2004年11月29日月曜日

白人旅行者のフシギ(1)

多くの白人さん達も世界各地を旅しています。
現地人の生活風習を見るのも面白いですが、彼ら白人ツーリストの行動も私にとっては興味深い異文化の一つ。
そんな中で「??」と思ってしまう彼らの行動パターンをいくつか。

<その1.外で食うのが好き>
ここで言う「外」とはキャンプとか屋台の話ではありません。
れっきとしたレストランで「外」で食う話です。
たいてい白人が好む場所は、屋上レストランのある宿とか道に面したオープンテラスのあるレストランとか。
日光を浴びながらの食事は気持ちがいい、という気持ちは分からないでもないのでそこは百歩譲るとして、問題は本当にこの環境が気持ちいいのか?!と疑うような場所でも悠然と食っていること。
道路脇は埃っぽいし、車の排ガスモクモクだし、乞食が次々現れるし、牛はそこらじゅうにウンコしていくし。
屋上ならばどうかというと、日差しサンサンといってもチベットなんかでは日差しはジリジリと肌を焦がすようでとても快適とは言い難い。
もちろん賢明な地元民は屋内で食います。

ある時北パキスタンでフランス人グループと一緒に夕食を摂ることになりました。室内で食うとばかり思っていたら、彼らは従業員にテーブル・椅子をベランダにセットするよう指示し食事もそこに運ばせました。
季節は春でしたが標高3000m位の所なので夜はかなり冷えます。
「そこまでして外で食いたいかー!」とブルブル震えながら食べました。
(オゴってもらったので文句は言えない)

余談ですが、この時のフランス人がすごい訛りの強い英語を話す人らで「バッチパッチ」がどーのこーの、と初めは何のことかよく分からなかったのですが、どうやらこれは「Back Pack」のことを言っているらしい、と推測できるようになりました。
「ck」=「チ」というんだな、と分かると他の意味不明だった単語も理解できるようになります。
インド人も訛りの強い英語を話し、「R」を全部読んでしまうので「Brother」=「ブラザル」、「Four」=「フォル」になります。
バングラでは「Lunch」=「ランス」、「Visa」=「ビシャ」。

余談の余談ですが「ザジズゼゾ」の発音を上手にできない国は結構多いようで「ジャジジュジェジョ」になってしまいます。
だから私の名前の「カズ」も「カジュ」に。
南アジア一帯では「カジュ」は「ナツメヤシ」を意味するようで覚えてもらいやすい。
で、ところ変わってアラビア語圏に入り自己紹介すると私の名前を聞いてクスクス笑う人がいるのです。
人の名を聞いておきながら笑うとは無礼千万な輩かな!と思ったのですが、どうやらアラビア語で「カジュ」は「ウンコ」のこと。
まあ確かにアメリカ人が
「ワタシノナマエハ『ウンコ・マクドナルド』デス」
などといったら笑えるわな。
名前がこうなんだから、私のコラムにウンコネタが多いのもこれで納得していただけたことでしょう。

読書その2

いろいろ回ってくる本の中でよく見かける作者は、椎名誠・沢木耕太郎・西村京太郎・パウロコエーリョ など。
共通項は「旅」に関する著作が多いこと。
(西村京太郎はビミョーなところだが・・)
本の中の世界が今自分の目の前にあったりするのは感慨深いものです。

ジャンル別に見ると、圧倒的に「小説」が多いですが、意外によく見かけるのが「人生指南」的な本。
皆旅に出るとフト自分の人生を考え思い悩んでしまうもんなんでしょうね。
(それだけ暇な時間が多い、ということの証明でもあるが・・)

・・・・・夕食は時々自炊してみたり。
食後は再び中国語や読書。
こうしてポカラの毎日を過ごしているわけです。

読書その1

午後は読書の時間。
最近では「体育会系自転車部」というより「文化系読書部」を自称するほど本に費やす時間が長くなってしまいました。

旅中では読み終えた本を他の旅行者の本と交換していくシステムがあります。以前中東を旅した時に「官能小説」が回ってきたことがありました。
「読み終えたら後ろに名前と読んだ場所を書いて次に回してください」
と言って渡されました。
そこを見てみてビックリ!
その本はタイを出発して→インド→中東→ヨーロッパ→飛んで南米をぐるり一周→再びヨーロッパに戻り→中東
で私の元へ来たのでした。
その後アフリカへ向かう旅行者に渡しました。

こうして本はそんじょそこらの旅行者じゃできないような壮大な旅をしているわけです。
まさか自分の書いたエロ小説が世界を巡る大冒険をしているなんて作者は思ってもみないでしょうね。

2004年11月16日火曜日

昼食

ネパールの国民食といえばタルカリダルバート。
タルカリ(スパイスで味付けした野菜)、ダル(豆汁)、バート(ご飯)、平たく言えば「カレーライス」です。

これの長所はオカワリ無限であること。
慢性的空腹サイクリストにとってはこの上なく素晴らしいことです。
やろうと思えば、朝行ってダルバートを注文し、そのまま夜まで食べ続ければ、1食分の値段で3食まかなえるでしょう。
巨大な胃袋と勇気のある人は試してみてください。

それ以外は、というと
サモサ(イモコロッケ、無論カレー味)、
モモ(チベットギョーザ)、
チョウメン(中国の炒麺[チャオミェン]が伝わったものであろうが本場とは似ても似付かぬヤキソバ)
などがありますが、どれもメインというよりはオヤツ程度の量しかないので結局ダルバートが主となってしまいます。
他の物はないのか、と周りの人が食っているのを見てもやっぱりダルバート。
どこかの家に招かれてもやっぱりダルバート。
ダルバート以外は恐らく存在しないのでしょう。

カトマンズといえばいろんな国の料理が美味しいことで有名ですが、ここポカラにもややレベルが下がるものの美味しい店はたくさんあります。
日本食ももちろんありますが、高く、量少なく、味はややいまいち、と3拍子揃っているにもかかわらず足を向けてしまいます。
なぜならそこには500冊以上の日本の本があるから。
100-200円で本を借りて、おまけに一食付いてくると考えれば安いものです。

午前

朝食から昼食までの間はお勉強の時間。
お題目は「中国語」。
「中国語勉強したいなら中国に行けばいいのに」というのはごもっともな意見なのですが、なかなか現地ではじっくり落ち着いて学べる環境が無く、仕方なくネパールにて・・。

今まで私が身につけた中国語はもっぱら現地仕込みで、老師(先生)は主に南方中国出身のトラックの運ちゃん方であるため、以前北京の人と話した際
「アナタの中国語は南方のトラックの運ちゃんみたいな話し方アルヨ」
とそのままズバリ言われたことがあります。
日本でいえばズーズー弁を話すどっかの白人タレントみたいなもんでしょう。

チベットの子供たちは学校で普通話(共通語)の教育を受けているのでレベル的にも彼らと話すのがちょうどいいのですが、これは当てはめてみれば、1930年頃に韓国の人に日本語を教えてもらうようなもので、心情的に憚られるものがあるので断念。

やっぱり基礎的な発音とか文法とかしっかりやっておくべきだなと思いたち、日本から送ってもらったCD付きテキスト・辞書に加え、中国で買い込んだ小学生用漢語教科書・チビッコ向けの本やらでセコセコ勉強しています。
静かに落ちついて勉強するにはここは絶好の環境ですが実地訓練できないのが痛いところですね。

2004年11月7日日曜日

朝食

私がポカラに着いた9月中旬はまだ雨季の最中で、一日中雲がかかって山が見えることはほとんどなかったのですが、最近はすっかり気候が変わり、特に朝方は雲一つ無い快晴、朝日に映える7000m級のアンナプルナの山々が奇麗に見えます。

その山々を見ながらの朝食のメニューは・・・
「ツァンパ」
このコラムでも度々登場しマズイマズイと酷評してきたチベットの主食です。
しかしながら「イヤヨイヤヨもスキのうち」「マズイマズイもウマイのうち」。
いつしかなくてはならぬ朝食の定番メニューになってしまいました。

ラサを発つとき、餞別に、とサイドバッグ一つ埋まる程の大量のツァンパを貰い受け、どうしたものか・・・と途方に暮れたのも今は昔。
それも結局食べ尽くし、新たにネパールで買い入れたものを食べています。
はじめどこに行けば買えるのか分からず、その辺を歩いていたチベット人のおばちゃん(ネパールにも沢山チベット人は住んでいる)を見つけ「この人について行けばチベタン御用達ツァンパ屋に行くかも」と尾行を開始したところ、程なく感付かれ
「アンタ何やってんのよ?」と問われ「イヤハヤ私は怪しい者でもスパイでもストーカーでも中国の回し者でもございません。実はかくかくしかじか・・・」と正直に答えたところ、おばちゃんはあっさりツァンパのありかを教えてくれました。
はじめから聞けばよかったところです。

で、そのツァンパですが、これまた以前このコラムで「カレー粉とかいろいろ混ぜたけどやっぱりマズイ」と書きましたが、その後も数々の試行錯誤の末、遂に完成したのが以下のツァンパ。
レシピを記すと、
1。約150ccのお湯に
2。はちみつスプーン2杯
3。砂糖スプーン1杯
4。粉ミルクたっぷり
5。以上にツァンパを適量加えグチャグチャ混ぜて団子にして食べる。

ちなみにダライラマ法王のお好みもミルクツァンパだとか。
あなたも「観音菩薩の味」を試してみてはいかがかな?

ハッピーニューイヤー!


明けましておめでとうございます。
年が明けました。
10月20日はネパールのお正月「ダサイン」でした。

その日人々は親類知人の家を訪ね、新年の挨拶とともに祝福のティカ(額に付ける赤い印)をもらいます。
たくさん回ればその印はどんどん大きくなって額面積の半分ほどにもなるので、町にはノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ直後の大仁田厚のような額を真っ赤に染めた人達がニコニコ顔で歩き回っています。

このダサインは一家が集まって家の中でコソコソやるのが主なため、部外者である外国人旅行者にとっては、特に大きなイベントがある訳ではないので全然面白くありません。

以前このコラムの中で
「ヒンズー今日の祭りは過激すぎて近寄り難く避けるべし」
と書いたことがありますが、今回のもまた別の意味で避けるべし。
店・食堂は閉まり、バスも止まり、不便なことこの上なし。

ただ唯一の見所らしきは、寺に行けばその日の食卓へ上げられる食材を屠る儀式があり、捧げられるニワトリ・ヤギなどの首が切られます。
巨大なナタで首をスパン!
落ちた頭がコロコロ。
血がビュービュー。
頭の無くなった胴体はしばらくジタバタ。
ひっきりなしに参拝者がやって来るので、次から次へと機械的に作業は進み
スパンコロコロビュービュージタバタスパンコロコロビュービュージタバタ
スパンコロコロビュービュー・・・
始めの数体はウワッ!と思いますが、50も100も見続けるとだんだん何とも思わなくなってきます。
戦争の狂気なんてのもこんなものなのかもしれないなー、と思ってしまいます。