2003年6月17日火曜日

ベンガル語教室

おそらく言語学的には全くつながりのないと思われる日本語とベンガル語ですが、その中に無理矢理似た言葉を見つけてみました。

その1「コイ」
川で捕れる淡水魚で木に登るらしい。
カレーの具になるが日本の「鯉」とは全く関係はない。
使用例:「日本人はどんな魚を食べるか?」「コイ」

その2「チョット」
少し・小さい・狭い、などの意味で使われる言葉
使用例:「日本人のチ○コはでかいか?」「チョット」

2003年6月11日水曜日

刺線な視線

まだまだバングラデシュには外国人旅行者が少ないので、どこに行っても好奇の目で見られます。
しかもその見方というのがチラチラ見るとかじゃなくて、一心不乱に凝視してくるのです。
食堂にでも入れば従業員・客の全員から大注目を浴びるのは必至。
別にガンを飛ばしているわけじゃなくて気になるから見ているわけで、こっちから笑いかければ向こうもニコッ。

さすがにこういう露骨な見方をするのは男性だけであり、女性の方はもう少し遠慮気味。
ある時下校する女学生の群れに会いました。
やはり皆私の方を見ています。
そこでこっちもそちらの方に顔を向けると全員がぱっと顔を背ける。
また別の方に顔を向けるとそちらもぱっと顔を背ける。
まるで回遊している魚が一斉に向きを変える様を見ているようでした。

このような注目度は中東の方でも体験したことがあり、始めの頃はそのジロジロ感がとても気になったのですが、目の前に珍しいもの(私のこと)があるから見たいと思っているのなら、私にとっても珍しいもの(アラブ人)があったら見ても構わないんだ、と思えたら気が楽になりました。

ある時トルコで眉毛のつながった人がいました。
アラブ人トルコ人は毛深い人が多いので眉毛のつながったのは珍しくないんですが、何とその人の眉毛は横真一文字につながっていたのです!
これはじっくり見とかなきゃ損だ、とジロジロ見続けていたら、しばらくしてその人は嫌そうな顔をしてどっか行ってしまいました。
「勝った!」と思った瞬間でした。

そして時は過ぎ長い旅から日本に帰った時。
成田から都心に向かう電車の中に女子高生が乗ってきました。
久し振りに見るミニスカート・ナマ足・ルーズソックス!
その珍しさに思わずクセでジロジロ凝視してしまいました。
やがてその子は「何よこの変態!」って顔で別の車両に移ってしまいました。
「負けた・・・」と思った瞬間でした。

マイノリティ

インドにおける宗教人口割合は、ヒンズー73%、イスラム15%ぐらい。
バングラにおいてはそれがほぼ逆転し、イスラム88%、ヒンズー10%。

インドにおいては宗教マイノリティーであるイスラム教徒たちは、男はみなトルコ帽にムスリムスーツ、女は顔まで覆う真っ黒なチャドルを着ている。
しかしバングラにおいてはムスリムでもその格好をしているのは少数派で、男は洋服だし女はサリーを着ている。
やはりマイノリティーたちは自分たちのアイデンティティを誇示するためにそうせねばならないのだろうか。
乾燥しているならまだしも、蒸し暑いカルカッタにおいてはさすがにつらいのか、顔の覆いだけは外している女性が多かった。
やっぱり暑いんだろう。

この点は中国において大多数の漢民族が洋服なのに、少数民族は普段から民族衣装を着ている、というのも同じ理由なのかも。

文化の境界

インドにおいてうなずきの仕草は首を横に振ります。
バングラデシュ人は縦に振ったり横に振ったりとあいまい。
お隣のビルマではどうかな?
もし縦振りだったらバングラデシュが境界ということになりますね。

他の例として5本の指先をくっつけて手をすぼめる形はエジプト・ヨルダンあたりでは「止まれ」を意味するのですが、トルコにおいては「ベリーグッド!」を意味するのです。
間のシリア北部の人たちは両方の意味で使っていてややこしかった。

また中国において「ありがとう」の言葉は、
普通話では「謝謝(シェイシェイ)」、
広東話では「多謝(ドーチェ)」。
ちょうどその境界あたりの山間の村では「ドーシェイ」と言っていました。

こうなるとサリー着用の境界、手掴み食いの境界、尻水洗いの境界も気になるところですね。

ものすごいドナドナ

インド・カルカッタに着いたときにまず不思議に思ったことは牛が全く見当たらないこと。
私が歩いて見た限りではなく、他のツーリストに聞いてもやっぱり見たことない、と言うのです。
他の土地では必ずどこに行ってもいて、インドの風景に溶け合っていたのでカルカッタは何かインドのようでインドでない感じ。

考えられる理由としては・・・
1。町の近代化、交通渋滞防止のために政府が駆除(?)した。
2。牛肉OKのイスラム教徒が食べてしまった。
3。たくさんいる乞食の方々が背に腹は変えられず食べてしまった。
4。宇宙人に拉致された。

結局なぞは解けぬままバングラデシュに来てしまったのですが、あるバングラ人がこう言っていました。
「バングラデシュは食用としてインドから牛を輸入している」

1億4千万人のムスリムバングラ人の胃袋を満たすためバングラデシュから目と鼻の先にあるカルカッタから大量の牛が輸出されてしまったため消えてしまった・・・
考えられなくもないですね。

インドでは過保護にされ、八百屋の商品をのうのうと盗み食いしたりしている牛たちも、うかうかしてたらバングラ人に食べられちゃうぞ〜!