2005年4月7日木曜日

バラナシでホーリー その2


2年前と同じくバラナシでホーリーを迎えた。
ホーリーとは男女も年齢もカーストも関係なく無礼講で色水を掛け合うお祭りなのだが、ここバラナシにおいては無礼講の解釈の度が過ぎて破壊・強姦・殺人なんでもあり。
こと外国人は格好のターゲットなので宿はどこも終日外出厳禁になる。

という訳なので、おそらく世界中のどんなガイドブックや写真集にも「バラナシのホーリー」をまともに写したものはないのではないだろうか?
「危険な撮影」といえば真っ先に戦場カメラマンが思い浮かぶが、あれはあくまで戦争当事者の間に入った第三者的立場であって、石ころや木と同じようなもの。
もちろん流れ弾に当たれば死ぬが、狙われている訳ではない。
ところがバラナシでホーリーの時出歩けば、間違いなく集中砲火を浴びるのである。
周り全員が敵。
しかも何されたって「そんな時出歩く奴が悪い」と同情もされないだろう。

さあ、勇気あるカメラマン諸君、ピューリッツァー賞はここにある。
毎年3月の満月の晩、バラナシに集結せよ。

(写真:家の中にいればこの程度で済む)

2005年3月9日水曜日

人種

物心つき始めた頃、テレビなんかを見て、どうやらこの世には自分らとは異なる顔つきや異なる肌の色の人間がいることを知る。
肌の白い人=「アメリカ人」
肌の黒い人=「クロンボ」
自分らと似てるけど違う言葉を話す人=「ジャッキーチェン」

このあたりはインドの子供も同様に分類するようだが、日本人と決定的に違うのは、肌の白い人を見ると「イングリージェ(イギリス人)」と言うことだ。
長い植民地支配の影響だろうか。

以下はとある本で読んだ話なのだが、200年ほど前までは人類学者による人種分類法は
1.白人
2.黒人
3.黄色人種
4.野蛮人(!)
5.化け物(!!)
と大真面目に考えられていたそうである。

イエティよ永遠なれ。

牛角

先日ガンガー沿いのメインガート(ダシャシュワメード)で爆発事故があってインド人数名が死亡、外国人を含む数十名が怪我で病院に運ばれた。
そこはバラナシに来た人が、インド人外国人問わず間違いなく訪れる最重要ポイントなので、この程度の被害で済んだのが不思議なくらい。
警察の発表ではチャイ屋のガスボンベの爆発、となっているけど、そのあまりの破壊ぶりに爆弾テロの噂もある。
ニュースや新聞には白目をむいて倒れている死体とか飛び散った肉片とかがバンバン映りまくっていてマニアが見たら大喜びしそう。
わたしも久し振りに焼き肉が食べたくなりました。

追記
後日、バラナシのメイン寺(ビシュワナート・ゴールデンテンプル)近くはじめ計3個所で爆弾が発見された(不発)。
それとは別件で警官同士が大喧嘩をして5人死亡(←勝手に死ね)。
今日も何か起こりそうな予感のするステキな街、バラナシ。

おふくろの味

インドの雑貨屋の店頭には壷に入った多種の飴が並んでいて、多くは普通の甘い味なんだけど、中には「ソルト・チリ味」の飴がある。
これはその名の通りのヒリヒリ辛い味の飴なのだ。
一見普通の飴と変わらないので、知らずに大量に買い込んでしまってサクマのドロップ缶からハッカ味のが出てきた時の100倍悲しい気持ちになった。

まったくこんなのを作るなんてインド人の味覚は信じ難い!と思ったが、フト考えてみれば日本にも「塩コンブ飴」がある。
もし外国人が知らずに口にしたらきっとブッたまげるだろうなあ。

2005年2月24日木曜日

身分制度

ヒンズー教には有名な「カースト」という身分差別制度がある。
そのカーストの下には、カーストを持たない「不可触民」という人らがおり、このような人らは上位カーストにとって見るのも汚らわしい存在であるという。
厳密に言えば我々外国人というのは、カーストを持っていないのだからこの不可触民に区分されるらしい。

日本において「見るのも汚らわしい」に当てはまるものを考えてみると酔っ払いが駅にぶちまけたゲロ(締めに食ったラーメン入り)とか、公衆便所の流されていないウンコ(下痢気味)とかが挙げられる。
つまりインドにおいて、我々は常に自分がゲロやウンコであるという自覚をもって行動すべきなのだ。

だから何かの奥様番組のように、誰かさんちの冷蔵庫をちょっと拝見、なんてやってしまうと、中身が全部汚されてしまったことになり大変なことになる可能性がある。
私自身も以前上位カースト(僧)に握手を拒否されたことがあり差別される者の悲哀を味わった。

もちろんこういう衛生観念はインド人自身の生活も束縛しているようで(彼ら自身はそう思ってないのかもしれないが)、例えば毎日行う神へのお祈りの前には必ず綺麗に体を洗って新しい服に着替えなければならない。
で、いざ神棚へ向かう途中に急に腹が痛くなり便所に駆け込んじゃったら振り出しに戻って体洗いからやり直しとなる。

その他食事や洗濯などにもいろいろ決まりがあって知るに連れてそのタブーのあまりの多さにウンザリしてくる。
前まで世界で一番面倒な宗教はイスラム教だと思ってたけど、ヒンズー教に比べればかわいいものだ。

今私はインド人家庭内に身を置く生活をしていて過去通算すれば一年近くインドに居るのだがいまだに新たな発見が多い。
もしこのまま10年経ったとしても完全に理解するのは不可能なような気がする。

中年のツブヤキ

大学生の春休みシーズンに入り、インドにも大勢の若者がやって来ている。
最近は同じ干支の人に会うことも、もはや驚きではなくなった。
ウザイおやじと思われたり、オヤジ狩りに遭ったりしないようナウいヤングの話題に迎合しようと空しい努力をしてみたりするわけだが、彼らの言動を見ていてどーしても一言物申したい衝動にかられることがある。

それは一部に見られるザックの背負い方。
肩ベルトをいっぱいまで伸ばし、だらりと後方に垂れ下がらせた背負い方。
本体胸元で締めるはずの左右を結ぶベルトが首の後ろ辺りにあったりしてザックの設計者が見たらさぞかし嘆き悲しむことだろう。
通学用デイパックならまだしも、それなりの容量・重量のザックをその方法で背負っているのを見ると、インパール作戦で敗走続ける旧日本兵のような痛々しさすら覚えてしまう。
あれは腰ベルトを腰骨に乗るようにし、下から上へと各ベルトを締めてゆけば体にぴったり密着し、同じ重量を持ったときの感覚がまるで違ってくるのだ。

まあもしかして彼らは、ただでさえ苦難の多いインドの旅に自ら更に苦役を課すことで己を鍛え上げるつもりなのかもしれないな、と思いつつ、注意したくなる誘惑を抑え続ける32歳の私であった。

インドで結婚式2


たとえば日本で結婚式に参列する場合、女性は着ていくものを選ぶとき主役の新婦より派手にならないように気を遣ったりするものだと思うが、インドにはその気配りはないようだ。

普段あまり外に出る機会のない女性達はここぞとばかりに飾り立てる。
ゴージャスサリーに身を包み、額・鼻・耳・髪・手の指・甲・手首・足首・足の指・・・、体の中で出っ張っている部分、引っかけられる部分、空白の部分を全て埋め尽くすべく投入された金銀財宝は自らの体重の約30%(推定)。

数百人の集う披露宴では、新婦は赤いウェディングサリーを着ているのでかろうじて判別できるものの、もし一般サリーに着替えたら誰が主役なんだかさっぱり判らないだろう。

結婚式が女のためにあるというとは、やはり洋の東西を問わぬもののようである。

(写真:主役は誰じゃ?)

2005年2月1日火曜日

インドで結婚式


結婚式に参加しました。
2年前もしたのですが、その時は知り合いの知り合いので一部のみでしたが、今回のは身を寄せている一家の中の一人(男30代後半)の結婚なので10日以上にわたるイベントの全てを見ることができました。

形式にこだわるヒンズー教の儀式らしく、それはそれは長ったらしくしつこいくらいいろいろありました。
披露宴は、一昔前日本のでゴンドラに乗って登場するなんてのがありましたがそれが子供だましに思えるほど派手で、名古屋人の私もびっくりです。
大行列を従え白馬に乗って街をパレードしたりしていました。

そして夜・・・。
男として生を受けた以上、なさねば死ねぬ大切なイベント・・・。
これまでの人生で溜めに溜めた莫大なエネルギーを一気に放出させたため強烈な摩擦熱によって急激な上昇気流が発生、巨大な雷雲を呼び、気象観測史上最高の豪雨、突風が吹き荒れ、ガンガーの水位が50m上昇、床上浸水家屋8万5千戸、死者行方不明者15万人、死牛行方不明牛7000頭にのぼる驚天動地、阿鼻叫喚、空前絶後の大惨事を引き起こしました。
が、理由が理由だけにインド政府が緘口令を敷いたため海外ニュースに載ることはなかったようです。

おふたりさん、お幸せに・・・。

2005年1月2日日曜日

火事・オヤジ

インドネシア地震で発生した津波はインド東海岸に甚大な被害を及ぼし、多数の死者・行方不明者を出した。
バラナシは内陸なのでもちろん何の影響もなかったが、テレビでは連日このニュースばかり。

で、ここで私はふと思うのだが、このような深刻な災害を、政府やその関係者はむしろ歓迎しているのではないだろうか?
というのは、こういう時に真っ先に亡くなるのは税金も納められない最下層の人たちであって、国にとっては存在価値はなく、逆に人口が減って食糧問題解決になる、と喜んでいるのでは?
更に嬉しいのは海外から大量に送られてくる援助物資を横流ししてガッポリ儲けられる絶好のチャンスであること。
事実、しょっちゅう洪水に遭うお隣の「被」援助大国バングラデシュには横流しマーケットなるものが公然と存在する。
そこに集まる古着の中にはビンテージジーンズのような掘り出し物が時々見つかるとかでマニアが買い付けに来るらしい。
と言うわけで今頃インドの高官たちは笑いが止まらぬのではないかと思うのだ。

余談であるが、「津波」のことを英語で「Tsunami」と言うことを今回初めて知った。

明けましておめでとうございます

謹賀新年。

2年前と同じくインドのバラナシでの年越しとなりました。
といってもヒンズー教の総本山的なこの街では「正月」の「し」の字もない(「クリスマス」の「ク」の字もなかった)、ただカレンダーを2005年のに取り替える程度の日でしかありませんでした。

アジア諸国で新暦の1月1日にお正月を祝うのは日本とあとどっか一国(フィリピン辺りか?)しかない、と聞いたことがあります。
その他は旧正月や、イスラム暦・ヒンズー暦・チベット暦などの宗教正月に盛大にお祝いします。
我々が何の疑いも持たず正月を祝っていることは、実はアジアの中では「西洋かぶれした例外的な国」だった訳ですね。

まあそれはともかくとして、本年もどうぞよろしくお願いします。