・・・と何だか偉そうなことを書いてしまったが(前項参照)、実は先週の六本木デモに関しては、集会には参加したものの肝心のデモ行進には野暮用があって参加できなかった。その日の夕方から職場の慰労会が熱海で行なわれるので、それに向かわねばならなかったのだ。
チベットの人々が命を賭けて自由を求め、それに呼応する多くの人たちが世界中で立ち上がっているというのに、自分はアッサリとタダ風呂・タダ飯・タダ酒の軍門に下ってしまった。
それを大いに恥じた私は、デモの離脱後もせめてもの想いを込めて「チベットに自由を!」と書かれたポスターを掲げたまま熱海へ向かった。
地下鉄日比谷線・JR山手線・新幹線、そして翌日も調子に乗って箱根の名所各地で一人デモを敢行した。ほとんどの人は全く無視するか、チラリと目を向ける程度。混んでいる電車内、なぜか私の横の席に誰も座ろうとしなかったり、と恥ずかしい気持ちも味わってしまったのだが、チベットの人たちの苦しみを思えば屁でもないさ。
それでもたった二人だけ(山手線内と箱根で)「頑張ってね」と声をかけてくれる人がいた。私以上に勇気ある行動だと思う。内気な日本人の性格から判断して、この1000倍はそう思ってくれる人がいると信じたい。
いやはや、それにしても世にチベットを想う活動家は数多かれど、芦ノ湖遊覧船に乗ってまでアピールしたことあるのは私ぐらいではなかろうか。
その勇気と功績、非暴力の精神が評価され、来年あたりノーベル平和賞を受賞する予定である。
2008年3月31日月曜日
一人でもデモ
2008年2月23日土曜日
靴
インド庶民の多くは靴をはかない。
裸足かビーサンである。
そういう人の足の指は見事にまっすぐだ。
ヒンディー語の辞書に「外反母趾」の文字はないとみた。
以前砂漠の民で今まで靴・サンダルのたぐいを履いたことがない、という人に会った。
その人の足の裏は見事に角質化していた。
いや、それを通り越して岩のように固まっていた。
足自体が靴と化していた。
今まで色んなすごい人を見てきた。
山のような荷物をボロ自転車で運ぶ中国人、希薄な空気の中を元気に走り回るチベット人、ボロビーサンで荷揚げするネパール人ポーター、歯でビンのふたを開けるエジプト人(←これは違うか)。
そういう人らに比べ、自分を含め「先進国」といわれる国の人々の何と貧弱なことか。
何をもってして「先進」なのか?
「先進」どころか人間としては「退化」しきってしまっている。
これではいかん、と修行のため裸足で買い物に出てみた。
角を曲がったところで牛のウンコを踏んでしまった。
慣れないことをするもんではない。
2008年2月16日土曜日
外国人宿泊事情
中国のとある小さな町でのこと。
いつも通り10元(150円)の安宿にチェックイン。
中国では外国人が泊まっていい宿(高級)とそうでない宿(低級)が決まっていることが多く、いつも安宿に泊まろうとするときには事前に外国人であることを告げ、泊まっていいかどうか確認しておく。
多くは「没問題!」と歓迎してもらえるのだが・・・。
スヤスヤ眠りについた夜中1時、突然ドンドンとノックの音。
ビックリして扉を開けるとオーナーが申し訳なさそうな顔して「外国人はこの宿には泊まれず『安全な』別の宿に移動せねばならない、と公安から命令されました」という。
だから確認しておいたのに!とオーナーを責めるわけにはいかない。
私が訪れるような普段外国人が来ないような町の宿では、そういったルールがあることすら知らない人が多く、夜に宿泊者名簿を公安に届けた時点で指摘され初めて知る、ということが結構あるのだ。
しぶしぶついてゆくとそこは大理石ロビーのきらきら輝く町一番の高級ホテル、一番安い部屋でも260元(4000円)!
そんなお金はない!!
翌朝両替するつもりだったので手元には50元しかなく本当に払えないのだ。
仕方ないので今度は公安まで出向いて「お金が無いので公安の命令には従えない。安宿に泊まれないのならこの町で一番『安全』なこの公安の建物の中で寝させて欲しい」と駄々をこねてみると、さすがに公安も渋い顔をし「それはちと困る。ちょっと待て」と言ってその高級ホテルに電話をかけた。
「今からそっちに貧乏な外国人が行くから10元で泊めさせてやれ」
260元をなんと10元に値切ってくれました!
96%OFFのスーパーディスカウント!!
鶴の一声!歓迎職権乱用!不滅国家権力!!中国公安バンザイ!!!
しかし夜中の1時2時に町中を移動させるのが『安全』のためですかね~??
2008年2月13日水曜日
動物愛護協会
「食は広州にあり」といわれるだけあって、ここの食文化はすごい。
市場に行くと、牛・豚・鳥にとどまらず、犬・猫・カエル・蛇・さそり・ムカデ・ヒトデなどなど昔ゴム製のびっくりおもちゃでしか見たことないようなのが食材として売られている。
オバちゃんが洗面器の中でウジョウジョうごめくサソリを一匹一匹つまみ出して活きのいいのを選んでいたりする。
レッサーパンダみたいなのとかも小さなオリに入れられて売っていて、そんじょそこらの動物園なんかよりよっぽど品数豊富である。きっと裏ではジャイアントパンダも高額で取引されているとみた。
中国人の食に対する執念を感じる。
食材となる犬や猫は狭いオリの中にギュウ詰めにされ、自らの運命を悟っているのかグダリと元気がない。
しかしその食材店の横にはなんとペットショップがあって、そちらでは毛並みツヤツヤのワンちゃんが一匹ずつきれいなオリに入れられたりしていて。
人間様以上に畜生の世界も血筋が悪いととんでもないことになっちゃうのだなあ。
しかしこれは2003年のSARS騒ぎ以前の話。
その後ここを再訪したら、その市場はきれいにサラ地になってしまっていた。
2008年2月12日火曜日
チベットの空
チベットで遊牧民のテントに泊まらせてもらったときのこと。
朝早く起きて乳絞りをしたあとは放牧に出る。
私もお手伝い(といってもただついていっただけ)。
草地に放ったあとは草原でゴロリお昼寝。
雨季の後の草原は青々とした草が芽吹き、空は抜けるような青空、ポカリと白い雲が浮かんでいる。
うーん、こんな所で横になって流れる雲を見るのが夢だったのだ!
で、ゴロリ。
・・・・ウ・・・・アレ・・・・ジリジリ・・・・暑い、いや、熱い!
日差しが強烈すぎてとても空など見ていられない!
昼寝するにも顔を服で覆わねば!
そして流れる雲が太陽にさしかかる。
・・・・ウ・・・・アレ・・・・寒い!
日が隠れたとたんモーレツに寒くなる。
とてもTシャツ短パンじゃいられないので着込む。
雲が取れる・・・・熱い!
なかなかじっとしていられないのだ。
その点遊牧民の民族服はやはり地元の気候に合った作りになっているようで、露出しているのは顔と手の先だけ。でもその部分だけは真っ黒に日焼けしてガサガサ。
やがて夕暮れ時。
しかしチベットに夕焼けはない。
空気が薄く大気中にチリ・水分が少ないから。
考えてみれば当たり前だけど日の沈む前は赤くなるのが普通と思っている我々にはちょっと不思議。
そしてこの日が沈む直前の東方の景色を見るとそれはそれは美しいのだ。
空・草・水、すべての色が映えて見える。
その日が山の向こうに沈むとやはり突然寒さがやってくる。
そして1時間も経たないうちに満天の星空。
これが日本には存在しない、4300mから見る空。
2008年2月9日土曜日
夢之丞七変化
●実験の目的
チベットを安全かつ快適に不法旅行するためには中国人と思われる事が重要である。しかし同じ東洋人顔なのになぜか日本人とばれてしまうことが多い。その境界を探る。
●実験方法
様々な格好で町を通り抜ける。「ハロー!」と英語で声かけられる割合を集計する。なお対象は登下校中の小学生である。
●結果
1.Tシャツ短パン姿で荷物満載の自転車に乗る・・・100%
2.赤レインウェア(上)、短パン姿で空荷の自転車に乗る・・・90%
3.赤レインウェア(上)、短パン姿で歩く・・・80%
4.Tシャツジーンズ姿で空荷の自転車に乗る・・・20%
5.長袖ジーンズ姿で空荷の自転車に乗る・・・5%
6.借りた中国製地味ジャケット、ズボン姿で歩く・・・0%
●結論
以上の結果より決め手は派手な原色のウェアと季節はずれの短パンにあるといえる。自転車に関しては野良仕事に出かけるオッサンがマウンテンに乗っている(もち中国製ボロ)のを見るのも珍しくないので関係ないだろう。
なお、実験を行ったのは成都方面からの不法入域外国人狩りのチェックポストのある町であった。試しに6.で公安の前を歩いてみたが(かなりドキドキした)声をかけられる事はなかった。
●今後の展開
この結果を参考にし、以下のメーカーに以下の製品の開発を要望する。
・パタゴニア:人民服風フリース(上下)
・モンベル:ズダ袋風バックパック
・オストリッチ:竹編みかご風サイドバッグ
・資生堂:日光にあたると真っ黒に皮膚はガサガサにひび割れるサンオイル
・アデランス:中国人風角刈りカツラ
・セイコー:決して動かない腕時計
あと白人向けとして
・背の低く見える逆シークレットブーツ
・毛沢東のお面
以上のアイテムをそろえる事で快適なチベット旅がおくれる事だろう。
チベットを毛沢東顔がぞろぞろ歩く日もそう遠くはない。
(実験者注:以上の試験は2002年に行ったもの。現在は派手なウェア着て自転車で旅する中国人がゴマンといるので日本人なら黙っていればまず外国人と思われない。)
2008年2月7日木曜日
垢太郎
チベット高原を横断しラサに到着して宿に入ってからまずした事は、40日ぶりに体を洗った事。
垢すりタオルに石鹸をつけてゴシゴシゴシ。黒い垢が止めども無く出てきて排水溝が詰まりそうになるくらい。
うーん、サッパリ!
その晩・・・。
寝る前に肌を見てビックリ!
今までしっとりツヤツヤしていた肌が、急にガサガサになり白い粉をふいてしまっている!
チベット人(特に田舎)は一生に3回しか体を洗わないとも言われる。
生まれたとき・結婚したとき・死んだとき。
徳を落とす、という理由でそれ以外にはまず体を洗わないが、これはやはり風土・気候に合った生活の知恵なのだろう。
強烈な紫外線と乾燥から肌を守るためには、バター茶をタップリ飲んで脂質を補充し、垢まみれになって皮膚の乾燥を防ぐ。乾燥してるからそんなに臭くならないし、周りがみんなそんなだから自分さえ気にしなければ他に気にする人もいない。
その垢は落としてはいけない大切な防護服だったのだ。
またバター茶をいっぱい飲んで垢をためる事にします。
2008年2月6日水曜日
高地順応
初の4000m峠越えの時のこと。
そこは50km移動する間に一気に2400m標高が上がる行程。さすがに一日で登ってしまうのは危険だと思い、のんびり2~3日かけて体を慣らしながら行くつもりだった。
しかし動き始めたら体がとても軽く、気がつけば既に4200mの峠手前まで来てしまっている。
肉体的疲労や多少の息苦しさはあるものの、高山病でよく言われる頭痛・吐き気等は全くなく快調そのもの。
夕方になりちょうど道路工事の人からお声がかかりそのままそこの峠で泊まる事にしてしまった。
翌朝・・・。
ズキズキ酷い頭痛で目が覚めた。気分が悪く食欲もわいてこない。
これが世に言う高山病ってやつか!やはり一日で一気に登ってしまったのは無茶だったか。
こういうときは何よりもまず下界に向かうことだ。
おっちゃんたちに礼を言ってフラフラと峠を下り3000mまで高度を下げた。
しか~し!
一体どうしたことだろう、症状は一向に改善せず。
それにしてもこのムカムカ感、過去にも経験したことがあるような気が・・・。
思い起こしてみれば昨晩は歓迎の白酒(60度)攻撃+エンドレスご飯+歓迎の牛一頭ほふって焼き肉大会で気持ち悪くなるほど飲み食いしたんだった。
ということはこの頭痛と食欲不振の原因は高山病なんかじゃなくて、日本でも幾度となく経験したことのある二日酔いと食い過ぎに過ぎなかったわけか。
結局以降もほとんどを4000m以上で生活したにもかかわらず一度も高山病らしき症状はナシでした。
2008年2月5日火曜日
喰道楽
巷では餃子に農薬が含まれていたというエキサイティングな話題で持ちきりだが、去年末には中国国内で一つの即席麺を食った児童4人が泡吹いて即死というファンタスティックな事件があった(中国国内ではニュースでやっていたけど日本ではどうかな?)ばかりなので「まあ当然かな~」と別段驚きもせず。
中国といえば肉マンにダンボールを混入するというエキセントリックなネタも提供してくれたが、あの時も「それくらいだったらみんなやってるだろうな~」と思った程度。
逆にインタビューされた近所の人が「いやー、今朝もそれ食べたけど全然気付かなかったな~」と言っているのを見て「さすがは中国人!ダンボールさえもそんなにうまく料理できるのか!」と感心してしまった。
次は何をやらかしてくれるのか楽しみでしょうがない。
2008年2月4日月曜日
進むべき道
インドで入院中、司馬遼太郎「竜馬がゆく」を読みました。
いやー、すごい人たちがいたもんですね。感激しました。
竜馬の生き様は私の今度の人生の指針となりました。
まず帰国後、私と同じく旅中に肝炎を病んだ同志を見つけ出し、フォークグループ「肝炎隊」を結成。
デビュー曲「肝に捧げるバラード」をひっさげ芸能界に殴り込みをかけます。
♪今も聞こえるあの点滴の音・・♪
その後ドラマ「3年B組肝八先生」に主演、若者に肝炎のつらさを説きます。
CD出たら買ってね!!
