2005年7月21日木曜日

男の夢

数日前まで私は肩書き無き一介の風来坊でしたが、現在は何と「日本語教師」です。

3年前今いる町を訪れた時に知り合った少女たちは、今や華の女子高生。
その彼女らが日本語を教えてほしい、と言ってきたので日本語塾を開設したわけです。
一日2時間ずつ、日-土まで毎日。
授業料はもちろんタダで、教科書を買ってあげたり、授業後みんなで食事したりするので、台所は真っ赤っ赤に燃え上がっていますが時々塾生の家で夕食をごちそうになったりするので大丈夫です。

現在生徒は4名。
宿の部屋に招いて細々とやっています。
が、将来的には日本語検定一級合格率99%(バカは受験させない)、中国各都市に支部を置く巨大学校法人にしようと考えています。

ちなみに塾名はズバリ「魁!男塾」。
塾生には私のことを「江田島平八(ジャンティエンタオ-ピンバー)老師」と呼ばせています。

2005年7月13日水曜日

三年大昔

今私は3年前にこの旅を始めた時と全く同じルートを走っている。
当時お世話になった人々にもう一度会うためだ。
会った瞬間に思い出してくれる人、説明して思い出してくれる人、当時の写真を見せてやっと思い出してくれる人、いろいろいるけど、皆一様に喜んでくれ、歓待してくれる。
その笑顔を見るだけでも、厚い中ヒーコラ自転車漕いでやって来た苦労が報われる。

ただ今中国は大発展期にある。
3年前とは町の様子が跡形もないほどに変わってしまっていたり、新しい町が丸々一つ出来ていたりする。
古い建物は容赦なく壊され、ボロ宿が豪華ホテルに生まれ変わっていたりする。
そのためせっかく訪ねて行っても、たった3年間なのに当時を知る人が全くいなくて虚しく引き上げることもあった。

今の中国にとっては3年は一昔どころか大昔なのだ。

水は流れてどこどこゆくの

6月、中国南部に大豪雨。
テレビでは最も被害の大きかった梧州という街を中心に
「200万人が家を失う100年に一度の大洪水」
と、気象庁の偉そうなオッサンが言っていた。
のち、その梧州を通ったが、街は2階まで水浸しで1階の店舗はほぼ壊滅していた。

この街は3年前にも訪れているのだが、実はその時にもこの街は大洪水で沈んでいて、私も実際その被害に遭っている。
私の記憶が正しければ、その時にもテレビでは「100年に一度の大洪水だ」と気象庁の偉そうなオッサンが言っていた。
この偉そうなオッサンの言うことが本当に正しければこの先200年はこんな大洪水は起こらないことになるね。
梧州、今が行き時だよ!
いらはい!いらはい!!

余談になるが、「200万人が家を失った」と報道されたわずか2日後。
テレビでは被災者にせっせと救援物資を手渡す人民解放軍の姿。
党の幹部らしき偉そうなオッサンが
「被災者の全ての生活は無事保障できた。問題は解決した!」
と誇らしげに語る姿。
被災者のジイさんが「本当に助かりました。ありがとうございます。」
と明らかに書かれた紙を棒読みする姿が映っていた。

国家機密


広州のユースホステルは、その昔、列強が中国に進出した際の玄関島(長崎の出島みたいな)にある。
そのため各国領事館が今もそこにあるような所だ。

そこを同宿のナイジェリア人と歩いていた時のこと。
一人の中国人女性がトコトコと寄って来てそのナイジェリア人に手紙を渡した。
おいおいこんな所でラブレターの手渡しかい?!
しかし部屋に戻って中身を読んでみてビックリの内容。
その文面は中国語で書かれていたのだが…

「私は広州○○大学核研究所の教授です。
ここは保管状態が極めていい加減で、度々危険物が盗難に遭います。
犯人はおそらくこの大学の卒業生です。
警察に訴えても動いてくれず、逆に察知されて犯人に食事に毒を盛られそうになりました。
犯人は○○食品(中国で有名な大食品会社)にその毒をばら撒く危険性があります。
親愛なる正義感あふれるアメリカ大使館に訴えます。…」

つまりこの手紙の主は、我々が偶然アメリカ領事館前をフラフラ歩いていたのでナイジェリア人をアメリカ人の黒人だと勘違いし、渡してしまった訳だ。
何というトンマな…。

しかし事は重大である。
ちょうど同室にはアメリカ人旅行者がいて、彼に領事館へ持っていくよう言ってみるとコイツが典型的なアジア人蔑視型人間で
「そんならちょうど中国の人口が減っていいじゃん」
と相手にもならぬ。
して、そのナイジェリア人は
「こういうのはうちの国で申し出れば賞金がもらえるんだ。だから国へ持って帰る」と言う。
密告制度のことだろう。
しかし全編中国語で書いてあるこの手紙を果たしてナイジェリアでどうしようというのか??

中国人の皆さん、もし広州を中心に毒物混入事件が起こったならそれはバカアメリカ人とアホナイジェリア人に強く言えなかった私の責任です。
ゴメンナサイ。。。

(写真:そのナイジェリア人、その後元気か?)