2004年10月19日火曜日

海外危険情報

9月初め、イラクでネパール人が誘拐・殺害されたことに対し、怒ったネパール国内のヒンズー教徒がイスラム教との店を襲撃。
大規模な暴動へと発展し、軍が出動。
1週間外出禁止令がしかれ、店はすべてシャッターを下ろし町はゴーストタウンに。
勝手にうろうろすると撃たれる、というおっそろしい事態にみまわれました。

危険情報として真っ先に思い浮かぶのは外務省の発表するものですが、彼らも神サマではないのでこのような偶発的な事態には対応できないのが痛いところ。
しかもそれがあんまり頼りにできないのは、何か起こった後に危険度があがるのですが、その時点ではすでに治安が強化され、逆に一番安全な状態だったり、とっくに沈静化しているのにいつまでも「危険」なままだったりすること。(以前のイスタンブールがそうだった)

外務省よりは期待できるのは、旅行者同士の情報交換ですが、これは思いっきり個人の主観が入ってしまうので本当は危ない所なのに運良く何もなく行けてしまった人は「全然大丈夫だよ」と言うでしょうし、平和な国のはずなのにスリに遭ったりすれば「泥棒だらけのヒドイ国だ!」と言うでしょう。
更に困るのは人ずての噂に尾ヒレどころか、胸ビレ腹ビレ背ビレフカヒレエイヒレとヒレが付きまくってたいしたことない話がとんでもない話になって聞こえてきたりすること。

やっぱり一番信用できるのは地元民のくれる情報ですね。
バラナシのホーリー(祭)は出歩くな!(殺される)
バングラの夜行バスには乗るな!(バス強盗に遭う)
などなど。
でもこれにも落とし穴があって、たいてい他民族同士は「あいつらは泥棒だ、ウソツキだ、誘拐犯だ」といがみあっているのに、第三者の立場ではどっちも正直でやさしい良い人達だったりするのです。

こうなると一体誰の話を信じてよいやら。
結局頼りになるのは、取捨選択できる自分自信の「勘」ということになるのでしょうか・・・

読書週間

ここ最近でチベットに関する本をいくつか読みました。
1.「ダライラマ自伝」ダライラマ
2.「チベット旅行記」河口慧海
3.「セブンイヤーズインチベット」ハインリヒハラー
4.「秘境西域8年の潜行」西川一三
5.「チベット旅の百日」李奈

1.は言わずと知れたチベットの最高権威・観音菩薩の化身による自伝、
2.3.4.は50年前以前のチベット鎖国時代に密入国した人の話、
5.は中国人によるチベット旅行記
で、どれも興味深い話がずらり。

面白かったのは2.3.4.が皆口を揃えたように
「チベット人は想像を絶するほど不潔、汚い、衛生観念がない」
と、一度ならず何度も何度も言っていること。
私が見た現在でも、田舎の方に行けばとても黄色人種とは思えぬほど真っ黒な顔の人がいてびっくりします(日焼けの黒さではない)。

また私独自の調査で、
「チベット人はクソした後、拭きも洗いもしてないのでは?」
と密かに思っていたのですが、これについてもやはり3人ともが指摘していて私の推測が正しかったことを証明してくれました。

5.に登場するチベット人は皆
「1951年に中国がチベットを『平和的開放』してくれたおかげで生活向上し今はこんなに幸せな生活を送っています。毛沢東万歳!」
と口々に言っており、プロパガンダの香りがおもいっきり漂っていて苦笑させられてしまいます。

西チベット総括

2年前、東チベットを横断したときは秋から冬にかけてでえらい寒い思いをしたので、今回の西チベットは夏にした。
しかしそれはとんでもない過ちで、雨季にあたるこの時期は毎日のように雪・雨に悩まされてしまった。
道路状況は最悪の泥沼。
山からの濁流が道を横切り何度もずぶ濡れになる。
腰まで浸かることもあり、もしあそこでツルリ足を滑らせていたらドザエモンとなり、ブラマプトラ川の藻くずと化し、今頃はベンガル湾でお魚の餌となってたことだろう。

そもそも夏といっても夜はやっぱり寒いのだ。
逆に冬といっても太陽の下にいれば十分暖かい(もちろん夜は死ぬほど寒い)し、
晴れ渡って山もはっきり見えるので、チベットに行くなら暖かい装備を持って冬に行くことをお勧めする。

<西チベットデータ>
日数:90日
自転車移動日:65日(72%)
移動距離:3500km(54km/日)
総出費:5万円(560円/日)
・・・ただしうち4万円はラサにいた18日間に使ったのでそれ以外の移動しているうちは140円/日。
使いたくても店も食堂も無い!!