シンガポールから香港に飛んできました。
今回は50kgの預け荷物、何の文句も言われず一発フリーでした。
グレイトキャセイパシフィック!
ここは3年前、旅をスタートさせた出発の地。
振り出しに戻ってきたわけです。
ここで中国の1年ビザを取りました。
過去2回のチベット、いずれもビザ期限に追われ逃げるようにネパールへ下りていたので今回はゆっくりと移動できそうです。
まずは西へ、雲南を目指します。
2005年6月14日火曜日
香港に来ました
さらばシンガポール
シンガポール在住の皆さん、及びシンガポールフリークの皆さんには申し訳ないですが、シンガポールははっきり言ってつまらない。
空港を出て「いやー、外国にやって来たなあ!」という感激の度合いを例えばインド・エジプト辺りを100、日本を0(自国なので)とすると、シンガポールは「2」程度だろう。
街並み(日系デパート多し)、人々の顔つき(中国系多し)、交通(日本車多し)…。
私の場合、旅の途中、しかもインドからの渡航だったのでそれまでとあまりに違う世界にそれなりに驚きもしたが、日本からここだけのためにやってきた人は果たしてどう感じるのだろうか?
そんな訳でまあ特に感想もなくこの国を去ることになるだろうな、と思っていた最終日の地下鉄で。
私の横にインド人の少女が座っていた。
ある駅で中国人のおばあちゃんが乗ってきた。
するとすかさずインド人少女はその中国ばあちゃんに席を譲った。
降りる時おばあちゃんはその少女に何度も「謝謝」と言っていた。
彼らの元々の国(インドと中国)ではまずお目にかかることのできない光景である。
さすが文化もマナーも先進国シンガポール、ちょっと心が温かくなったような気がした。
J・A・P!
シンガポールでは観光らしきことはせず、特に目的も決めずブラブラ歩いているだけで何かしら無料イベントとかやっていてそれなりに楽しめた。
だが一ヶ所だけ自ら望んで行った所がある。
それは太平洋戦争当時の日本軍の作った俘虜収容所跡地に建てられた博物館。
小さな建物だが、中には日本兵の行った捕虜への残虐な行為を数々の写真(さらし首とか銃殺とか)で示してありブルーな気分になる。
しかし以前韓国の同様の博物館でもかなりブルーになったが、ブルー度はいまいちである。
どうしてかな?
少し考えてわかった。
あれは「韓国に建てられた韓国人による韓国人のための博物館」だった。
しかしここは「シンガポールに建てられた英国人による英国人のための博物館」であり、多数の被害者を出したはずの地元中国人やマレー人、インド人は無視されていた。
展示物の中に日本軍を風刺した漫画があるのだが、ビックリしたのはその説明文で
「路面電車の出口から小便をする"JAP"」とか
「夜な夜なジキジキハウスで楽しむ"JAP"」とか
「戦争初期は太っていたが末期はガリガリになった"JAP"」とか
とにかく『JAP』のオンパレードなのだ。
いくら日本軍の悪行の博物館とはいえ、公共のこの場で「JAP」連発はあまりに酷いのでは…。
日本で政治家がたとえ弾みでも「バカチョンカメラ」とでも言おうものならテポドンが200発ぐらい飛んできそうなものだが…。
日本大使館は抗議できないのかな?
戦勝国の優越感+敗戦国の引け目+日本独特の遠慮。
おそらく永久にこのままだろう。
入り口に掲げられたスローガン。
「忘れてはならぬ。ジャップの行為を。」
2005年6月7日火曜日
幅5mmの攻防
9年5ヶ月前に作ったパスポートの期限が迫ってきた。
このあと中国の1年ビザを取りたいと思っているので、ここシンガポールで更新の手続きをしなくてはならない。
日本大使館のパスポート窓口で順番を待つ。
ハンコの並んだパスポートをペラペラやりながら9年5ヶ月前の東京有楽町のパスポート発行センターでの出来事を思い出していた。
春休みの学生旅行シーズン前のため大行列ができていた。
随分待たねばならなかったがやっと順番が来て必要書類と写真を差し出した。
すると窓口の男は写真に定規を当てて冷たく言った。
「頭の上の空白が4mmしかなく『1mm』足りませんね。駅前で撮り直してきてください。」
ウブだったオレは体制に反抗する、というすべを知らず、なぜ1mmくらい…と思いながらも言われるままに写真を撮り直していた。
しかしその反抗の思いは表情に現れていた。
今自分で見ても「これは本当に自分か?!」と疑うようなムッとした顔で写っているのだ。
おかげで時々各国の入国の際、本物と写真の顔をかなり比べられる。
話は現在のシンガポールに戻る。
あの時と同様、手には必要書類と写真。
その写真は前にバングラデシュの写真館で撮ったものだったがどう見ても頭の上の空白が3mmくらいしかない。
順番が来てオレはそれを差し出した。
係の女はやっぱり写真に定規を当てシブイ顔をして言った。
「ちょっと上の空白が…」
だがオレはもうあの時のようにウブではない。
都合30カ国以上、10年のうち4年間は海外にいて、幾多の困難をくぐり抜けてきた旅のプロだ、猛者だ、達人だ、つわものだ、やり手だ、巧者だ、老師だ、先生だ、ティーチャーだ、マスターだ、導師だ、グルだ。
オレはニコヤカな笑顔で言った。
「そんな固いこと言わないで下さいよ」
女は「ちょっとお持ちください」と言って奥へ入っていった。
上司に相談しているのだろうか。
そして戻って来た彼女もニコヤカに言った。
「これでも大丈夫です」
旅は人を一回りも二回りも大きくさせるものだ。
(写真:旧パスポート)
マーライオン
旅人の間で語られる話の中に「世界3大ガッカリ」というのがある。
これは、有名なのでわざわざ見に行ってみたが、あまりの小ささにガッカリさせられるもの、のこと。
その一つがシンガポールのマーライオン。
見に行ってみたが、「小さい小さい」と言われ続けてどんなに小さいものか期待してしまったため、それなりに大きくて逆の逆にガッカリさせられてしまった。
ちなみに残り2つのガッカリはコペンハーゲンの人魚姫像とどこぞやの小便小僧、というのが定説だが、エジプトのスフィンクスとかオーストラリアのオペラハウスという人もいる。
(写真:高層ビルに囲まれますます小さく見える…)
タバコの吸いすぎは体に毒です
シンガポールの物価は日本の半額程度で、香港並み、といった感じか。
税率のせいだろう、酒は日本と同じくらいの値段。
更に凄いのがタバコで、一箱700円もする。
凄いのは値段だけじゃなくて、各パッケージには
「タバコを吸うと肺が真っ黒になります」と書かれた肺の写真とか
「歯茎がヤニで真っ黒です」の口内写真とか
「母体がタバコを吸うと胎児が死にます」の赤ちゃんの写真とか
「肺ガンになるとメチャ苦しいです」の手術中の写真とか
「家族は大迷惑です」の吹かすパパと苦しがる妻と子供の写真とか。
かなりエグイ写真のオンパレードで、パッケージコレクター及び人体写真コレクターにとっては収集家魂をゆすぶられること間違いなし。
たとえ一箱700円でも買い揃えずにはおれないだろう。
シンガポール政府のタバコ政策アッパレなり。
ショッピングと私
シンガポールの街。
デパートにショッピングコンプレックス。
世界各国の味が楽しめるレストランの数々。
東京と全く変わらない。
いや、加えて中華街、アラブ街、インド街。
東京以上の密度でありとあらゆるものが揃っている。
日系デパートもある。
地下には巨大スーパー。
日本コーナーには醤油・味噌・お茶にお菓子。
何でもある。
でも。
店内をくまなく眺め歩き、たこ焼き・寿司・牛丼の並ぶ食堂街をやり過ごし、結局何一つ買うことなく出てしまった。
別に何を欲しいとも食べたいとも感じなかったのだ。
その後中華屋台でそばをすすりながら、自分では思いも寄らぬ自分自身の行動に自らが一番驚いていた。
長い旅の中にいたせいで頭のネジが一本抜けてしまったのではないか?
もう日本の生活には馴染むことが出来ないのではないか?
本気で心配になった。
だが。
そんなはずはないのだ。
だってついこの前までいたインドではカレー地獄の毎日にとりあえず何でもいいから他の味付けのものが食べたい!
と思い続けていたし、お菓子屋に並ぶスパイシー味だらけのポテトチップを見てはイカ姿フライ(5枚100円)や歌舞伎揚げの味を思い出し、口内に唾液をためていたのだから。
しかし。
このように「そんなに言うならこれでどうだ!文句はねーだろ!!ドドーン!!!」
と並べ立てられてしまうと、目移りして、クラクラして、もうそれだけでお腹いっぱい、勘弁してください、となってしまったようだ。
きっと。
西チベットのど真ん中にたこ焼き屋台がポツンと一軒あったなら、側にテントを張り10連泊してたこ焼きを食べ続けたことだろう。
バングラの片田舎に「寿がきや・バングラ片田舎店」があったならビザを延長してでも毎日通って肉卵入りラーメンを食べ、食後にはクリームぜんざいを注文することだろう。
(名古屋の人しか分からんネタでスマン)
手の届くところにないからそれが買いたくなる。
購買欲とはそういうものなのかも。
罪と罰
以前バングラデシュで会ったシンガポール人の友人が空港に迎えに来てくれた。
再会を祝し、彼のために買ってきたバングラタバコで一服しようとバッグから取り出した。
すると彼が「ダメだダメだ!しまうのだ!」と血相変える。
聞けばシンガポールはタバコの持ち込みは一切免税されず、町中で海外製品を吸っていると警察ににらまれるらしい。
服をあまり身につけていない人の写真がいっぱい載っている本も持ち込み禁止らしく、なぜだか私の鞄にはそんな本が入っていたりして、もし税関チェックがあったらヤバイところだった。
シンガポールといえば、ゴミポイ捨てには多額の罰金とか、麻薬持ち込み即死刑とかは有名だが、まだまだ私の知らないルールがいくらでもありそう。
道徳に反するような行為、他人が不快に感ずるような行為にはどんな罰が待っているか分からない。
エスカレーターの右側を塞いだら逆さ吊りの刑、
ガラスを爪でキーとやったら両腕切り落としの刑、
エレベーターの中で屁をこいたらムチ打ち100回の刑、
会議中に欠伸をしたら36ヶ月50%給料カットの刑、
なんてのもあるかもしれない。
いやはや、小心者にとっては心臓に悪い国ですな。
そして奇跡は起こった
もう一台のカメラは長年愛用しているオリンパスのミュー・ズーム。
いわゆる普通の「バカチョンカメラ」というやつだ。
3ヶ月前インドのホーリー祭の時。
この祭りは色水をぶっ掛けあう狂った祭りである、というのは以前ここに書いた。
その色水はプラスチック製品や衣類に強力に浸透してしまって色が取れなくなるので宿の屋上で色水を掛け合う前に、ビニール袋の中にカメラと身に着けていたお守りの品々を外して入れておいたのだ。
ビシャビシャギャーギャーやっていたその時、一匹の大きなサルがノソッと寄って来てその大切なビニール袋を強奪してしまった。
ワーワー追っかけてもサルは屋根から木へとヒョイヒョイ飛び移ってしまって手が出せない。
サルは悠々と袋の中を調べるが、食べ物がないと知るとアッサリその袋を放棄してしまった。
といってもそこは地上5階に匹敵する木の上。
あわれ私のカメラの入った袋は(重力加速度)×(地上に達するまでの時間)のスピードで地面に叩きつけられた…。
気を失いそうになる身を立て直し、ダッシュで階段を駆け下り、頑丈に施錠してある扉を「緊急事態だ!すぐ開けろ!!」と開けさせ、袋の所へ駆け寄る。
袋の中にはグチャグチャに潰れたカメラの残骸が……なかった。
プラスチック製のスライド式レンズカバーが割れて外れていたが、他は何にも問題なく作動する。
地上15mから落下してこれだけの損害で済むのか?!
そんなことってあるのか?!?!
しかし、同じく袋の中に入れてあった、以前チベットのラサを発つ時もらった石の腕輪がグシャッと潰されたようにひしゃげていた。
チベットのお寺で買った木製の数珠に傷がついていた。
この2つがクッションとなりカメラを守ってくれたというのか?!
今でもそのカメラはレンズカバーはないものの何の支障もなく写真を撮り続けている。
チベットの神様、ありがとう。
オリンパスの方々、ちょっとの間でもミノルタに浮気してしまった私をお許しください。
それ以降チベットとオリンパスの方向には足を向けて寝られない。
なるべくミノルタの方向に足を向けて寝るようにしている。
何のためにここまで来たのか…
今回私がメインに使用しているカメラはミノルタのTC-1。
いわゆる「高級コンパクトカメラ」というやつで定価は驚きのぢうご万円(中古で買ったので本当の買値は5万円だが)。
でも西チベットを越えてネパールに下りてきた時点で、まるで役目を終えたかのようにアッサリ動かなくなってしまった。
落とした訳でも、水につけた訳でもないのに…。
まあ始終振動の中にあるので止むを得ないのかもしれないが、あまりに弱すぎる。
しかしとりあえず修理しなくては、とインド周辺で探したところ、シンガポールにサービスセンターがあった。
事前にインドから国際電話で
「TC-1の修理をそちらで受け付けてくれるか?」
と聞いておいた。
返事は「もちろんOK」。
それで今シンガポールに来ているわけだ。
で、早速サービスセンターに行ってきた。
受付の小姐にカメラを渡し、状態を説明した。
中に入って1分後、小姐の口から出た言葉は、
「このカメラのパーツはここにはないので日本へ一旦送り修理することになるため1ヶ月ほどかかります。料金は2万円です。」
な、なにーーー!!!
料金の高いことは覚悟していたのでよい。
ただ問題は「1ヶ月」という期間だった。
このシンガポールで1ヶ月も耐えることはとても出来ない。
それに遅くとも1ヵ月後には中国に居なくてはならない大切な用事があるのだ。
その条件で修理を依頼するわけにはいかなかった。
失意の中、呆然として考える。
一体何のためにここまで来たのか…。
高い飛行機代まで払って…。(前項参照)
確かに受付小姐が電話で「受け付ける」言った話は間違ってはいないので彼女は責められない。
悪いのはもっと詳しく聞かなかった自分なのだから。
やり場のない怒りと激しい後悔で
「てめえのバカさ加減には父ちゃん情けなくて涙出てくらい!!」
(byあばれはっちゃくの親父)
と自ら壁に体当たりしブリキのたらいを頭上から落としたりしてみても結局はあとの祭り。
でも救いはあった。
実はもう一台、スペアのカメラを持っているのだ。
しかしそのカメラも3ヶ月前、絶体絶命の危機にさらされたことがあった…。(つづく)
