2006年11月16日木曜日

昨日の敵は…

とあるチベットの小さな町で子供らと遊んでいた。
一緒に家へ戻るとその子供らが母親に「日本人って悪い奴だと思っていたけど、この人はいい人みたいだよ」と話している。
いい人、と言われたことは嬉しいけれど、やはりフクザツな気分。

しかしこの子がこういう感想を持つのも致し方ない。
テレビをつければ24時間必ずどこかのチャンネルで反日番組やっているし、学校では低学年の教科書に「日本鬼子(日本人に対する蔑称)」の文字が堂々と出ている。
こういった徹底的な対日感情悪化洗脳政策にあっては、純粋な子供らが何の疑いもなくそう信じてしまって当然だろう。

しかしここはチベット。
君らの本当の敵はもっと最近の、もっと身近にいるんだよ、ということを誰かが語り伝えねば、やがてその歴史は風化し忘れ去られ、別の歴史にすりかえられてしまう…。
チベットの将来を担う子供たちが今こんな状態にあるとダライラマ先生が知ったらさぞ嘆き悲しむことだろう。

ダイエット中

風邪気味だったその日は朝からあまり食欲がなかった。
あるキツイ峠を越えようとしていた時、未だかつて経験したこともないような強烈なハンガーノックに見舞われた。
自転車から下りて押すどころか立っていることさえできず、そのままその場に倒れこんでしまった。
しばらく休めば復活するかも、と2時間くらい道端で寝転んでいたが、まったくその兆しなし。

その時フト思い出した。
以前にバスに乗った日本人のツアーグループに会い「これでも食べて」と日本の飴をいくらかもらっていたのだった。
そうだ、それを食べて気合を入れなおして頑張ろう!
はいつくばりながらバッグからその飴を取り出したところでガクゼン。
その袋に記されていた文字は…
「シュガーレス」「カロリーゼロ」

ちなみに7月に再始動して10月にラサにたどり着く間に失った体重は13.7kg。

2006年11月5日日曜日

御用だ!!

今回でチベット滞在都合9ヶ月。
ずっと許可証なしの非合法旅行をしてきたのだが(自ら出頭したアリは除く)、ついに今回公安に捕まってしまった。
場所は東チベット非開放の町、昌都。

鉄道開通したせいか、間もなくチベット入域許可が必要なくなる、という噂が外国人旅行者間を駆け巡った。
実際雲南省方面からのラサ行きローカルバスは中国人料金で外国人も乗れるようになり、道中数ヶ所あるチェックポストはゲート開きっ放しで見張りは居らず、こりゃいよいよ本当か?!とまったく何の警戒もなくその町の宿に泊まっていたのだ。
して滞在4日目の深夜2時…。
突然ドアを激しくノックする音で飛び起きた。
強制的に鍵を開けられ中に入ってきたのはMP含む公安5人。
「身分証を見せろ!」どうやら違法外国人旅行者狩りではなく、安宿に潜む不穏分子チェックのようで「なんだ、外人か」とさっさと帰ってしまった。
そこで機転の利く者ならその後に起こりうる事態に備え素早く手を打つところだろうが、何しろ真夜中で公安に対してもナメ切って考えていたので、のん気に二度寝に入ってしまった自分が今となっては恨めしい。
して数時間後の朝8時、またしても激しいノックの音。
入ってきたのは紛れもなく中華人民共和国公安部外事課の男。
「この町は非開放だ。パスポートをよこせ。そして今すぐ署へ同行してもらう。」
万時休す。
パトカーに乗せられ、向かった署内でアーだコーだ説教され、有無を言わさず罰金400元(6000円)の刑。これだけで済めばまだよかった。
何しろ法律を犯しているのは明らかなのだから。
しかし外国人、特にサイクリストや徒歩旅行者が最も恐れているのは「追放」。
ここまで何日もかけて必死に頑張ってきたのを全て無にしてしまう恐怖の宣告。
まさにそれを受けてしまった。
「即刻バスターミナルへ行き、即刻チケットを買い、即刻雲南行きのバスに乗り、即刻チベットから出て行け。」
親切な公安さんはパトカーに乗って一緒にバス停まで行ってくれ、国家権力を利用し窓口前の行列に横入りし、240元(3600円)のチケットを買わされた。
合計一万円の大出費、それ以上に「追放」という処分の重さのショックに倒れそうになっていた。

しかししかし。
やはり毎日あのまずいツァンパを食べ続けるような信心深さが天を我に味方させた。
その日のバスはすでに満席で明日のしかない、と言われたのだ。
悔しそうな公安は窓口の女に「もしこいつが払い戻しに来ても取り合わないように」と言い残し去っていった。
去ってゆく公安の背中は心なしか寂しそうだった…なんて気にするはずもなく、すぐさまダッシュで宿へ戻り荷物をまとめてチェックアウト。
そして一路西へ、逃げろや逃げろ。
しばらくは後方からの車が逃走した私を追ってきた公安ではないかとビクビクしていたが、十数kmも離れればもはや堕落した公安が追ってくるはずもない安全地帯。
いやはや、とんだ捕り物劇かな。

グレートジャーニー


地方のチベタンは農閑期に入るとラサへの巡礼の旅に出る。
ある者は家族と、ある者は友人と、またある者は村総出で。
行き方も、飛行機で、ランクルで、バスで、トラックの荷台に乗って、トラクターで、歩いて、など様々。中でも、最もチベットらしく、最も皆から尊敬されるのが、五体投地で尺取虫のように少しずつ進んでゆく巡礼だ。

彼らの方法は、五体投地部隊と荷運び部隊に分かれ(役は日替わり)、荷運び部隊は大八車、トラクターなどに生活用品全てを積み込み先行し、水のあるところでテントを立て、牛の乾燥ウンコ(焚き火の燃料となる)を集め火をおこし、茶を沸かし食事を作って後続の巡礼部隊を待つ。
そう分業しても五体投地前進は絶望的に遅いので一日に移動できるのはせいぜい10km。
ほとんどのグループは、ラサまで半年近くかかると言っていて、その長さに唖然とさせられたものだが、さらにその上をゆく物がいた。

それは「一人」五体投地巡礼。

17歳の少年僧が行っていたそれは一人なので全ての作業を自分で行わねばならない。
まず荷の積まれた大八車を100m引っ張る。
そこに車を置いてさっきの所まで戻って五体投地を開始し100m前進。
また大八車を100m引っ張って…をひたすら繰り返す。
もちろん水汲み・テント立て・食事作りも自分でやらねばならない。
食料がなくなれば托鉢も行わなければならない。
そのため団体巡礼者に比べ一日に移動に費やせる時間もはるかに少なくて、丸一日使って移動できる距離は平均で4km、上り坂だと3kmくらいしか進めない…。
赤ちゃんのハイハイより遅いのでは??
出発してからすでに一年少し経った、と言っていたが、彼の田舎からラサまでは約2500km。
平均4km/日で二年弱かかる訳だ…。

エベレストに登ることが冒険でもなんでもなくなった現在、身の回りの者以外特に認められることもなく、世に知られることもなく、チベットの山奥でひっそりとこんなハードな冒険をしている者がいたとは!!
彼から「自転車だと一日どのくらい進めるの?」と聞かれ答えるのが恥ずかしかった。

「地球一周一人五体投地!」
これを成し遂げれば冒険史に残る大偉業になること間違いなし!!
しかし一日4km進むとしても地球一周4万kmにかかるのは約30年…。
やっぱり無理か。

(写真:一人五体投チャー。さすがにもうラサに着いたか?)

魔法の食べ物

食べても食べても減らない不思議な食べ物ってなーんだ?
3.2.1.ブー。
答えは「ツァンパ」。

今回バアちゃんの家に居候したのは2週間。
何でそんなに長くいたのかというと、ちょうどその時ツァンパの原料となる大麦の収穫の時期でそれを手伝っていたから。
出発の時には餞別としてサイドバッグ一つが丸々いっぱいになるほどの大量のツァンパ(推定5kg)、バター、チーズ、ヨーグルトを頂いてしまった。
あまりの多さに困惑したが、せっかくの頂き物を粗末にすることなどできるはずもなく、その後は朝昼晩、約1ヶ月間ひたすらツァンパを食べてひたすら荷物減量に努める。
道中道端で休んでいる巡礼者などに呼ばれ「ツァンパ食うか?」と言われた時も「自分のがあるから」と自分のを出してお茶だけ頂く。
そうしてあれだけあったツァンパも徐々に減っていった。
が、泊めてもらったり、一緒に野営したりしたお礼にラマの写真を渡すと、さらにそのお返しに「せめてツァンパでも持っていってくれ」とまたドサッと増えてしまうこと3回。
結局ラサに到着した今でもサイドバッグ一つは丸々ツァンパの入ったまま…。
ラサに居てまでも朝食はツァンパ食ってます。
こりゃあと数ヶ月はもちそうだ…。

とあるチベタン曰く「大麦は種さえまいておけば勝手に成長するのでタダみたいなもんだ」(もちろん畑の準備・収穫などは大変な作業だけど)

2006年11月3日金曜日

ツインズ

中国で施行されている一人っ子政策は誰も彼もが子供一人だけ、という訳じゃなくて、省ごとにいろいろ細かいところで違いがあって、漢族以外の少数民族はおおむね2人までは認められているようだ。
チベタンも2人。
しかしそのバアちゃんちには子供が4人もいる。

一番上(女17歳)は在家の尼さん。
2番目(女13歳)は小学生。
しかし3番目(女8歳)は学校には行っておらず、放牧担当で朝早くから牛羊を追って草原へ行き、夕方それらを連れて家へ戻ってくる。
ああ、やっぱり3人目じゃ多額の罰金を払わされるので出生登録しないで戸籍のない子供となってしまい学校には行けないんだな…と思っていた。
しかしある日その家庭の戸籍手帳を見せてもらってビックリ。
なんと3番目の子もしっかり戸籍があるじゃないか。
さらにその中身をよく見てみて2度ビックリ。
なんと2番目と3番目の子の誕生日が同じ日になっている!!
その2人は5年の年齢差があり誰が見てもとても双子とは思えないのだが、こんな裏ワザがあったとは…。
登記された誕生日は上の子の日になっていたので3番目が生まれたときに局で「ゴメン、そういやうちの子双子だったんだけど一人申請するの忘れちゃってさあ」とでもやったのだろうか?!

しかし残念ながら4番目(男3歳)の戸籍はなし。
しかも現在母さんは妊娠中…。
やっぱり「ゴメン、そういやうちの子4ツ子だったんだけどさあ」ってやるのかな?

(写真:左から長男・三女・次女)

4年振りのチベットの恩返し

(まずは「チベットの恩返しその2 母の想い」をご覧ください)

オレはあの村へ戻ってきた。
あの老婆のいるあの家へ。
この4年間、ただ気がかりだったのは67歳だったあの老婆が既に天に召されてしまっているのではないか、ということだった。
しかしそれは杞憂に終わった。
しっかり健在だった老婆は、突然現れたオレを温かく迎えてくれ、あの時と同じようにバター茶を振舞ってくれた。
まずは4年前のお礼に、これまでバッグの奥深くに大切に隠し持ってきたダライラマの写真をドサッと渡した。
目を丸くして驚く姿を期待したのだが、返ってきた言葉は逆にオレの目を丸くさせた。
「アンタもダラムサラへ行ったのかい?」

4年前は確かに「もう老いてしまってラサにも行けない」と言っていたはずなのに?!
聞けば去年子供たち(10人)がお金を出し合ってインド巡礼ツアーに招待したのだそうな(亡命ではなくてもちろん合法ルート)。
しかも夏…。
そしてさらにその後カイラス巡礼にも行き、カイラスコルラを五周(一周52km、最高5630m)、マナサロワール湖を一周したんだそうな。
オレが正直に「カイラスは行ったが一周だけでヘバッて、湖は見ただけ、インドは何回も行ってるけどダライラマに会ったことはない」と言うと「若いもんがダメだねえ。もしまたインドに行くなら絶対ラマに会いに行きなさい」とお説教されてしまった。

この調子ならこのバアちゃん、100歳までは大丈夫そうだ…。

A列車で行こう!

青蔵鉄道が開通し1ヶ月ほどして「既に線路の沈下が起こっている」と耳を疑うような話を聞いた。
「標高4000mの高原の永久凍土の上に鉄道を敷くという難工事を、偉大なる中華人民共和国の土木建築技術を結集して成し遂げた世紀の大事業」と謳っていたのに?!

今回通ってきた道のうち、ラサ手前約300kmは鉄道と併走する。
白く雪の被った山々をバックに3輌の気動車が16輌の客車を引っ張って進んでゆく姿はまさに圧巻。
しかしふと下を見るとアチコチの橋げたを補修工事している…。
やはりその噂は真実?!
しかも橋は無数に架かっている。
チベット独立要求過激派の爆破ターゲットとしては格好の対象ではないか!
やはり世界中にアピールできる北京オリンピックあたりが狙い目か?!

鉄道ファンの皆さん、青蔵鉄道ご乗車はできるだけ早目をお勧めします。

僕らのアイドル

ダライ・ラマ14世。
チベット仏教界において政治面・信仰面、両面においての最高権力者。
1989年にはノーベル平和賞も受賞し、世界にも認められる大人物であるが、残念ながら中国にとっては「偉大なる中華人民共和国分裂をもくろむ第一級政治犯」的人物。
そのため国内ではダライ関連のニュースは一切流れず、インターネットでも規制に遮られ閲覧不可能。
写真なども手に入れることができない。
外国人が国外から持ち込み、チベタンに渡すのも法律に引っかかってしまう。

……と知りつつ持ち込んでしまいました、150枚。
もちろん闇で売りさばいて一儲け!なんてするわけはなく、お世話になったチベタンへの御礼にするつもりで。
道中、泊めてくれた一家、ツァンパ・バター茶を振舞ってくれた農民、つらい巡礼の最中声をかけてくれ一緒に野営した巡礼者、などなど。
「どうぞこれを」と差し出すと、まるで長年恋焦がれた人についに巡り合ったかのように一様に目を丸くしてそして頭にかざします。
肉体はチベット本土から遠く離れたところへ行ってしまったけれど、彼の精神はしっかりと皆の心の中に留まっているようです。

ある一人の巡礼者が言いました。
「私たちは辛い巡礼中、苦しくなると彼のことを頭に思い浮かべるのです。」