2005年5月28日土曜日

交通ルールを守ろう!

カルカッタの街を自転車で走っていて、とある大きな交差点を渡ろうとしていた時のこと。
車の流れが一瞬なくなり、待っていた人がいっせいに渡り始める。
私もそれに続いて移動し、間もなく反対側の歩道へたどり着く、その時だった。

突然一人の男が私の自転車をガシッと掴み車道の方に引きずり出そうとする。
一瞬自転車泥棒かと思った。
しかし白昼堂々、周りには何十人も見ている中だ。
どうもそうではない。
途切れていた車の流れがまた迫ってきたのでとりあえず歩道につけたかったのだが、その男は執拗に食い下がって、なにやら大きな声でわめき続けている。
その声の中に「ポリス!ポリス!」というのが聞こえた。
向こうに交通ポリスの姿が見える。
そこでピンときた。
この男は信号無視した人を捕まえ、警察に引っ立てる役なのだ。
というと「春の交通安全週間、取り締まり実施中!」みたいだが、ようはポリとグルになってとった罰金(ワイロ)のおこぼれをいただこうという算段なのだろう。
インド警官の腐敗ぶりはこと有名なので、これはマズイことになった・・・
と思ったが、ポリのほうは私のほうをチラと見て外人なので面倒だと思ったのかすぐどこかへ行ってしまったが、その男だけはしつこくわめき続けた。
でもポリがいなけりゃこっちのもの。
弾みでブレーキのスプリングが外れたので
「お前のせいで自転車が壊れたじゃないか!」
と仰々しく自転車をひっくり返し、タイヤを外し大修理・・・
を見せかけているうち、男も諦めてどっかに行ってしまった。

道路上で私らがギャーギャーもめている間、周りの人はじっと見守るだけだったが(警察絡みなので止むを得ないだろう)、開放されたのを見ると「可哀想に、災難だったね、これからは気をつけなよ、ウンウン」と慰めてくれる。

信号無視したことは事実なので弁解の余地はないのだがこの国では渡らない方がおかしいし、誰もが、警官までもがそうしている。
バングラデシュ、インドの悪徳警官の話はこれでもか、というくらい聞かされてきただけに自分が危うくその被害を被りそうになり肝を冷やした。

赤信号はみんなで渡っても怖いときがあるのだ。

経済学入門

ここら辺りの国には、お金には大変興味はあるものの、経済にはいまいち暗い、という人がたくさんいる。
そういう人らとの代表的な会話例。

インド人:1米ドルは40ルピーで、1英ポンドは80ルピーだ。で、1日本円は何ルピーになるのだ?
私:0.4ルピーくらいですね。
インド人:そんなバカな!日本円がそんな安いわけないじゃないか!

この彼の言い分の根底にある理論は「通貨単位1」の持つ価値は、それぞれの国において同じである、というところにある。
つまり、インドで1ルピーで買えるのは飴玉2つだが、アメリカで1ドル払っても、イギリスで1ポンド払っても、ヨーロッパで1ユーロ払っても、日本で1円払っても、中国で1元払っても、タイで1バーツ払っても、サウジアラビアで1リエル払っても、買えるのは飴玉2つでなければならない。
そして1米ドル=40インドルピーというこの40倍の差がその国の経済力の差である、という考えにつながっていく。
だから世界で一番強い通貨は80倍の差がある英ポンドであり、日本円も、1円=0.4ルピーではなく60ルピーくらいあって当然なわけだ。
その考えでいくと、超インフレ国家トルコの経済力はインドの1千万分の1くらいしかないことになってしまう。
哀れトルコ国民よ。。

このとんでもない勘違いをしている人々は驚くほど多く、いろいろな人と話した感触からして、インド10億人のうち8億人はそう思っているだろう。
バングラ1.5億人のうち1.2億人はそう思っているだろう。

彼らに1円は間違いなく0.4ルピーの価値しかないことをわからせてやりたいのだが、そのためには「現地語で」間違いを説明する、というとてつもない難題を越えなければならない。
だから私はこう言ってしまうのだ。
「ごめん、私が勘違いしていたよ。1円は60ルピーだった・・・・」

2005年5月18日水曜日

今日の外電

5月15日午後3時ごろ、バングラデシュ中部の込み合う渡河フェリー内で日本人旅行者Mさん(32)がスリの被害に遭った。
被害総額は、現金約1000円。
現地では約5日分の滞在費に相当する巨額なダメージだけに当人はかなりのショックを受けている模様。
コメントからもその深刻さが窺える。
Mさん談「後々考えてみれば10人がかりで仕組まれた巧妙な罠に見事にハマった感じですね。それにしてもあまりに鮮やかな手口で、全く気が付きませんでした。」
(ロイター発共同)

ケケケの毛太郎

その大学でのこと。
バングラデシュの男たちは普段家の中ではルンギ(巻きスカート)一丁で上半身は裸、というラフなスタイル。
学生寮内でもそれは同じ。
だから私もルンギ一丁でいた。
するとある学生が
「オー!ワキゲモジャモジャ、ソレヨクナイ!」と叫ぶ。
聞けばバングラ男は腋毛は剃るのがマナーらしい。

後日、ある床屋でウダウダしていたらヒゲを剃りに来た男が
「おう、ついでに腋もあたってくれるかい?」
って感じで、おもむろに上半身裸になり腕を上げてジョリジョリ剃ってもらうのを目撃してしまった。
床屋も冥利に尽きるだろう。

ずっと以前、トルコのハマム(蒸し風呂)に行った時、垢すりを頼んだら三助が同様に
「オーワキゲモジャモジャ!ドウスル?」
と叫んだので、丁重に断った。
トルコでは剃るのではなく、トリモチみたいなのをベタッと貼り付けて引っぺがす、冷酷無比な強制脱毛法を使うのを知っていたからだ。

ちなみにバングラデシュもトルコも腋毛は剃るが、胸毛・ヘソ毛・スネ毛・耳毛・鼻毛・ホクロ毛はボーボーのまま、眉毛が繋がっていようがお構いなしである。

2005年5月17日火曜日

嗚呼、日本人

バングラデシュのとある地方農工大に去年に続き再訪した時のこと。
(このコラムにも書いた、エロビデオを学生100人くらいで集まって一緒に見る大学です)

数人の学生が「日本の文部省へ外国人向け奨学金の申請をしたらこんな返事が来たのだが見てくれないか?」と言う。
そこには「この奨学金は日本への留学が決まった者に与えられるもので、個人の申請は受け付けられません。うんぬん…」
と丁寧な『日本語』で書かれてあった。

一体全体この手紙を寄越した者は何を考えているのであろうか?
おそらく担当者は毎日のように送られてくる、主に貧しい国々からのこの種の手紙に手を焼いて形式的に作った文章をコピーし送ったのだろうが、その貧しい国の学生がこの難解な『日本語』をスラスラ読めるとでも思っているのだろうか?

まあ返事を出すだけでもマシ、と言えないこともないが、その裏には「ちゃんと返答はし、責任は果たしたのだからこれ以上何を言われても聞く耳持ちません。」という役人的思慮がうかがえる。

よい返事を期待している学生たちにどんな顔して訳してやるべきか困り果ててしまった。

2005年4月26日火曜日

今晩の献立は何にしようかしら・・・

今回のバラナシ滞在の4ヶ月間は、昼食・夕食は全て泊まっていた宿の家庭料理を食べた。
しかし宿の一家には申し訳ないが、この4ヶ月間の食生活は本当に苦痛だった。
メニューが5種類くらいしかないのである。

この家はおそらくインドの中流家庭の典型で、メシ自体は正直言って美味しい。
それにこのコラムで何度も書いているが、私は味の好みはうるさくない。
しかし5種類のひたすら繰り返しではやっぱり「飽き」が来てしまうのだ。
5種類、と言っても日本のように、今日はハンバーグ、明日は焼き魚、次は鍋料理・・・といったものではなく、昼食メニューはごはん・チャパティー(ペラペラパン)・ダール(豆汁)は毎日変わらず、付け合せの大さじ一杯分くらいのカレー味のおかずの具がイモだったり、豆だったり、ナスだったり・・・といっただけの変化なのだ。
夕食はさらにひどくて、チャパティーとイモカレー煮込みのみが連日。
おまけにこの家庭はピュアベジタリアンなので、卵・肉・魚、一切ご法度。
メニューの少ないのも無理ないか・・・

料理するお母ちゃん達も、料理番組見て新メニューを・・・なんて気は全くこれっぽっちも持ってないようで、料理してやるだけありがたいと思いな、って感じ。

今回は初めからバラナシ滞在は4ヶ月限定!と決めていたので何とか耐え抜いたが、もしこれが永久にだったら・・・と考えると心からインド人に生まれなくてよかったと思う。

それにしても、当のインド人はこんな食生活で満足しているのだろうか??と疑問に思っていたところ、ある象徴的なテレビCMを見た。
それはインド風ヤキソバを作るためのインスタント麺のCMなのだが、ストーリーはこんな感じ。

子供達:パパ、今日のご飯はなんだろうね?
パパ:チャパティーとカレー煮込みじゃないかな?
子供達:えー!またなのー!?(子供達ガッカリ顔)
  そこへエプロン姿のママがヤキソバのお皿を持って登場
ママ:今日はヤキソバなのよ!
パパ・子供達:わーい!ママ大好き!!

インド人だってやっぱりいろんなもの食いたいわな。

ボクねぱあるジンデス

道中、自転車を停め、メシ食ったり、休んでたりすると集まってきた地元インド人が話す声の中に「ネパリ、ネパリ」と言うのが聞こえる。
どうやら私のことをネパール人だと言っているようだ。
真っ黒に日焼けし、埃まみれで、この酷暑の中を、大荷物を載せて、自転車で行く。
一般インド人の想像する金満ニッポンとは遠くかけ離れた姿にネパールの奥地から来た行商人と思われても仕方あるまい。
ただしこれが一度や二度の話ではなく、自転車移動中の数十件、ほぼ100%の割合で「ネパール人」と言われたのはちょっと驚いた。

「日本人だ」と明かすと
「何でまたこのクソ暑い中を? 何かの罰なのか??」
なかなか理解してもらうのに苦労する。

これが、午後のこっちがクタクタになっている頃になると説明するのも億劫になってしまい、ある時「ネパール人」で通してみた。
設定はこう。
「私はカトマンズに住むシェルパ族。自転車のパーツを日本から輸入するビジネスをしている。だから今は休暇中の自転車旅行。東京にも2度行ったことがある。」

どうやら相手は完全に信じてしまったようで
「日本はどんな国だった? いい所か?」
とかいろいろ聞いてくる。
「シブヤという街にはこんな短いスカートを穿いて化粧をした16-18歳のストリートガールがいっぱいいたぞ!」と言うと
「いくらだろう?日本は金持ちの国だから2000円くらいではないか?」
といろいろ会話がはずんだ。

熱風吹きつけるある日の午後の話。

暑い所を走ると・・・

バラナシからカルカッタにやってきました。
今がインドでは一番暑い季節。
天気予報では連日40℃以上を伝えています。
しかしこれは「地面から1m離れた風通しの良い日陰」で測った温度なので、直射の元、アスファルトの照り返しの中ではプラス5-10℃くらいなものでしょうか。

当然そんな中を自転車で走るわけだからとっても暑いです。
吹きつけてくるのは熱風。
熱い風呂に入ると体を動かすよりジッとしていたほうが暑さを感じないように、この場合の熱風は苦痛でしかない。
ただ道中水だけはふんだんにあるので(井戸水)、それを頭からザバザバかぶってパンツまでビショ濡れになった状態で走れば気化熱が奪われてかなりヒンヤリ気持ちいい!
しかし天然の乾燥機の中を走っているようなものなので、15分もすればパリパリに乾ききってしまい、また熱風地獄。
井戸を見つけてはまたズブ濡れになり・・・をひたすら繰り返して何とか生き延びました。

水は一日で10L以上は飲んでいたでしょうか。
それでも汗(液体)は全くかかないし、小便も全然したくならない。
いったい水はどこへ行ってしまったのでしょう??

あと、これは走っている時の話ではなく、バラナシにいたときの話ですが、あるすごく暑い日、ちょっと熱っぽさを感じたので体温を測ろうと水銀体温計を取り出したところ、既に「40」の所まで水銀柱が伸びてました。
振って戻しても目前でミヨヨーンと「40」まで戻ってしまいます。
普段あまり見られない光景なので思わず自分の熱を測るのも忘れて何度も繰り返してしまいました。

2005年4月7日木曜日

インドを知る

蔵前仁一著「ホテルアジアの眠れない夜」の中に「威張るなビンボー旅行者」という項があって、そこには
「ビンボー旅行者の中には過剰に倹約に徹し『こうしないとインド民衆の真実は分からぬ』と説く人がいるが貧乏な民衆の誰一人として外国に来れるような『ビンボー旅行者』のことを自分たちと同じ貧乏人とは思っていない」とある。
これはまさにその通りであって否の打ち所はないのだが、全く別の観点から考えると、ビンボー旅行者というのはどのインド人よりもインドのことを知っている、あるいは知ることができる、といえると思う。

インドの列車には常時ギュウギュウ激混みの自由席車両から飛行機代よりも高い一等車両まである。
宿には南京虫ウジョウジョお布施式巡礼宿からマハラジャの邸宅を改造した宮殿ホテルまである。
ビンボー旅行者といっても胴巻きにはそれなりの金は入っているのだからちょっと奮発すれば物価の安いインドにおいては最高ランクの経験もできるのだ。
カーストにこだわることなく誰とでも普通に接することができる。
ヒンズー教の寺だって、イスラム教のモスクだって気兼ねなく入ることができる(異教徒入場禁止の所も多いが)。
広いインドの北から南までどこだって行ける(パーミッションが必要なところもある)。
その辺で知り合ったオッチャンの家でチャイをごちそうになることもあれば、日本に留学してるインド人の友人があれば上流階級のお宅で食事させてもらえることもあるだろう。

対してインド人の場合はどうだろう。
貧乏な庶民がマハラジャホテルに泊まれないのは明白として、金持ちが敢えて「貧乏暮らしを経験したい!」といって南京虫宿に泊まるとは考えられない。
カースト・宗教・男女性差によって行動も大きく制限されるだろう。

そう考えれば貧乏外国人の方がはるかに多種多様なインドを知ることができる立場にある訳だ。
もちろんこれは「広く浅く」知ることができるだけであって「狭いが深い」生活をしている彼らにかなわないことも事実ではあるのだが。

バラナシでホーリー その2


2年前と同じくバラナシでホーリーを迎えた。
ホーリーとは男女も年齢もカーストも関係なく無礼講で色水を掛け合うお祭りなのだが、ここバラナシにおいては無礼講の解釈の度が過ぎて破壊・強姦・殺人なんでもあり。
こと外国人は格好のターゲットなので宿はどこも終日外出厳禁になる。

という訳なので、おそらく世界中のどんなガイドブックや写真集にも「バラナシのホーリー」をまともに写したものはないのではないだろうか?
「危険な撮影」といえば真っ先に戦場カメラマンが思い浮かぶが、あれはあくまで戦争当事者の間に入った第三者的立場であって、石ころや木と同じようなもの。
もちろん流れ弾に当たれば死ぬが、狙われている訳ではない。
ところがバラナシでホーリーの時出歩けば、間違いなく集中砲火を浴びるのである。
周り全員が敵。
しかも何されたって「そんな時出歩く奴が悪い」と同情もされないだろう。

さあ、勇気あるカメラマン諸君、ピューリッツァー賞はここにある。
毎年3月の満月の晩、バラナシに集結せよ。

(写真:家の中にいればこの程度で済む)