日本で10年物のパスポートを作ると15000円。
諸外国の日本大使館で作ってもそれ相当の現地通貨を払わなければなりません。
しかし!
ビルマにおいてはそれがたったの120円で出来てしまうのだ!!
スゴイ!大安売り!!太っ腹!!!
からくりはこう。
ここビルマにおいては公定レートと実勢(闇)レートの差が130倍もある。
銀行なら1$=7チャットしかくれないのに闇なら1$=1000チャットくれるのだ。
もちろん銀行で両替する人なんて誰もいないのだが、さすがに政府機関である大使館が闇レートで換算するわけにもいかないので公定レート換算すると、たった120円ぽっちでOKとなってしまうのだ。
だからパスポートの期限が切れそうな年の海外旅行は迷わずビルマにすべし。
戸籍謄本だけもってビルマに行けば観光ついでに新パスポート作れるよ。
ページの増補だけなら15円。
ただし大使館がドルばらいのみ可、とルール変更したら終わりですけどね。
(他国の大使館はみんなドルばらい。こんなばかなことをしているのは日本大使館だけです。いかにもお役所的ですね)
2003年8月19日火曜日
パスポート作成料99%OFF!!
遙かなりビルマへの道
7月28日10:00、定刻通りカルカッタを飛び立ったヤンゴン経由バンコク行きインディアンエアラインズ727便は2時間のフライトの末ビルマの首都ヤンゴン上空にさしかかった。
窓からはヤンゴン郊外の風景が眺められる。
機は徐々に高度を下げその街並みもどんどん間近に迫って・・・
アレ?アレアレ??
だんだん遠ざかってゆく?!?!
錯覚ではなく間違いなく機は上昇しているのだ!
やがてアナウンス。
「何だかよく分かりませんが現在ヤンゴン空港が閉鎖されているのでこのままバンコクに向います。」
2時間後、何だかよく分からないままバンコクに着陸してしまった。
「ヤンゴンに向う方はこのまま席でお待ち下さい」
そう言ったままひたすら待たされる。
スッチーに聞いても
「何だかよく分からないのよ。この後取り合えず再びヤンゴンに向うけどまだ閉じていたらカルカッタへビューンね」
おいおい、ビューンじゃねーだろ。
ヤンゴンに向うのは私以外には、インド仏跡巡礼ツアー帰りのビルマ人団体。
さすが静かなる仏教国の人々だけあって皆おとなしく席に付いて冷静に待っている。
これがインド人だったらみんな口々にわめきたてスッチーに詰め寄りどさくさに紛れてケツを触ったりして大変なことになっていたところだろう。
私の頭の中では色々な考えが錯綜する。
突然の空港閉鎖ということはクーデターでも起こって反乱軍が空港やTV局を占拠し近づいてきた飛行機は無差別に対空砲で打ち落としたりしているのか?
カルカッタに戻らされたとしてもこっちのミスじゃないから代替出来るまで豪華ホテルでウハウハか?
もうビルマに行くのめんどくさいから3度バラナシで時間つぶすか?とか。
そうこう考えているうち機はバンコクを飛び立ち再びヤンゴン上空にさしかかる。
機は高度を下げる。
どうか打ち落とされませんように・・・!
やはり1年おきくらいに初詣に行きおみくじを引いたりするような信心深さが功を奏したのだろう。
何事も無くヤンゴン到着。
結局色々聞いても閉鎖の理由はよく分からないままだった。
今年は初詣に行ってないので、来年は行くことにします。
2003年7月20日日曜日
ありがとうバングラデシュ
いやー、バングラデシュの旅楽しかったですよ〜。
今回は基本的に観光地巡りしかしていないのですが、他のアジア諸国(特に北インド)で観光地しか行かないとうっとうしい輩がウヨウヨ寄ってきて嫌な思いをするだけで終ってしまいがち。
私が自転車旅が好きな理由の一つは、自転車だと必然的に観光地以外の所に行かなければならないのでそういう所ではボラれたり騙されたりすることが無く一般の優しい人たちに会えるからです。
しかしここバングラデシュにおいては観光地巡りのバックパック旅でもその優しさが味わえる!
この雰囲気は中東のシリアととてもよく似ていて(この例えで、なるほど!と思える人は少ないでしょうが・・)とても懐かしい気持ちになりました。
共通点として挙げられるのは・・・
1。どちらの国の人もやたら親切である。
2。どちらもやたら話し掛けてきてすぐ友達になれる。
3。友達になると親戚友人らに紹介するため町中を引きずり回される。
4。どちらも親日的である(バングラは国際援助で、シリアは日本赤軍の活躍で)。
5。バングラはインド・タイという観光メジャー大国の間にあり、シリアはエジプト・トルコの間にあるため忘れられがちである。ゆえに外国人が珍しい。
というわけでバングラデシュは観光客の少ない今が行きどき!(今後そう増えるとも思えませんが・・)
前にも書きましたが、私が今回ここを訪れた理由は子供の頃親から「バングラデシュに連れて行くよ!」と脅されたあの国がどんなものなのか見てみたいというものでしたが、今となってはわざと好き嫌いして脅されたら諸手を挙げて歓迎したい、そんな気分ですね。
(写真:バングラデシュの朝)
ヒソヒソ話
バングラデシュのほとんどの人は井戸水で生活しています。
しかしその地下水から砒素が検出されて問題になっています。
かといって飲まないわけにはいかないのでみんな飲んでいます。
もちろん私も普通に飲んでいます。
とてもおいしい水なので、本当に砒素なんか入っているのかな~?と疑問に思うこともありますが、ミネラルウォーターのラベルにはデカデカと「Arsenic(砒素) Free!」と銘打ってあるところを見ると事実なのでしょう。
こんなことが書いてあるミネラルウォーターはバングラデシュだけだろうなあ。
それでも負けずにみんな元気にやっています!!
2003年7月5日土曜日
カユイ
私としてはバングラデシュはかなり強力にお勧めしたい国であるのだが、もちろん難点もある。
それは虫が多いことだ。
高温多湿の国なのだから仕方のないことではあるが。
川・沼・湿地ばかりだから蚊が多いのも仕方が無い。
寝るとき蚊帳を張ればそれでいいのだ。
(安宿にもちゃんと蚊帳くらいはある)
ベッドに南京虫が居たりするのも仕方が無い。
安宿には付き物だ。
ただ、これはかなわん!と思ったことが一度ある。
それは初めて映画館に入ったときのこと。
席についてしばらくすると何やら体がモーレツに痒くなってきた。
どうやら木製の肘掛けと背もたれがダニの巣くつになっていたらしく、両腕・背中一面ぼこぼこに腫れてしまった。
1週間くらいカユミが引かなかった。
でもバングラ映画はインド映画の豪華さをパワーダウンし、お色気シーンだけはパワーアップしたようなB級映画でかなり笑えます。
ぜひどうぞ。
2003年6月17日火曜日
ベンガル語教室
おそらく言語学的には全くつながりのないと思われる日本語とベンガル語ですが、その中に無理矢理似た言葉を見つけてみました。
その1「コイ」
川で捕れる淡水魚で木に登るらしい。
カレーの具になるが日本の「鯉」とは全く関係はない。
使用例:「日本人はどんな魚を食べるか?」「コイ」
その2「チョット」
少し・小さい・狭い、などの意味で使われる言葉
使用例:「日本人のチ○コはでかいか?」「チョット」
2003年6月11日水曜日
刺線な視線
まだまだバングラデシュには外国人旅行者が少ないので、どこに行っても好奇の目で見られます。
しかもその見方というのがチラチラ見るとかじゃなくて、一心不乱に凝視してくるのです。
食堂にでも入れば従業員・客の全員から大注目を浴びるのは必至。
別にガンを飛ばしているわけじゃなくて気になるから見ているわけで、こっちから笑いかければ向こうもニコッ。
さすがにこういう露骨な見方をするのは男性だけであり、女性の方はもう少し遠慮気味。
ある時下校する女学生の群れに会いました。
やはり皆私の方を見ています。
そこでこっちもそちらの方に顔を向けると全員がぱっと顔を背ける。
また別の方に顔を向けるとそちらもぱっと顔を背ける。
まるで回遊している魚が一斉に向きを変える様を見ているようでした。
このような注目度は中東の方でも体験したことがあり、始めの頃はそのジロジロ感がとても気になったのですが、目の前に珍しいもの(私のこと)があるから見たいと思っているのなら、私にとっても珍しいもの(アラブ人)があったら見ても構わないんだ、と思えたら気が楽になりました。
ある時トルコで眉毛のつながった人がいました。
アラブ人トルコ人は毛深い人が多いので眉毛のつながったのは珍しくないんですが、何とその人の眉毛は横真一文字につながっていたのです!
これはじっくり見とかなきゃ損だ、とジロジロ見続けていたら、しばらくしてその人は嫌そうな顔をしてどっか行ってしまいました。
「勝った!」と思った瞬間でした。
そして時は過ぎ長い旅から日本に帰った時。
成田から都心に向かう電車の中に女子高生が乗ってきました。
久し振りに見るミニスカート・ナマ足・ルーズソックス!
その珍しさに思わずクセでジロジロ凝視してしまいました。
やがてその子は「何よこの変態!」って顔で別の車両に移ってしまいました。
「負けた・・・」と思った瞬間でした。
マイノリティ
インドにおける宗教人口割合は、ヒンズー73%、イスラム15%ぐらい。
バングラにおいてはそれがほぼ逆転し、イスラム88%、ヒンズー10%。
インドにおいては宗教マイノリティーであるイスラム教徒たちは、男はみなトルコ帽にムスリムスーツ、女は顔まで覆う真っ黒なチャドルを着ている。
しかしバングラにおいてはムスリムでもその格好をしているのは少数派で、男は洋服だし女はサリーを着ている。
やはりマイノリティーたちは自分たちのアイデンティティを誇示するためにそうせねばならないのだろうか。
乾燥しているならまだしも、蒸し暑いカルカッタにおいてはさすがにつらいのか、顔の覆いだけは外している女性が多かった。
やっぱり暑いんだろう。
この点は中国において大多数の漢民族が洋服なのに、少数民族は普段から民族衣装を着ている、というのも同じ理由なのかも。
文化の境界
インドにおいてうなずきの仕草は首を横に振ります。
バングラデシュ人は縦に振ったり横に振ったりとあいまい。
お隣のビルマではどうかな?
もし縦振りだったらバングラデシュが境界ということになりますね。
他の例として5本の指先をくっつけて手をすぼめる形はエジプト・ヨルダンあたりでは「止まれ」を意味するのですが、トルコにおいては「ベリーグッド!」を意味するのです。
間のシリア北部の人たちは両方の意味で使っていてややこしかった。
また中国において「ありがとう」の言葉は、
普通話では「謝謝(シェイシェイ)」、
広東話では「多謝(ドーチェ)」。
ちょうどその境界あたりの山間の村では「ドーシェイ」と言っていました。
こうなるとサリー着用の境界、手掴み食いの境界、尻水洗いの境界も気になるところですね。
ものすごいドナドナ
インド・カルカッタに着いたときにまず不思議に思ったことは牛が全く見当たらないこと。
私が歩いて見た限りではなく、他のツーリストに聞いてもやっぱり見たことない、と言うのです。
他の土地では必ずどこに行ってもいて、インドの風景に溶け合っていたのでカルカッタは何かインドのようでインドでない感じ。
考えられる理由としては・・・
1。町の近代化、交通渋滞防止のために政府が駆除(?)した。
2。牛肉OKのイスラム教徒が食べてしまった。
3。たくさんいる乞食の方々が背に腹は変えられず食べてしまった。
4。宇宙人に拉致された。
結局なぞは解けぬままバングラデシュに来てしまったのですが、あるバングラ人がこう言っていました。
「バングラデシュは食用としてインドから牛を輸入している」
1億4千万人のムスリムバングラ人の胃袋を満たすためバングラデシュから目と鼻の先にあるカルカッタから大量の牛が輸出されてしまったため消えてしまった・・・
考えられなくもないですね。
インドでは過保護にされ、八百屋の商品をのうのうと盗み食いしたりしている牛たちも、うかうかしてたらバングラ人に食べられちゃうぞ〜!
