2003年4月25日金曜日

脱プン!その3

二度目は逆に灼熱40度下のインド。
夜通し扇風機の風を浴び冷えて腹を壊し「究極の下痢状態」にあった。

昼間はとにかく暑い。
パンツ一丁で仰向けで寝ていたところ5ヶ月ぶりにそれはやって来た。
「来た!」と思った瞬間、素早く身を反転させる。
0コンマ数ミリのパンツの生地を液体が浸透するよりも速い反応速度で動けたことによりベッドの汚染は回避できた。
その後汚れた体とパンツを洗い流し再び横になって30分後、何とまたまたそれがやって来たのだ。
今回も瞬間で身をひるがえし事無きをえ、その機敏さをアピールすることで来期の契約も更改できた。

教訓
「第二波は忘れた頃にやってくる」

脱プン!その2

一度目はヒマラヤ越え中の時であった。
標高5000m弱、外気温零下10度で野営中のことである。
ありったけの服を着込んで寝袋にくるまる身は「究極の下痢状態」にあった。
寒すぎて眠れない中フト寝返りをうった時、何の前触れもなくそれは起こった。
ウワッと思ったが時既に遅し。
寒風吹きすさむ中外に出て残り物を放出しテント内に戻った時まず考えたのは、このままだと尻が凍傷になるのでは・・ということ。
しかしこの寒気の中下半身の衣服すべて脱ぐのはつらすぎたことと、もう随分はき続けていて充分汚いであろうことからパンツの交換はせずそのまま寝続けた。
あんまりいい気分ではなかったが・・・

その時ふと気が緩んだのだろう。
なんと再び何の前触れもなくそれが起こってしまったのだ!
またまた寒風吹きすさむ中後処理。
トホホ、、

脱プン!その1

よわい30の男が公共の目に触れるこの場でこんなことを堂々と発表するのも情けないが、今回の旅中で既に8回ウンコをもらしている。
そのうち4回は下痢をしていて屁をしようとしたら実まで出ちゃった、というパターンであり、それならこれを読んでる読者諸氏も
「その経験なら僕も私もあるあるあるある・・・」
と100人に聞きました的うなずきをしてしまうところであろう。

しかし私にとってはもはやそれごときクソもらしは話題にすべき程の事ではない。
ここで取り上げたいのは更にその上を行く
「究極の下痢状態におけるクソもらし」
である。

「普通の下痢」と「究極の下痢」の境目をどこに置くかに統一的見解はなく研究者によりまちまちであるが三輪式分類法によるところはこうである。

チベットの田舎の民家ではトイレは灰捨て場も兼ねている場合が多い。
究極の下痢状態でこの灰捨て場で脱プンすると固形物が無いためすべて浸透してしまい、跡に残るは染みのみとなる。
こういう状態を「究極の下痢」と称す。

さて、究極の下痢状態に陥った時に最も恐れるべき事態は「屁をしようとしたら出ちゃった」ではなく「何もしてないのに勝手に出ちゃった」的クソもらしをしてしまうことにある。
その体験をお話してゆくことにしよう。

流行モノ

今バラナシでは風疹が流行っています。
どれくらい流行っているかというと、なっていない子は学校でいじめられたり、親に「みんな風疹にかかっているから僕もかかりたい!」と言うと「どうせ2〜3人だけなんでしょ!」といわれるくらい流行っています。

卵や肉から伝染すると考えられているようで(真偽は知らない)私がゆで卵を食べていると怖がって誰も近寄らず、間違って私や私の物に触れてしまった子は体から服から全て石鹸でゴシゴシ洗わなくてはならなくなります。
だから親連中から「しばらく卵は食べないでちょうだい!」と怒られてしまいました。

夜な夜な町のあちこちからは、チャンチャカ鐘の音にあわせて家族の唱えるお経の声が聞こえてきます。
祝詞によって病気を封じようというまじないなのです。

2003年4月13日日曜日

それゆけスキンヘッダーズ!


先日宿の一家のおじいさんが亡くなりました。
計らずもインドのお葬式に参加することとなり、大変不謹慎かもしれませんがその模様をレポートさせていただきます。

それは自宅で寝込んでいたおじいさんの元へ毎日回診にやってくる医者の一言から始まりました。
「おそらくもってあと1~2日でしょう・・・」

すぐにその場に呼ばれてやって来たのはブラーミン(高僧)と子牛。
幾束かの花輪をおじいさんに握らせ、それを子牛の首へ。
お経を唱えてブラーミンと子牛は帰ってゆきました。

そして医者の診断正しくおじいさんは2日後に息を引き取りました。
玄関に寝かせられた遺体の元に、親戚・友人・近所の人などが次々とやって来て最後のお別れをします。
数時間のあと、服を脱がされ体全体に油を塗りたくられ、三重の布にくるまれ竹で編んだ担架に乗せられます。
そこへ家族友人から山のように花輪をかけられ、いよいよガンガー沿いの火葬場に出発です。
原則的に火葬場に行けるのは男性のみ。
女性・子供は家に残ってオイオイ泣き続けるのです。

火葬中は沸騰した脳みその湯気が耳の穴から吹き出してびっくりするなど興味深いこともたくさんあるのですが、火葬の様子は世にゴマンとあるインド旅行記に詳しく記されているのでここでは省略。

男達が火葬場に行っている間に女たちは家の中を水で洗い流し、服は全て替え洗濯、体を洗って清めておきます。

火葬から帰って来た男達は家に入る前に口をゆすぎ、小さな甘いお菓子を食べます。
でも食べる前にひとかけらをとっておじいさんに捧げる皿に盛ってゆきます。
この盛られたお菓子は牛に食べさせることでおじいさんへの贈り物となるのです。

男達も家に帰るとすぐに服をかえ、体を清めます。
そしてその日は食事抜き。
これが死んだ当日丸一日かけて行われる出来事です。

そして死後10日間は喪に服す期間。
この間は毎朝男達はガンガーに沐浴に行きます。
女性は7日目のみ。
食事は一日一回でスパイス抜きの質素なメニュー。
ここでも毎食少しずつおじいさんに捧げる分を集め牛に与えるのです。

10日目、この日は全員でガンガーへ。
男達はここで全員頭を剃りあげます。
つるつるの頭になったところで男女揃って沐浴。
12日目にはおじいさんも含めた御先祖様全員に捧げる祈りの儀式。
17日目にはお世話になった人へのお礼の意味を込めた大食事会。

その後も1ヶ月・半年・一年後に大きな儀式が続くそうです。

私は最初から最後まで家族と同様に儀式に参加しました。
というわけで私もスキンヘッドになったのです。
今はちょっと伸びてカツオ君状態です。

ここの儀式の面倒くささ・長さは並みでなく、僧への御布施・火葬代・食事会代など合わせると10万円近くかかり(インドでは超大金!)家族にとっては大変な負担となるわけですが、家族を何よりも大切にし、
「死」や「生まれ変わり」に関して独特の考え方を持つインド人にとっては、この葬式というイベントは何よりも大切なイベントであるのだなあと感じさせられました。

2003年4月9日水曜日

人生の節目

人生の節目となる大イベントといえば結婚。
ここバラナシでその結婚式に参列させてもらうことができました。
一言で結婚式といっても数日にわたり数々の儀式・イベントがあるわけですが、その内の私が参加したのは、花婿が花嫁の家へ白馬に乗ってお迎えに上がる、といったくだり。
笑っちゃ駄目だよ、当人はいたって真剣だよ、というわけではじまりはじまり。

まず招待を受けた一家はピカピカのドレスに着替えます。
顔には白い粉を塗ります(肌は白い方が良い、という見方があるようです。そんなこと思わなくてもいいのに・・・)。
それを塗るとツヤを失い血の気のひいたような顔色になるので式場はゾンビの集会みたいでちょっと不気味です。

親達は「式に呼ばれるとお金ばっかかかって仕方ないわ」とブツブツ文句をたれながら御祝儀を包みます(ヒンズーのしきたりでは、めでたい時は101、201ルピーのように末が「1」の数を。逆に香典は「0」になる額を包む。)。

会場に着くと振る舞われる菓子・タバコ・料理(酒はない)などをパクつきながらダベっています。
いったいいつになったら始まりやがるんだい!とイライラが頂点に達するころ、やっと白馬に乗ってギラギラに着飾った王子様の登場!
しかしすぐ王女様と対面、というわけではなくまずは町内にお披露目のパレード。

パレード隊がこれまた派手で、まず先頭には轟音立てる発電機(人力で運ぶ)。
その電気は続く電飾隊(頭上にネオンランプを乗せて歩く)20人へ。
更に続くはタイコ・トランペットなどの楽器隊10人。
そしてその音楽に合わせ踊り狂う人(ラリっている)数十名。
やっと最後尾に白馬の王子様。

この一隊が1時間くらいかけて町内を巡るのです。
所々で止まって撮影会があったり、御祝儀の小銭をふりかけられたり。
小銭がばらまかれると、そこへウワーっとガキや乞食が群がってすごいことになります。
当然交通渋滞がおこるが我関せず。

やっとのこさ戻ってきた頃には既に王子様は疲れきっているけどやっとこれからが本番です。
王子様は玉座に座らされ、王女様の登場を待ちます。
またここでもじらせるだけじらせて、やがて家の奥からすっぽりベールに顔を覆い隠された王女様が
シズシズと登場。
王子様は立ちあがり王女様を迎えます。
王子様は王女様のベールをめくり首に花輪をかけると周囲から「おめでとう!」の声。

ここでやっと2人並んで席に着くんだけどここからがまた長い。
あとはひたすら招待客との記念撮影。
ニコニコ笑っているのは後ろの取り巻きばかりで、本人等はぐったり疲れきっちゃった表情が印象的でした。

その晩王子様は王女様の家で初めて一緒の夜を過ごすわけです。
これまでの人生、溜めに溜めたエネルギーをドカン!と爆発させ、摩擦熱で周囲の気温が2度上昇しそうだけど、あの疲れ切った顔で大丈夫かねえ、などと要らん心配をしながらわれらは家路に就くのでした。

当人よりも周りの方が盛り上がり、やたらと金のかかるのはどの国も同じなようで・・・

教育ママ


勉強させたい親と何とかその手から逃げようとする子の戦いはどの国も同じようです。
この宿の親子もしかり。
先日は体操までさせてました。
片足立ちバランストレーニングの次は、手を頭の後ろで組んでひざをピョコピョコ。
スクワットです。
しかしただのスクワットではありません。
これこそ正真正銘、本家本元のヒンズースクワット!
それに気がついた時ガンガーで100回くらい沐浴したくなるようなすがすがしさを覚えました。

以前マルタ島でノラ犬(多分雑種)を見た時、これぞ本物のマルチーズ!と驚き、地中海を50m位素潜りしたくなった気分と似ています。

(写真:目指せ東大!)

2003年4月2日水曜日

マッサージ!


宿のオヤジに「肩がこっている」という話をしたらオイルマッサージを呼んでくれることになった。
いわゆる「出張個室マッサージ」である。
この魅惑の響きに、思わず期待にコカンを膨らませ待っているとやって来たのは普通のジイさんだった。
しかしさすが熟練の腕前、何度も昇天しそうになるのをこらえながら快楽のひととき。
ただ私は普段から体を洗うとき石鹸を塗って流すだけでゴシゴシやらないので、オイルマッサージなのに垢がボロボロ出て来てジイさんは不思議顔。

そういえば以前韓国で本物のあかすりに行ったときもあまりに大量の垢に
「日本民族はこんなに垢が出るものなのか!?」
とアカスリオヤジに驚かれてしまった。
その時のあかすりは観光あかすりではなく普通の銭湯あかすりだったからなのかもしれないが、客もオヤジも完全全裸で、ベッドで横向きにされたときは目の前にオヤジの自家製粗びきフランクがブラブラしており大変素敵な気分になったことを思い出した。

さてタップリ1時間、頭のてっぺんから足の先までみっちりマッサージしてもらって130円ポッキリ。
チップを弾めばジイさんの歯抜けの口でエキストラサービス・・・
なんてことは微塵も考えず、すっきりした体で今日もカレーがうまいのだ!!

駅前留学

宿の家庭の子供たちは幼い頃から外国人が常に周りにいるせいで皆大人顔負けの達者な英語を操る。
インドの小学校は1年生から英語の授業があり、先日そのテストの結果が返ってきたのだが、一番巧みに英語を話す小3の少年の成績はなんと3点(75点満点)!
母親からも「この子は英語が駄目だから教えてやってくれ」と言われるが何を教えられようか。

耳で覚える英語と教科書で覚える英語は全く別物であるのですねえ。
教科書英語が実に使えないのは世界共通なのか??
頑張れ!文部省!!

バラナシでホーリー

3月17.18日はホーリーという大きな祭りでした。
これは春の到来と豊穣を祝い、色水色粉を掛け合う祭りです。
貧富・カーストの差無く、この日は無礼講でインド中が盛り上がります。

ただしここバラナシにおいては(他の町がどうかは知らない)この無礼講の度が過ぎて、夜通し酒をのみ泥酔し(インド人は普段酒飲まないので弱い)、その勢いでインド人同士でも暴行・殺人・レイプなどが起こってしまうらしいです。(今年も外国人を含め何人か死んだそうです)
略奪を恐れ店は全て閉店。
そんな中外国人が出歩こうものなら格好のターゲットとなってしまうため宿からは終日完全外出禁止。
前日のうちに食糧を買い込んでおきます。
祭りというより、テロか暴動でも起こったかのよう。
それを恐れ前日までに多くの旅行者は次々とバラナシを脱出していきました。

インドの祭りでは、他にも町を行く山車に自ら下敷きとなり身を捧げたり、沐浴祭で押し寄せる人波に逆らうことなくガンジス川に流され至福のまま溺死したり・・・と命懸けで参加するものであり、外国人がカメラを構えのんきに見物できる雰囲気がまるでない。

というわけで結論。
インドを旅する時は祭りを外したスケジュールを組むべし。
以上。

トラ!トラ!トラ!

いよいよ戦争が始まってしまったようですね。
もちろんここインドでもテレビや新聞では連日のように報道されています。
しかし私の今いる家のテレビはいつもインド映画や子供アニメにチャンネルが合わされていることもあり、詳しいことはよく知りません。
町の雰囲気も、所詮は対岸の火事といったところで目立った変化はなくいつも通りの生活です。

しかしパキスタンのことになると話は別。
小学生のチビですら「パキスタン」には敏感に反応します。
先日クリケットW杯でこの宿敵同士の一戦があって、結局インドが勝ったのですが、勝利が決った瞬間バラナシの町じゅうから花火があがりまくりました。

また世界的にはあまり知られていない事実ですが、インドは世界有数の地雷埋設国です。
その地雷は踏むとズルッと滑ります。
そして周りの子供に笑われ、精神的ショックで死に至るという恐るべき兵器です。
いくら除去してもすぐに新しい地雷がセットされてしまうため国連も頭を抱えているそうです。