今回のバラナシ滞在の4ヶ月間は、昼食・夕食は全て泊まっていた宿の家庭料理を食べた。
しかし宿の一家には申し訳ないが、この4ヶ月間の食生活は本当に苦痛だった。
メニューが5種類くらいしかないのである。
この家はおそらくインドの中流家庭の典型で、メシ自体は正直言って美味しい。
それにこのコラムで何度も書いているが、私は味の好みはうるさくない。
しかし5種類のひたすら繰り返しではやっぱり「飽き」が来てしまうのだ。
5種類、と言っても日本のように、今日はハンバーグ、明日は焼き魚、次は鍋料理・・・といったものではなく、昼食メニューはごはん・チャパティー(ペラペラパン)・ダール(豆汁)は毎日変わらず、付け合せの大さじ一杯分くらいのカレー味のおかずの具がイモだったり、豆だったり、ナスだったり・・・といっただけの変化なのだ。
夕食はさらにひどくて、チャパティーとイモカレー煮込みのみが連日。
おまけにこの家庭はピュアベジタリアンなので、卵・肉・魚、一切ご法度。
メニューの少ないのも無理ないか・・・
料理するお母ちゃん達も、料理番組見て新メニューを・・・なんて気は全くこれっぽっちも持ってないようで、料理してやるだけありがたいと思いな、って感じ。
今回は初めからバラナシ滞在は4ヶ月限定!と決めていたので何とか耐え抜いたが、もしこれが永久にだったら・・・と考えると心からインド人に生まれなくてよかったと思う。
それにしても、当のインド人はこんな食生活で満足しているのだろうか??と疑問に思っていたところ、ある象徴的なテレビCMを見た。
それはインド風ヤキソバを作るためのインスタント麺のCMなのだが、ストーリーはこんな感じ。
子供達:パパ、今日のご飯はなんだろうね?
パパ:チャパティーとカレー煮込みじゃないかな?
子供達:えー!またなのー!?(子供達ガッカリ顔)
そこへエプロン姿のママがヤキソバのお皿を持って登場
ママ:今日はヤキソバなのよ!
パパ・子供達:わーい!ママ大好き!!
インド人だってやっぱりいろんなもの食いたいわな。
2005年4月26日火曜日
今晩の献立は何にしようかしら・・・
ボクねぱあるジンデス
道中、自転車を停め、メシ食ったり、休んでたりすると集まってきた地元インド人が話す声の中に「ネパリ、ネパリ」と言うのが聞こえる。
どうやら私のことをネパール人だと言っているようだ。
真っ黒に日焼けし、埃まみれで、この酷暑の中を、大荷物を載せて、自転車で行く。
一般インド人の想像する金満ニッポンとは遠くかけ離れた姿にネパールの奥地から来た行商人と思われても仕方あるまい。
ただしこれが一度や二度の話ではなく、自転車移動中の数十件、ほぼ100%の割合で「ネパール人」と言われたのはちょっと驚いた。
「日本人だ」と明かすと
「何でまたこのクソ暑い中を? 何かの罰なのか??」
なかなか理解してもらうのに苦労する。
これが、午後のこっちがクタクタになっている頃になると説明するのも億劫になってしまい、ある時「ネパール人」で通してみた。
設定はこう。
「私はカトマンズに住むシェルパ族。自転車のパーツを日本から輸入するビジネスをしている。だから今は休暇中の自転車旅行。東京にも2度行ったことがある。」
どうやら相手は完全に信じてしまったようで
「日本はどんな国だった? いい所か?」
とかいろいろ聞いてくる。
「シブヤという街にはこんな短いスカートを穿いて化粧をした16-18歳のストリートガールがいっぱいいたぞ!」と言うと
「いくらだろう?日本は金持ちの国だから2000円くらいではないか?」
といろいろ会話がはずんだ。
熱風吹きつけるある日の午後の話。
暑い所を走ると・・・
バラナシからカルカッタにやってきました。
今がインドでは一番暑い季節。
天気予報では連日40℃以上を伝えています。
しかしこれは「地面から1m離れた風通しの良い日陰」で測った温度なので、直射の元、アスファルトの照り返しの中ではプラス5-10℃くらいなものでしょうか。
当然そんな中を自転車で走るわけだからとっても暑いです。
吹きつけてくるのは熱風。
熱い風呂に入ると体を動かすよりジッとしていたほうが暑さを感じないように、この場合の熱風は苦痛でしかない。
ただ道中水だけはふんだんにあるので(井戸水)、それを頭からザバザバかぶってパンツまでビショ濡れになった状態で走れば気化熱が奪われてかなりヒンヤリ気持ちいい!
しかし天然の乾燥機の中を走っているようなものなので、15分もすればパリパリに乾ききってしまい、また熱風地獄。
井戸を見つけてはまたズブ濡れになり・・・をひたすら繰り返して何とか生き延びました。
水は一日で10L以上は飲んでいたでしょうか。
それでも汗(液体)は全くかかないし、小便も全然したくならない。
いったい水はどこへ行ってしまったのでしょう??
あと、これは走っている時の話ではなく、バラナシにいたときの話ですが、あるすごく暑い日、ちょっと熱っぽさを感じたので体温を測ろうと水銀体温計を取り出したところ、既に「40」の所まで水銀柱が伸びてました。
振って戻しても目前でミヨヨーンと「40」まで戻ってしまいます。
普段あまり見られない光景なので思わず自分の熱を測るのも忘れて何度も繰り返してしまいました。
2005年4月7日木曜日
インドを知る
蔵前仁一著「ホテルアジアの眠れない夜」の中に「威張るなビンボー旅行者」という項があって、そこには
「ビンボー旅行者の中には過剰に倹約に徹し『こうしないとインド民衆の真実は分からぬ』と説く人がいるが貧乏な民衆の誰一人として外国に来れるような『ビンボー旅行者』のことを自分たちと同じ貧乏人とは思っていない」とある。
これはまさにその通りであって否の打ち所はないのだが、全く別の観点から考えると、ビンボー旅行者というのはどのインド人よりもインドのことを知っている、あるいは知ることができる、といえると思う。
インドの列車には常時ギュウギュウ激混みの自由席車両から飛行機代よりも高い一等車両まである。
宿には南京虫ウジョウジョお布施式巡礼宿からマハラジャの邸宅を改造した宮殿ホテルまである。
ビンボー旅行者といっても胴巻きにはそれなりの金は入っているのだからちょっと奮発すれば物価の安いインドにおいては最高ランクの経験もできるのだ。
カーストにこだわることなく誰とでも普通に接することができる。
ヒンズー教の寺だって、イスラム教のモスクだって気兼ねなく入ることができる(異教徒入場禁止の所も多いが)。
広いインドの北から南までどこだって行ける(パーミッションが必要なところもある)。
その辺で知り合ったオッチャンの家でチャイをごちそうになることもあれば、日本に留学してるインド人の友人があれば上流階級のお宅で食事させてもらえることもあるだろう。
対してインド人の場合はどうだろう。
貧乏な庶民がマハラジャホテルに泊まれないのは明白として、金持ちが敢えて「貧乏暮らしを経験したい!」といって南京虫宿に泊まるとは考えられない。
カースト・宗教・男女性差によって行動も大きく制限されるだろう。
そう考えれば貧乏外国人の方がはるかに多種多様なインドを知ることができる立場にある訳だ。
もちろんこれは「広く浅く」知ることができるだけであって「狭いが深い」生活をしている彼らにかなわないことも事実ではあるのだが。
バラナシでホーリー その2
2年前と同じくバラナシでホーリーを迎えた。
ホーリーとは男女も年齢もカーストも関係なく無礼講で色水を掛け合うお祭りなのだが、ここバラナシにおいては無礼講の解釈の度が過ぎて破壊・強姦・殺人なんでもあり。
こと外国人は格好のターゲットなので宿はどこも終日外出厳禁になる。
という訳なので、おそらく世界中のどんなガイドブックや写真集にも「バラナシのホーリー」をまともに写したものはないのではないだろうか?
「危険な撮影」といえば真っ先に戦場カメラマンが思い浮かぶが、あれはあくまで戦争当事者の間に入った第三者的立場であって、石ころや木と同じようなもの。
もちろん流れ弾に当たれば死ぬが、狙われている訳ではない。
ところがバラナシでホーリーの時出歩けば、間違いなく集中砲火を浴びるのである。
周り全員が敵。
しかも何されたって「そんな時出歩く奴が悪い」と同情もされないだろう。
さあ、勇気あるカメラマン諸君、ピューリッツァー賞はここにある。
毎年3月の満月の晩、バラナシに集結せよ。
(写真:家の中にいればこの程度で済む)