2002年12月3日火曜日

チベットの恩返し その2『母の想い』

それはチベットに入って間もない頃、しばらくお世話になった家での事だ。
その家には老婆がいた。
写真を撮られるのを嫌がった。
しかし数日後、突然オレに「写真を撮ってくれ」と頼んできた。
一体どういう事だろう?
オレは理由を尋ねた。
老婆は淡々と話してくれた。
彼女には娘がおり、今ラサに嫁いでいるという。
娘や孫たちに会いに行きたいが、ここからラサまではトラックの荷台に揺られ1週間かかる。
老婆の歳ではとてもラサまで行けそうにない。
これからラサに行くというなら、自分の姿を写した写真をラサにいる娘に渡し、元気にやっているから心配しないで、と伝えて欲しい、というのだ。
オレには一宿一飯(正確には3宿11飯)の義理がある。
もちろん喜んで引き受けた。

しかしこれも難を極めそうだった。
なぜなら老婆は字を読み書きできず、手がかりは6桁の電話番号と名前だけだったからだ。
しかしオレはやる、いや、やらねばならない。

1ヶ月後オレはラサに着いた。
残念だがオレの中国語は電話のやり取りできるほど達者ではない。
ましてやチベット語などお話にもならない。
オレはホテルのチベタン小姐に事の次第を説明した。
彼女は快く電話をかけてくれた。

しかし電話に出たのはその娘ではなかった。
しばらくその謎の相手と小姐は話し込み、何やら紙に書き付け、
「これを持って○○寺へ行き、その辺の人に見せてまわれ」
と言う。
その紙にはチベット文字で文が書いてあったがオレには読むことが出来ない。
ひとまずオレはその通りに寺へ向かった。
そして寺の僧にその紙を見せた。
次々と僧達が集まってきて、ワイワイやり始めた。
一人がオレに「しばらく待て」と言う。

こういう時の時間の経過は遅く感じる。
しかたなくオレは僧と記念写真を撮ったり、以前撮った写真を見せたりした。
するとある草原を撮った写真を見た僧が、「あ、ここ俺んち」
遊牧民を撮った写真を見た僧が、「あ、これ俺の友達」
チベットは広いようで狭い。

1時間もたった頃、一人の僧が俺に近づいてきて、ついてこい、と言う。
オレは彼について歩いた。
そして一軒の民家に入っていった。
そこには一人のチベタン男がいた。
オレはとりあえず老婆の写真を見せた。
すると硬い表情をしていた男の顔が一気に崩れた。
その男は老婆の息子だったのだ。
彼はオレを部屋に招きいれ事の次第を聞きたがった。
オレは全てを話した。
そうこうするうち一人の女が帰ってきた。
そう、その女こそが老婆が話していた大切な可愛い娘だったのだ。
女は既に話を受けていたらしく、すぐさま事情を察し歓迎してくれた。
オレはその女に老婆や村の写真の束を渡した。
彼女は何度も何度もそれらを懐かしそうに繰り返し見ていた。
その目からは涙が流れた。
そして今晩はぜひ私の家に泊まって食事していって下さい、と言った。
断るはずもなくオレはその言葉に甘えることにした。

彼女の家には可愛い娘が3人(ガキ)。
うまい手料理(ツァンパ)とうまい酒(チンコー酒)でオレは気分が良かった。
言うまでもなくここで撮った写真は老婆の元へ送る。
老婆が嬉しそうにその写真を見る姿をオレは容易に想像できた。

(写真上:老婆
 写真下:娘一家)