュービュージタバタスパンコロコロビュービュージタバタ
スパンコロコロビュービュー・・・
始めの数体はウワッ!と思いますが、50も100も見続けるとだんだん何とも思わなくなってきます。
戦争の狂気なんてのもこんなものなのかもしれないなー、と思ってしまいます。

2004年10月19日火曜日

海外危険情報

9月初め、イラクでネパール人が誘拐・殺害されたことに対し、怒ったネパール国内のヒンズー教徒がイスラム教との店を襲撃。
大規模な暴動へと発展し、軍が出動。
1週間外出禁止令がしかれ、店はすべてシャッターを下ろし町はゴーストタウンに。
勝手にうろうろすると撃たれる、というおっそろしい事態にみまわれました。

危険情報として真っ先に思い浮かぶのは外務省の発表するものですが、彼らも神サマではないのでこのような偶発的な事態には対応できないのが痛いところ。
しかもそれがあんまり頼りにできないのは、何か起こった後に危険度があがるのですが、その時点ではすでに治安が強化され、逆に一番安全な状態だったり、とっくに沈静化しているのにいつまでも「危険」なままだったりすること。(以前のイスタンブールがそうだった)

外務省よりは期待できるのは、旅行者同士の情報交換ですが、これは思いっきり個人の主観が入ってしまうので本当は危ない所なのに運良く何もなく行けてしまった人は「全然大丈夫だよ」と言うでしょうし、平和な国のはずなのにスリに遭ったりすれば「泥棒だらけのヒドイ国だ!」と言うでしょう。
更に困るのは人ずての噂に尾ヒレどころか、胸ビレ腹ビレ背ビレフカヒレエイヒレとヒレが付きまくってたいしたことない話がとんでもない話になって聞こえてきたりすること。

やっぱり一番信用できるのは地元民のくれる情報ですね。
バラナシのホーリー(祭)は出歩くな!(殺される)
バングラの夜行バスには乗るな!(バス強盗に遭う)
などなど。
でもこれにも落とし穴があって、たいてい他民族同士は「あいつらは泥棒だ、ウソツキだ、誘拐犯だ」といがみあっているのに、第三者の立場ではどっちも正直でやさしい良い人達だったりするのです。

こうなると一体誰の話を信じてよいやら。
結局頼りになるのは、取捨選択できる自分自信の「勘」ということになるのでしょうか・・・

2004年8月16日月曜日

カトマンズ到着

天上のチベットから下界のカトマンズへ下りてきました。
日本ほどではないでしょうが、やっぱりムッとする湿度を感じます。
タバコがあっという間に燃えてなくなってしまいます。
思わず沸かしたてのお茶を飲んで口を火傷しました。
(チベットでは沸点が低いのですぐ飲んでも問題無い)
当たり前のことが当たり前じゃなくなってしまいました。

2003年12月1日月曜日

脱プン!その6(ネパール編)

ネパールで、山の斜面に建つ眺めよい宿に泊まっていた時のこと。
その宿には共同のトイレが一つしかなかった。
朝食後お腹もいい調子に動いてきてトイレに入ろうとしたら既に先客が頑張っていた。

しばらく経って再び行くがまだ頑張っている。
ヤバイ・・・
危険度レベルは3→4にアップした・・・

またしばらくして行ってみるがまだ頑張っているではないか!!
うわー!もう耐えられん!!
ついにレベル5到達!!

やむを得ず室内でビニール袋に脱プン。
その袋は・・・・・・・・・窓からポイ。
ネパールの山々がとっても綺麗に見えました。