老婆の娘の家で話していて、謎だった部分が明らかになった。
電話番号は初めので正しく、電話に出たのは娘の嫁ぎ先のダンナの親(つまり姑)であったこと。
ホテル小姐と話していたのは「今仕事で出かけており、帰りに○○寺の近くに住む兄の××の所に寄るだろうからそちらへ行け。」ということ。
紙に書いてあった謎のチベタン文字は「××という人の家は何処ですか?」ということ。
その家を訪れて以来数日間、食事寝泊まりはほとんどその家か兄の××の家でお世話になることになってしまい、宿に戻るのは宿代を払いに行くだけ、という全くもって無駄な出費を続けていたのだが、彼らからの勧めもあり、ついに先日宿をチェックアウト、荷物ごとその家に引っ越してしまった。
こうなってしまった以上あまり甘え続けることもできない。
そろそろラサも出どきということだろうか。
2002年12月3日火曜日
その2 のその後
その1 のその後
アイツには結局会うことはできなかったが、その時オレは妻や子供の写真を沢山撮った。
それらをすぐさま現像し、再びアイツの家を訪ねて渡してきた。
この2回の訪問でもやはりツァンパとバター茶が出てきた。
出てきたツァンパは最大の歓迎の意味のこもったバターと砂糖のたっぷり入った甘いツァンパ。
甘いのはここが初めてだ。
その味を例えるなら・・・
焼いていないケーキの生地を食べているような感じか?(食べたこと無いが)
まあとにかくこれで更にアイツも喜んでくれることだろう。
そして、もしまた長期の仕事に出るときはこの写真を持って行ってくれることを願う。
チベットの恩返し その3『巡礼の果てに』
10月28日はチベットのお祭りであった。
ラサ最大の聖地ジョカン寺にはいつもよりもはるかに多くの巡礼者が集まっていた。
この寺の御本尊はシャカムニ像なのだが、それを拝むためには大行列に並んでひたすら待つ覚悟が必要である。
オレも毎日のようにジョカンに赴くものの、行くたびにその大行列を見て諦めて帰っていた。
その日はしかも祝日である。
行列は本堂を飛び出し寺の周りをぐるり一周していた。
その混雑ぶりはGW中のディズニーランドすら閑古鳥の鳴く寂れた遊園地に思えてしまうほど凄まじいものであった。
もはや並ぼうなんて気はサラサラなく、とりあえずこの雰囲気だけでも味わっておこうと寺の周りを歩いていた時である。
その行列の一角からオレの方を指差し何やら騒いでいる一団がいた。
ヤバイ、やはりこの聖なる地に外国人が入り込むのはマズかったか?
オレは恐る恐るそちらを見た。
「アッ!?!?」
声を上げずにはいられなかった。
真っ黒に日焼けし、まだあどけなさの残るその顔、そして額には黒いアザが。
彼らの顔を忘れるはずがなかった。
それはラサまであと300km、最後の峠を越えようとしている時だった。
自転車のオレに道端から声をかける者がいた。
工事でもない、遊牧民でもない、彼らは五体投地で聖地ラサを目指す巡礼者、20歳前後の少年僧4人組だった。
1日約10kmというペースで、実に8ヶ月という気の遠くなるような期間をかけての巡礼だった。
そして残すところあと1ヶ月で聖地にたどり着く、というところでオレと出会ったのだ。
彼らの野営場でオレも一晩明かすことにした。
一般チベット人から托鉢で得たありがたい食料を分けていただくという大変バチ当たりなことをしてしまったが、同じ道を同じ目的地に向かって進むもの同士、話題は尽きず夜がふけるまで語り合った、というのはウソで、オレと同じくらいの中国語レベルの彼らとはあまり話できず暗くなったらすぐ寝た。
お互い疲れていたのだ。
翌朝写真を撮って健闘を誓い合い別れた。
この写真を渡すすべはなかった。
オレだけの思い出で終わるはずだった・・・。
ところがその彼らが今目の前にいるのだ!
何という巡り合わせだろう!!
オレ達は再会を喜び合った。
オレは「ちょっと待ってくれ」と言い残し家へ走った。
そしてあの時の写真を持って再びジョカンへと駆け戻った。
彼らはもう少しで本堂に入ってしまうところだった。
あの写真を渡すと、彼らは嬉しそうに回し見した。
そして周りの人にオレのことを紹介して、一緒にシャカムニを拝もう、と列の間をあけてくれた。
オレは歓迎されながら横入りした。
そこから並ぶこと2時間、オレ達はチベットの最も聖なる寺ジョカンの最も聖なる御本尊シャカムニ像を一緒に拝むことができた。
外に出てオレ達はまた一緒に写真を撮った。
以前撮った写真には、澄んだ青空と白い雪山と笑顔の4人が写っている。
そしてその日のラサにもあの時と同じ、澄んだ青空と白い雪山、そしてあの時以上の笑顔を見せる4人がいた。
チベットの恩返し その2『母の想い』
それはチベットに入って間もない頃、しばらくお世話になった家での事だ。
その家には老婆がいた。
写真を撮られるのを嫌がった。
しかし数日後、突然オレに「写真を撮ってくれ」と頼んできた。
一体どういう事だろう?
オレは理由を尋ねた。
老婆は淡々と話してくれた。
彼女には娘がおり、今ラサに嫁いでいるという。
娘や孫たちに会いに行きたいが、ここからラサまではトラックの荷台に揺られ1週間かかる。
老婆の歳ではとてもラサまで行けそうにない。
これからラサに行くというなら、自分の姿を写した写真をラサにいる娘に渡し、元気にやっているから心配しないで、と伝えて欲しい、というのだ。
オレには一宿一飯(正確には3宿11飯)の義理がある。
もちろん喜んで引き受けた。
しかしこれも難を極めそうだった。
なぜなら老婆は字を読み書きできず、手がかりは6桁の電話番号と名前だけだったからだ。
しかしオレはやる、いや、やらねばならない。
1ヶ月後オレはラサに着いた。
残念だがオレの中国語は電話のやり取りできるほど達者ではない。
ましてやチベット語などお話にもならない。
オレはホテルのチベタン小姐に事の次第を説明した。
彼女は快く電話をかけてくれた。
しかし電話に出たのはその娘ではなかった。
しばらくその謎の相手と小姐は話し込み、何やら紙に書き付け、
「これを持って○○寺へ行き、その辺の人に見せてまわれ」
と言う。
その紙にはチベット文字で文が書いてあったがオレには読むことが出来ない。
ひとまずオレはその通りに寺へ向かった。
そして寺の僧にその紙を見せた。
次々と僧達が集まってきて、ワイワイやり始めた。
一人がオレに「しばらく待て」と言う。
こういう時の時間の経過は遅く感じる。
しかたなくオレは僧と記念写真を撮ったり、以前撮った写真を見せたりした。
するとある草原を撮った写真を見た僧が、「あ、ここ俺んち」
遊牧民を撮った写真を見た僧が、「あ、これ俺の友達」
チベットは広いようで狭い。
1時間もたった頃、一人の僧が俺に近づいてきて、ついてこい、と言う。
オレは彼について歩いた。
そして一軒の民家に入っていった。
そこには一人のチベタン男がいた。
オレはとりあえず老婆の写真を見せた。
すると硬い表情をしていた男の顔が一気に崩れた。
その男は老婆の息子だったのだ。
彼はオレを部屋に招きいれ事の次第を聞きたがった。
オレは全てを話した。
そうこうするうち一人の女が帰ってきた。
そう、その女こそが老婆が話していた大切な可愛い娘だったのだ。
女は既に話を受けていたらしく、すぐさま事情を察し歓迎してくれた。
オレはその女に老婆や村の写真の束を渡した。
彼女は何度も何度もそれらを懐かしそうに繰り返し見ていた。
その目からは涙が流れた。
そして今晩はぜひ私の家に泊まって食事していって下さい、と言った。
断るはずもなくオレはその言葉に甘えることにした。
彼女の家には可愛い娘が3人(ガキ)。
うまい手料理(ツァンパ)とうまい酒(チンコー酒)でオレは気分が良かった。
言うまでもなくここで撮った写真は老婆の元へ送る。
老婆が嬉しそうにその写真を見る姿をオレは容易に想像できた。
(写真上:老婆
写真下:娘一家)
チベットの恩返し その1『タバコを吹かしたアイツを追え!』
オレはアイツを探していた。
ある田舎で一緒にメシを食い、一緒にタバコを吹かしたアイツを、だ。
アイツはその時そこで道路工事の仕事に従事していた。
そしてオレがラサに着くのと同じ頃、アイツもラサに帰ると言っていた。
アイツの写真をオレは撮っていた。
郵便で送ってもよかったが、どうせなら直接渡して再会を喜びたい、その思いでオレはアイツの家を探して直接渡すことに決めた。
手がかりはあった。名前と住所。
その住所にはオレが今身を寄せているホテルと同じ「北京中路」と記されている。
見つけるのは容易だろうと思われた。
しかし事情が明らかになるにつれ、それが大変困難を極めるであろうということが次第に分かってきた。
なぜならその「北京中路」とはラサ市内を東西に15kmにわたって走るメインロードであったからだ。
しかも中国の住所は大変アバウトで、続くのが「○○商店××号」とあるからだ。
これを東京にたとえるなら、「環八沿いのどっかにある○○商店の近くに住む山田さん」を探すようなものだ。
とりあえずオレはホテルの人に○○商店を知っているか、と尋ねた。
やはり答えは「不知道(知らない)」。
当然だろう。
続いてオレはホテルに出入りする業者に聞いてみた。
こういう男の方が地元の地理に明るいはずだからだ。
オレの考えは正しかった。
その男は見事に○○商店を知っていた。
そこはホテルより10kmほどの所にあるらしい。
オレは愛車にキーを挿し込み(南京錠)そこへ車(自転車)を走らせた。
確かにそこに○○商店はあった。
ここまで来ればもうこっちのもんだ。
あとはその辺のぶらぶらしている人に写真を見せ、この人の家を知っているか、と聞きまくればよいのだ。
そしてものの10分もしないうちにオレはアイツの家の扉の前に立った。
心臓の鼓動と同じペースでオレは扉をノックした。
中から女の声がした。
オレはその女に素早く自己紹介し写真を見せた。
その女はアイツの妻だった。
部屋の中では赤子が泣いていた。
「アイツは今どこにいる?」
しかしその答えはオレを落胆させた。
なんでも工事期間が延びたらしくまだ1ヶ月は帰らない、というのだ。
大変無念ではあったが、妻はその写真を懐かしそうにながめ、赤子に「パパだよ!」と言ってきかせていた。
いつしか赤子は泣き止んでいた。
帰り道、白く輝くポタラ宮がオレに「ありがとう」と言っているような気がした。
今晩はうまい酒(チンコー酒)が飲めそうだ。
(写真:右から2番目がアイツ)