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2004年1月23日金曜日

後日談 その2

旅に出る前に掛け捨ての海外旅行傷害保険をかけてあったので、現地での手術・入院代、日本への飛行機代、日本での入院・リハビリ代その他諸々、全て保険で払ってくれた。

その額、総額300万円!!
こりゃもう保険無しでは怖くて旅できませんわ!

後日談 その1

第8話にて、全身麻酔から目覚めたとき私の周りには大勢の医者や看護婦がいた。
そのときはどうも思わなかったのだけど、後日気になることを聞いた。

ごく稀にある事故らしいのだが、麻酔の量を間違えて多く入れてしまうとそのまま昏睡してしまって一生目覚めないのだとか。

もしかしてあの大勢の顔ぶれは
「こいつ全然目覚まさないじゃないか・・・」
という集まりだったのかも・・・??

あるいは、全裸(パンツも無し)にて手術を受けさせられたので
「やはり日本人のチ○コは小さかった!」
とみんなで話していたのか?!

2004年1月20日火曜日

第31話 大団円

病院にやって来た。
あの時は夜に入り、早朝に出ていったのでどんな所か分からなかったのだが来てみてビックリ。
庭・噴水付の豪華私立病院だったのだ。

懐かしい院内に入り、通りかかった人に当時一番よくしてくれた看護士さんの名前を伝えた。
しかしその人は数ヶ月前にここを辞めていたのだった。
残念な気持ちで帰ろうとすると、そこに白衣に身を包んだ男が通りかかった。
「あっ!」と声をあげたのは同時だった。

そう、その人は足の手術を担当し、入院中にいろいろ面倒を見てくれた主事の先生なのだ。
元気にピョンピョン走り回って見せるととても喜んでくれ、
「また事故ったらここに運んでもらえよ!」
とニコニコ話してくれた。
でもそれは勘弁。

・・・
2ヶ月後、ついに目的の地であるユーラシア大陸最西端、ロカ岬に立った。

         <完>

第30話 再訪

走り始めると不思議なことに気付いた。

覚えているのである、何もかも。
店、看板、道のカーブ具合、木、普段なら目に入ってくるだけで記憶には残らないちょっとした風景が全て。

そしてしばらく進むと、突然記憶にない風景が続くようになった。
そう、そここそが2年前事故に遭った場所に違いないのだ。
私は自転車を降り、辺りの草むらを探し回った。
もしかしてそこにクシャクシャになったあの自転車の残骸があるかもしれないと思ったからだ。

何度も何度も往復したが結局それをみつけることはできなかった。
トルコで最期を迎えてしまったあの愛車に静かに手を合わせた。
学生時代の思い出の全てを共有したあの自転車に。

気を取り直し、再び漕ぎ始めた。
次なる目的地はあの9日間入院した病院である。

第29話 復活

しかし一年間全く動くことのなかった足の筋肉はすっかり退化してしまっていた。
完全復活に向け、ピンポンダッシュや食い逃げなどの厳しいトレーニングを自らに課した。

そしてさらに時は流れ、事故から2年後の夏、私は再びトルコの大地に降り立った。
あの時、あの事故で中断してしまったあの旅を完結させるためである。

私は新しい自転車にまたがり、同じ道を走り始めた。

第28話 奇跡

3ヶ月の入院・リハビリ生活が続いた。
この間先生に言われたことは
「たとえ反応がなくても動くのを意識して念じろ。そうすれば神経の回復も早まる」
ということだった。

時は流れた。
あの忌まわしい事故から約一年後。
私はサザエさんを観ながらもはや日課となった自己リハビリをしていた。
動くことのない左足首に手をあてながら。

・・・はじめそれは脈だと思った。
あまりにも弱いピクピクとした動きだったから。
しかしその脈は自分の意思で動かすことができるのだ。

そう、これは脈ではない!
弱々しくはあるが紛れもない、筋肉の動きなのだ!
ついに、ついに復活したのだ!
トルコの医者が行った手術は成功していたのだ!
毎日毎日念じ続けた甲斐があった!

その甲斐あって、今では手を使わずともテーブルの上の灰皿を動かしたり、女子高生のスカートをめくったりできるようにもなった。
怪我の功名である。

第27話 更に真実

更に遅れて届いた事故証明書から事故発生の状況も明らかになる。

追越をかけた車は私に斜め前方から衝突する形になったため、私の体は道の脇に吹っ飛ばされた。
落ちた所が草地で、しかも顔面から落ちたため顔の表面を軽くこすっただけで済んだのだ。
だからそれで出来たカサブタも数日後にははがれている。(第16話参照)

もし落ちた所がアスファルトの上で、しかも後頭部から行っていたら今ごろはあの世行き、よくて植物人間か。

事故直後、右目が見えなくなったのは一時的なショックなためでこの日本帰国時点で既に回復していた。

また、右足ひざ裏の切れた個所も、その豪快なえぐれかたの割に神経切断程度で済んだのは奇跡であり、すぐ真横にある靭帯が切れていたら半年は歩行不可能、動脈が切れていたらオダブツか切断は免れなかったらしい。

第26話 真実

日本の病院にそのまま入院することになった。

こちらの担当の先生(もちろん日本人)にトルコの病院から預かってきた診断書・手術経過書・レントゲン写真などを渡す。
診断書などはもちろん全て英語で書いてあって読んでみようと思ったのだが、一分で眠くなってしまうような代物だったのでそのまま先生に渡した。

その結果、驚くべき事実が明らかになった。
まず私が日本の病院に真っ先に期待していたのは、この動かなくなってしまった足を何とかしてもらいたいということだった。
しかしそのための処置はもう既に完璧に済んでいたのだった。

つまり、私がガスでグースカ寝ている間にトルコのお医者様は切れた神経を顕微鏡で覗きながら縫合手術をしてくれていたのだ。
ただ神経というのは、切れたのを結んだからといってすぐに回復するわけじゃなくて、切れた個所から1日1ミリずつゆっくり感覚が戻っていくらしいのだ。
ひざから下、全て戻るまで約一年。

そう言われてみればトルコでの初めての回診のとき、医者はいろいろ説明してくれていたのだが私は頭が真っ白になってしまって全然聞いていなかっただけで、もしかしたらその辺も言ってくれていたのかもしれない。(第9話参照のこと)

第25話 賭け

ついに日本に着いてしまった。
しかし喜ぶのはまだ早い、大きな関門があった。
というのは、この時私のかばんの中には税関の人が見たら大喜びでカツアゲされてしまいそうな写真がたくさん載っている本が入っていたのである。

トルコを出る時病院の人にあげてしまおうとも考えたのだが、せっかく築いた日本人の信頼を本ごときで壊しちゃいかんと思い持って帰って来てしまった。
しかしもし税関で見つかった時には
「あなた、こんな姿になりながら何考えてるんですか?!」
と大目玉食らってしまう可能性もある。
これは大きな賭けであった。

で結果、税関はフリーパス。
こんなんだったら拳銃でも麻薬でも象牙でも何でも持ち込めたかも。
密輸に携わるみなさんは、私くらい体を張ってやってもらいたいもんである。

第24話 祭り

優しいスッチーが言う。
「もしトイレに行きたくなったら遠慮なくお申し付け下さい。肩をお貸ししますので。」

な、なにー!
これはぜひ遠慮なく肩をお借りしたい!
私は遠慮なく水やビールをがぶ飲みし、遠慮なく膀胱をいっぱいにさせ、遠慮なく言った。

「はいはーい!すみません!トイレに行きたいんですけど!」
「承知しました。少々お待ち下さいませ。」

あれれ?
スッチーはどこかに行ってしまった。
代わりにやって来たのは、フランス人大型スチュワード3人。
3人にひょいと担ぎ上げられ他の乗客の視線を浴びながら通路を運ばれる。

「祭りだ祭りだ!ケンカ神輿だ!ワッショイ!ワッショイ!」

神輿はトイレに到着したが、狭い室内で四苦八苦していると外から「ドンドンドン!大丈夫か?!何かあったのか?」と必要以上に気を遣ってくれて嬉しい限りであります。

もちろん帰りもケンカ神輿。
以降水分を控えたのはいうまでもない。

第23話 上客

パリの空港のラウンジでメシを食っていると(一応ビジネス客なので)同じ飛行機に乗るらしき日本人がドヤドヤやって来て、バカデカ声でゴルフの話とか下らぬシャレとか言いガハハと笑う。
別の所ではブランド品がどーのこーのとか免税店がどーのとか話すおばさん。
私は今からこういう人たちのいる国に行くのか、と思うと吐き気がしてきた。

ここから名古屋までの12時間はビジネスクラスの旅。
スチュワーデスは半分は日本人。
いろいろ丁寧に面倒みてくれ、気遣ってくれる。
自分はお金払っていないのにこんなにサービスしてもらっていいの?!と思うくらいで逆に恐縮してしまった。

2004年1月16日金曜日

第22話 世界の車窓から

飛行機の窓からはいろいろな風景が眺められる。

日の出の太陽でエーゲ海がキラキラと黄金色に輝いていた。
ギリシャの台地、アルプス山脈の険しい山々、フランスのパズルのような畑地帯。

細く道も見える。
もしかしたら自分はあの道を走っていたかもしれないのだ。
時速20kmでノロノロと。
それなのに今自分は1万m上空から時速800kmの速さでその道を見ているのだ。
なんでだ?どういうことなんだ?
窓の外の景色は悔しさの涙でにじんでしまった。

まもなく花の都パリに着く。

第21話 帰国の途

入院9日目、最終日。

早朝、いよいよ病院を出る。
ここから日本までの道のりは、

病院から最寄りの空港まで救急車

イスタンブールまで飛行機(トルコ航空・前後2席)

パリまで飛行機(エールフランス・前後2席)

名古屋まで飛行機(エールフランス・ビジネス横2席)

空港から名古屋の病院まで救急車

という豪華24時間の旅である。

飛行機の搭乗者名簿の「VIP」リストにはしっかり私の名前が載っていて乗り降り時などいろいろ面倒みてくれる。

また空港に着けば、私の名前の書いてあるプラカードを掲げた人が待っていてその人が乗り継ぎの手続きとかをやってくれるのだ。

だから名古屋の病院に着くまで私がやったことといえば、飛行機の席の横までつけられた車椅子からよいしょっと席に移動するだけ。
ただこれだけであった。

第20話 準備完了!

出発に備えての準備をする。
半年間一緒に旅してきた数々の品々。
でも全部持って帰るには重過ぎるので多くをここで処分した。
ほとんどは病室に出入りする人々がもらってくれた。
それらには折鶴と「ありがとう」の言葉を添えて。

明日日本に帰ることを話すと、みんな
「よかったねー!でも寂しいねえ。また来てね!」
と言ってくれ、うれしいのだが事故では来たくない。

中には見たことのない人まで混じっているので私が不思議そうな顔をしていると、その人は言った。
「私の声に聞き覚えがないかな?」
おー!その声は電話交換手の人ではないですか!
毎日のように話はしてたんだけど、わざわざ見送りに来てくれるとは感激!

みんな頼んでもほとんど仕事をしてくれない人達でイライラすることも多かったけど、ベッドから動けない私にとって時々現れる彼ら彼女らと話ができる時間は一時の安らぎであったことは確かだ。
病院という一種変わった世界の中にも感動的な出会いがあった。
まるでこの旅の最後を象徴するかのようだ。

そう、あと4時間後、一眠りした後にはここを出て日本への道が始まるのだから…

2004年1月15日木曜日

第19話 改造人間

入院8日目。

いよいよ明日日本に向け出発する。
朝、顔の手術担当の先生が来て、自分の作品の出来栄えを見て大変満足しておられた。
そして私の顔をあちこちなでたり押したりしてきた。
その指が目の下の所をグッと押したとき骨の方に痛みを感じたので
「痛イヨーセンセ〜!」
と言うと、先生はニコッと笑って
「君の顔のブロークンした骨はメタルワイヤーでつないである。そのワイヤーは永久にそのままだが心配はいらないよ。そう、君はこれからメタルマンなのだ!」
と冗談にしてはキツイことをおっしゃる。

空港の金属探知ゲートで裸になってもキンコンキンコン鳴り続ける自分の姿を想像してしまった。

2004年1月13日火曜日

第18話 洪水

私はベッドから一歩も降りられないので、何か用事があるときは頭のところにあるナースコールのボタンを押して看護婦さんに来てもらう。
しかしいつもは呼んでもいないのに勝手に来て話しして行くのに、こっちが用事があるときは全然来てくれないのだ。

ある時小便がしたくなってシビンを持って来てくれるよう頼もうとボタンを押すが、全く来る気配がない。
30分くらいしてようやく「どうかしたの〜?」とのん気にやって来た。

「早くシビンを!」
「ちょっと待ってね、男の人に頼むから」

そうなのだ、イスラム教のこの国では男のシモの世話は男の看護士がやるのだ。
当然彼は全然やってこない。
10分くらいしてようやく
「どうかしたのか?」

もうこの時には膀胱ははちきれんばかり。
やっと持ってきてくれたシビンにジョボジョボジョボ・・・

しかしあまりに待たされた私のお小水は、このビンには収まりきらずあふれ服を濡らしてしまったのだった。

教訓
「したくなりそうな30分前にはボタンを押せ」


<筆者注>
このネタは「旅行人」2002年6月号3ページに掲載

第17話 病院の日常

入院7日目。

保険会社から連絡があり、2日後に日本に帰る便が準備できたと伝えられた。
事故証明などの手配も整ったということで落ち着いて残りの時間を過ごせそうだ。

各方面への連絡も済み、自由な時間が多くなった。
でも暇で暇でしょうがない、というわけでもないのだ。
この病院は地中海に面したリゾートにある大病院で、ヨーロッパ方面の外国人もよく来る所らしいのだが、日本人がやってくるのは珍しいということで医者・看護婦・看護士・事務の人が特に用もないのに次々とやって来て世間話をしていくのだ。

というわけで暇つぶしの相手としてはもってこいなのだが・・

第16話 気分爽快

ここでは有り難いことに毎日体を拭いてくれる。
シャツも替えてくれる。
頭も洗ってくれる。

今日の体拭きは特に念入りだった。
抜糸が済んだこともあろう。
顔のすみずみまでゴシゴシ。
うれしいことにまだ生乾きのカサブタまではがそうとしてくれる。
顔はすっかりきれいになった。

次はシャツとズボンを脱がされ体と手足。
トルコの美人看護婦2人に手の先から足の先までゴシゴシされるのは天にも昇る気持ちだ。
ハンマーム(蒸し風呂)で毛むくじゃらのマッチョオヤジに垢すりされるのとはわけが違う。

体・手足もすっかりきれいになった。
さあて、次はいよいよメインのところですよ〜
ウヒャヒャ、これこそが正真正銘のトルコ風呂!
優しくお願いしますよ〜!

ア、アレ?!
おねえさま方はシーツを取り替えるとタオルを渡して出ていってしまった。
チッ、やっぱり駄目でしたか。
結局自分で拭きました。
しかもその後、痛む体を曲げてシャツを着るのにえらい難儀した。
トホホ、、

2004年1月12日月曜日

第15話 いつもより余計に・・・

入院6日目。

今朝、顔を縫ってあった糸が抜かれた。
それと鼻の骨折のために詰めてあった綿も抜かれた。

「じゃあ抜くよ」
ピンセットで鼻の穴の入り口の綿をちょっと引っ張った時ビックリした。
それにつながる感じが目の後ろの方まであるのだ。
そのまま引っ張られると、出てくる出てくる!
いったいいつまで続くのか?!
この先万国旗とかまで出てくるんじゃないかと思うくらい長い。
映画「トータルリコール」でシュワちゃんの鼻から発信機を引っ張り出すシーンがあったが、あれに負けないくらいのすごさだった。

結局小指の長さくらいの綿がすっぽり抜け出た。
眠っている時とはいえ、よくもまあこんなに詰め込んだものだなあ。

第14話 食い道楽

昨日から精力的に動き始めたし、精神的・肉体的に落ち着いてきたこともあろう。
今日は腹が減るという感覚が久し振りにあった。

数日前は見ただけで「オエッ」となった料理も今日はペロリ。
食事する楽しみが戻ってきた。
まあ受け入れる側は良くなったのだが出す側は相変わらずヒドイ。
今日のメニューは「パン、ご飯(バター炒め)、マカロニ(ケチャップ味)、ヨーグルトスープ(きゅうりが浮いている)」というほとんど炭水化物しかない食事が、全く同じメニューで昼夜2回出た。
日本の栄養士さんが見たら気絶しそうなバランスだ。
動物園のサルの方がましなものを食っているような気がする。