2007年3月20日火曜日

真説・法王に謁見


それは乾季にもかかわらず冷たい雨の降り続く日だった。
私を含めた日本人30人、他に韓国・台湾・ベトナムなどのアジア仏教国の人々のための特別謁見が王宮で行われた。普段は固く閉ざされた門の奥深くにある謁見の間に通された我々は、法王の到着するのを祝福のカター(白い布)を手にじっと待つ。やがて侍従に付き添われ法王が現れた。優しい笑顔で有り難いお言葉を頂く。
「皆さんの国の仏教の歴史に比べ我々チベットの仏教の歴史は短い(チベットに仏教伝来したのは7世紀)ので皆さんの方が先輩です」と言って深く頭を下げられた。その姿に自称仏教徒の私をはじめ一同驚いてしまい慌てて頭を垂れるが、顔を上げてみるとまだラマは深々と頭を下げており、更に驚いて頭を下げた。

して国ごとに一緒に記念撮影。撮影が終わるとみなラマに群がってその手を握る。ラマの手は73歳とは思えぬくらい柔らかく福よかで、そして温かかった。
その手を握った時、私の5年弱の旅もこれで本当に気持ち良く終わることが出来るな、と思った。

2007年3月18日日曜日

チベットの恩返し その4 『幸せ配達人』

私がダラムサラに来た目的の一つが小包配達であった。
その荷物は、ラサのお寺にいる尼さんに私がこれからダラムサラへ行くということを話した際、「それなら私の兄(僧侶)が亡命してそこの寺にいるので荷物を届けてほしい」と託された物だった。

チベット(中国領)⇔ダラムサラ(インド領)でも電話で話すことはでき(もちろん中国当局により盗聴されている)、手紙も送れるし(もちろん検閲される、そしてたまに消える。私が以前インド→ラサで出した手紙は届いていなかった)、荷物も送れる(がやっぱり開封される)。
しかし何といっても確実なのは郵便局を通さず人の手を通しての配達だろう、ということで私に白羽の矢が立ったわけだ。

果たしてどんな大切な物を託されるのだろう?とドキドキしながら取りに行ってみると、渡されたものは何と「豆」。
しかも小型枕くらいの大きさでかなり重い。
これからヒマラヤ越えねばならぬのに…と少々たじろいでしまったが「この豆はロサール(チベット正月)のお供え物として欠かせないのですが、インドでは採れないものなのです」と説明され俄然やる気が起きた。絶対届けます!!

という訳でその豆担いでヒマラヤ越えてタライ平原を西に突っ切って標高1800mのダラムサラへ到着した。
あとはその人のいる寺へ行って渡すだけなのだが、数千人規模の亡命僧のいる寺もいくつかあるくらいなので探すのに四苦八苦するかも、と心配していたが、その寺内でブラブラしていた坊さんに名を告げるとアッサリ見つけ出してくれ、アッサリ手渡すことに成功した。
通じる言葉がチベット語しかなかったので説明するのが大変かと思われたが、その妹(ラサの尼)の写真と共に渡すとすぐ理解してくれた。
どうもありがとう、と出してくれたコーヒーはインド風のとても甘い味だった。

9年振りに添えられた豆と共に2月18日、チベットの新年は明けた。

(写真:ラサに住む妹(左)とダラムサラに住む兄(右))

法王に謁見

重厚な扉には50数年前この地球上から公式的に姿を消してしまった国の国旗がモールドされていた。私は緊張に手を震わせながらその扉をノックした。中から低い声で「どうぞ」と聞こえ、私はその重い扉を開いた。

彼はゆったりとした椅子に深く腰掛けたまま静かな笑みをたたえていた。私達はしばらく近況を報告しあった。話題が途切れたのを見計らって、私は以前からあたためていた事を意を決して切り出した。

「法王!2008年の北京オリンピックの開会式にはぜひインド選手団の旗手となってチベット国旗を掲げ堂々入場してください!忌まわしき中国共産党の度肝を抜き、チベット独立を世界にアピールする最大のチャンスです!」

あまりの唐突な申し出にさすがの彼も驚きの表情を隠せず、沈黙のまま遠く東の方を見つめた。それは、そう、本来彼の住むべき天空の城のある方角だった。

どれくらいの沈黙が続いたろう。私はまんじりともせず彼の返事を待っていた。やがて彼はその遠くを見つめたまま、あの静かな菩薩の笑みを取り戻し、ゆっくりと、そして深くうなずいた。

(了)

非行よ非行よ

ついに最終目的地ダラムサラに着いた。
その足で私は郵便局に向かい局員に告げた。
「電報を打ちたいんですけど…用紙はどこにあるんですか?」
しかしカウンターのヒゲ面の太った典型的インド人のその男は、まるで私の声がまったく聞こえないかのように新聞に目を落とし続けている。私は台をバンバン叩き、足でボコボコ蹴って注意を引こうとした。さすがにうるさく思ったか、男はモッソリ顔を上げ面倒臭そうに言った。
「君はここから電報は打てない」
私は、どうしてなのか、と少し強い調子で訊ねた。
「ここは電話局じゃない」
「えっ?」
私には彼の言っている意味がわからなかった。
「電報は電話局から打つんだよ」
「あっ!」
ようやく私は自分の誤りに気がついた。電報は郵便局からではなく、電話局から打つのだという。言われてみれば当然のことだった。私は恥ずかしくなり小さな声で訊ねた。
「電話局はどこにあるんでしょう」
すると相手は本物の笑い顔になって言った。
「どこでもいいんだよ」
「どういうことでしょうか…」
「電報は電話から打てるんだよ」
「!」

歩きながら次第に私はおかしくなってきた。電報は電話のあるところならどこからでも打てるらしい。ということはダラムサラのどこからでも可能ということになる。いやもうそこがダラムサラである必要はないのかもしれない。
クックックッと笑いが洩れそうになる。私はそれを抑えるのに苦労した。これからまだ旅を続けたって構わないのだ。旅を終えようと思ったところ、そこが私の中央郵便局なのだ。

私は近くの電話屋のボックスに入った。そして受話器を取り上げると1ルピーも入れずにダイヤルを廻した。
<725872-7258>
それはダイヤル盤についているアルファベットではこうなるはずだった。
SAKURA-SAKU
<サクラ咲ク>と。