2005年6月7日火曜日

自転車空輸

よく聞かれる質問。
「自転車を飛行機に載せる時お金取られるんですか?」
答えは「NO」。
タイヤを外して梱包すれば、一般の預け荷物と同じ扱いとなる。
ただし引っ掛かってくるのは重量の方。
自転車本体だけなら15kgぐらいだが、諸々の付属品があるため。
アジア便エコノミー客は原則20kgまで。
25kgまでなら何も言われずに受け取ってくれ、
25-30kgだとちょっとシブイ顔をされるが「頼む!」で切り抜け、
30kgを超えると「減らせ」と言われ機内持ち込みに移す、
というのが今までのチェックインのパターンだった。
チェックインカウンターで秤に巨大な輪行バッグを載せるときは減量に失敗したボクサーの計量のような心境となり、揺れる数字を見ながら「頼む、30kgを超えないでくれ…」と祈るような心境になる。

で今回カルカッタ空港にて。
生意気にもシンガポール航空を選んだ私はカウンターに並んだ。
自分の番が来て、カートから輪行バッグを持ち上げる。
その時今まで持ったことのないとてつもない重量を両腕に感じた。
揺れが止まったデジタル数字が示したのは
「38.9kg」
係員、ため息一つ。「重すぎる」
私、引きつり顔で。「て、手荷物に移しますから…」

しかし、カウンターの陰には既に重量級の荷物でいっぱいの45Lのザック。アッサリ係員に見つかり
「これはデカ過ぎる。機内に持ち込むのは許さん。これも預け荷物にせよ。」
ドーン。
更に14kg。加えて52kg。弁解の余地なし。
示された超過重量代金、痛恨の160USドル。
「我々シンガポール航空は英国航空に準じた厳しいルールの元で運営しております。規則ですので払っていただかなければお客様を機内にご案内するわけにはまいりません」
インド人とは思えぬテキパキした反応の能面のような男が話す。
私はこの時ほど、機体はオンボロでサービスは最悪だが、規則はナアナアのアエロフロートやエアインディアを恋しく思ったことはない。

しかし私は戦った。
平身低頭、額の皮が剥けるほどカウンターに頭を擦りつけ30分ほど戦った。
戦果は多少あった。
160ドル→120ドル。
だが元々のチケット代330ドルと加えて計450ドル。
4時間のフライトに5か月分のインド生活費が吹っ飛んだ。
こうなったら機内でビール150本飲んで元を取ってやる!!
…つもりだったが9ヶ月ぶりのアルコールのせいで1本飲んだだけでフワフワになってしまっていた…。

シンガポールに来ました

インドから中国へ…の間にシンガポールに立ち寄っています。
明らかに私などお呼びでないこの国になぜ来てしまったのか?
理由は3つ。
1.カメラの修理
2.パスポートの更新
3.シンガポール人の友人に会う

カルカッタから更に南へ3000kmの赤道直下。
そして周りは海。
カルカッタが地獄の蒸し暑さだっただけに、これは間違いなく熱死するな、と思っていたのですが、とんでもない。
昼間せいぜい30度止まり。
意外にもカルカッタに比べて全然乾燥していて、日本の夏なんかよりはるかに心地よい。
夜などファンだけでちょうどいい感じ。

しかし今までいた国とはあまりにもかけ離れた超文明的世界に逆カルチャーショックを受けてしまっています。

2005年6月3日金曜日

スターウォーズと私

「スターウォーズ・エピソード3」をカルカッタで観てきました。
ヒンディー語あるいはベンガル語吹き替えで、ユアン・マグレガーが「チョロ!(行くぞ)」とか「アッチャー!(よし)」とか言うのを期待していったのですが、さすがここは国際都市カルカッタ、英語そのまんまでした。
そのせいかヒンディードンチャカ映画を見に来るような客層とちょっと違った
「ワシら英語も理解できるハイクラスですねん。忙しい身でんねんから、携帯電話は手放せまへん。」
といった人が多く、劇中ひっきりなしにあちこちで液晶画面がピカピカ光り、その度にロビーに出て行くので気が散って仕方がないですねん。

思い起こせば8年前、マーク・ハミル主演の「スターウォーズ・エピソード4・5・6」のデジタル再処理版(アラビア語吹き替え)は全てエジプトで観て、「エピソード1」(英語+日本語字幕)だけは日本で観たものの、「エピソード2」はニューヨーク(英語)と中国(中国語吹き替え)で。
そして今回「3」はインド(英語)。
私の旅には何故かスターウォーズがつきまとっているようで。

しかしながら「1・2・3」の最重要テーマである
「なぜダースベーダーはダークサイドにはしってしまったか?」
は結局理解できずじまい・・・。
オソマツ。

2005年6月1日水曜日

コレクター


私はどの国に行っても記念の土産を買うことはまずないのだが、その代わりに集めているものがある。
それは各国のお札・コイン。
お札のデザインにはその国の代表的建造物、歴史に残る代表的人物が描かれ、よくよく細部までじっくり見るとかなり美しく楽しい。
自分の行った国は勿論、知人が私の行ってない国へ行くときには土産に持ち帰ってもらったりして、今までに集めた分が50ヶ国くらい。

先日ちょいとブータンまで行ってきたのもお札集めのため。
ブータンのお札はどれも多色刷りでまれに見る美しさ。
他のお気に入りは、エジプトの遺跡シリーズ、ネパールの動物シリーズ、一昔前の中国の多民族シリーズ(今は全部毛沢東になってしまった)。
王国の発行するお札の肖像は全額面王様。
バングラデシュは政権交代の度にお札が変わるので、同じ10Tkでも色も大きさもデザインも全く異なる札が5種類もあり混乱の極み。
香港は3つの銀行が札を発行していてこれも混乱を招く。
コレクションしきらないうちに多種多様あったヨーロッパの通貨は味も素っ気もないデザインのユーロに変わってしまった。

しかし何といっても世界でもっともつまらなく、集める気にもならないデザインのお札は米ドルだろう。
1ドルから100ドルまで色も大きさも全て同じの単色刷り。
この世界一シケプーなお札が世界一信用がある、というのも皮肉な話だが・・・。

(写真:ブータンの10ヌルタム札 約25円)

ブータンへ

「ブータン」と聞いて、ああ、あそこにあって、首都はティンプーね、と即答できる人は少ないのではないでしょうか。
ブータンは中国(チベット)とネパールとインドとバングラデシュに囲まれるようにひっそりと存在するチベット仏教を信仰する山国です。
半鎖国政策をとっていて、入国しようと思ったら一日に付き240ドル(!)のビザ代を払わねばならないので、貧乏旅行者には縁のないところですが、1ヶ所だけインドと国境を接する町が開放されているのでそこへ行ってきました。

そこは1つの町を横切るように国境線が引かれ、「ブータン版ベルリンの壁」とも言うべき幅2mくらいのドブ川が国境となっています。
若者はジャンプで飛び越えたりしていますが、町の中心にはちゃんとしたゲートがあって普通はそこを通ります。
地元民も外国人も何のチェックも無く自由に行き来しているのでインド側にモンゴロイド顔のブータン人やチベット僧がいたり、ブータン側にサリーのインド人がいたり、混ぜん一体となっている感じでどちらがどちらというような堅苦しいことはあまり感じません。

ただ、町で店に並ぶ品々を比較すると、国力の歴然たる差、というものを感じます。
しかし唯一、インド側には無くて、ブータン側にはこれでもか、とある品があります。
それは「酒」。
インドの食堂にはコーラやファンタが並べられていますが、ブータンの食堂にはビールにウイスキー。
スーパーマーケットでも冷えたビールが・・・
そういえばここ9ヶ月ほどアルコールは口にしていなかったなあ・・・。

2005年5月28日土曜日

交通ルールを守ろう!

カルカッタの街を自転車で走っていて、とある大きな交差点を渡ろうとしていた時のこと。
車の流れが一瞬なくなり、待っていた人がいっせいに渡り始める。
私もそれに続いて移動し、間もなく反対側の歩道へたどり着く、その時だった。

突然一人の男が私の自転車をガシッと掴み車道の方に引きずり出そうとする。
一瞬自転車泥棒かと思った。
しかし白昼堂々、周りには何十人も見ている中だ。
どうもそうではない。
途切れていた車の流れがまた迫ってきたのでとりあえず歩道につけたかったのだが、その男は執拗に食い下がって、なにやら大きな声でわめき続けている。
その声の中に「ポリス!ポリス!」というのが聞こえた。
向こうに交通ポリスの姿が見える。
そこでピンときた。
この男は信号無視した人を捕まえ、警察に引っ立てる役なのだ。
というと「春の交通安全週間、取り締まり実施中!」みたいだが、ようはポリとグルになってとった罰金(ワイロ)のおこぼれをいただこうという算段なのだろう。
インド警官の腐敗ぶりはこと有名なので、これはマズイことになった・・・
と思ったが、ポリのほうは私のほうをチラと見て外人なので面倒だと思ったのかすぐどこかへ行ってしまったが、その男だけはしつこくわめき続けた。
でもポリがいなけりゃこっちのもの。
弾みでブレーキのスプリングが外れたので
「お前のせいで自転車が壊れたじゃないか!」
と仰々しく自転車をひっくり返し、タイヤを外し大修理・・・
を見せかけているうち、男も諦めてどっかに行ってしまった。

道路上で私らがギャーギャーもめている間、周りの人はじっと見守るだけだったが(警察絡みなので止むを得ないだろう)、開放されたのを見ると「可哀想に、災難だったね、これからは気をつけなよ、ウンウン」と慰めてくれる。

信号無視したことは事実なので弁解の余地はないのだがこの国では渡らない方がおかしいし、誰もが、警官までもがそうしている。
バングラデシュ、インドの悪徳警官の話はこれでもか、というくらい聞かされてきただけに自分が危うくその被害を被りそうになり肝を冷やした。

赤信号はみんなで渡っても怖いときがあるのだ。

経済学入門

ここら辺りの国には、お金には大変興味はあるものの、経済にはいまいち暗い、という人がたくさんいる。
そういう人らとの代表的な会話例。

インド人:1米ドルは40ルピーで、1英ポンドは80ルピーだ。で、1日本円は何ルピーになるのだ?
私:0.4ルピーくらいですね。
インド人:そんなバカな!日本円がそんな安いわけないじゃないか!

この彼の言い分の根底にある理論は「通貨単位1」の持つ価値は、それぞれの国において同じである、というところにある。
つまり、インドで1ルピーで買えるのは飴玉2つだが、アメリカで1ドル払っても、イギリスで1ポンド払っても、ヨーロッパで1ユーロ払っても、日本で1円払っても、中国で1元払っても、タイで1バーツ払っても、サウジアラビアで1リエル払っても、買えるのは飴玉2つでなければならない。
そして1米ドル=40インドルピーというこの40倍の差がその国の経済力の差である、という考えにつながっていく。
だから世界で一番強い通貨は80倍の差がある英ポンドであり、日本円も、1円=0.4ルピーではなく60ルピーくらいあって当然なわけだ。
その考えでいくと、超インフレ国家トルコの経済力はインドの1千万分の1くらいしかないことになってしまう。
哀れトルコ国民よ。。

このとんでもない勘違いをしている人々は驚くほど多く、いろいろな人と話した感触からして、インド10億人のうち8億人はそう思っているだろう。
バングラ1.5億人のうち1.2億人はそう思っているだろう。

彼らに1円は間違いなく0.4ルピーの価値しかないことをわからせてやりたいのだが、そのためには「現地語で」間違いを説明する、というとてつもない難題を越えなければならない。
だから私はこう言ってしまうのだ。
「ごめん、私が勘違いしていたよ。1円は60ルピーだった・・・・」

2005年5月18日水曜日

今日の外電

5月15日午後3時ごろ、バングラデシュ中部の込み合う渡河フェリー内で日本人旅行者Mさん(32)がスリの被害に遭った。
被害総額は、現金約1000円。
現地では約5日分の滞在費に相当する巨額なダメージだけに当人はかなりのショックを受けている模様。
コメントからもその深刻さが窺える。
Mさん談「後々考えてみれば10人がかりで仕組まれた巧妙な罠に見事にハマった感じですね。それにしてもあまりに鮮やかな手口で、全く気が付きませんでした。」
(ロイター発共同)

ケケケの毛太郎

その大学でのこと。
バングラデシュの男たちは普段家の中ではルンギ(巻きスカート)一丁で上半身は裸、というラフなスタイル。
学生寮内でもそれは同じ。
だから私もルンギ一丁でいた。
するとある学生が
「オー!ワキゲモジャモジャ、ソレヨクナイ!」と叫ぶ。
聞けばバングラ男は腋毛は剃るのがマナーらしい。

後日、ある床屋でウダウダしていたらヒゲを剃りに来た男が
「おう、ついでに腋もあたってくれるかい?」
って感じで、おもむろに上半身裸になり腕を上げてジョリジョリ剃ってもらうのを目撃してしまった。
床屋も冥利に尽きるだろう。

ずっと以前、トルコのハマム(蒸し風呂)に行った時、垢すりを頼んだら三助が同様に
「オーワキゲモジャモジャ!ドウスル?」
と叫んだので、丁重に断った。
トルコでは剃るのではなく、トリモチみたいなのをベタッと貼り付けて引っぺがす、冷酷無比な強制脱毛法を使うのを知っていたからだ。

ちなみにバングラデシュもトルコも腋毛は剃るが、胸毛・ヘソ毛・スネ毛・耳毛・鼻毛・ホクロ毛はボーボーのまま、眉毛が繋がっていようがお構いなしである。

2005年5月17日火曜日

嗚呼、日本人

バングラデシュのとある地方農工大に去年に続き再訪した時のこと。
(このコラムにも書いた、エロビデオを学生100人くらいで集まって一緒に見る大学です)

数人の学生が「日本の文部省へ外国人向け奨学金の申請をしたらこんな返事が来たのだが見てくれないか?」と言う。
そこには「この奨学金は日本への留学が決まった者に与えられるもので、個人の申請は受け付けられません。うんぬん…」
と丁寧な『日本語』で書かれてあった。

一体全体この手紙を寄越した者は何を考えているのであろうか?
おそらく担当者は毎日のように送られてくる、主に貧しい国々からのこの種の手紙に手を焼いて形式的に作った文章をコピーし送ったのだろうが、その貧しい国の学生がこの難解な『日本語』をスラスラ読めるとでも思っているのだろうか?

まあ返事を出すだけでもマシ、と言えないこともないが、その裏には「ちゃんと返答はし、責任は果たしたのだからこれ以上何を言われても聞く耳持ちません。」という役人的思慮がうかがえる。

よい返事を期待している学生たちにどんな顔して訳してやるべきか困り果ててしまった。