カトマンズに着いて日本の新聞を見ると、先日行われたサッカーアジア杯決勝での中国人観客の日本人へのブーイング問題の記事が載っていました。
私は当時チベットにいてその試合のことも知っていました。
日本勝利の晩、いつものチベット飲み屋に行くと、客(チベット人)が皆口々に「日本よくやった!!」と誉めたたえます。
そう、チベット人にとって中国は敵。
それを日本が破ったもんだから、ザマミロってなもんです。
チベット流酒の注ぎ方は、普通に嬉しい時(注ぐ人が)は一口飲むのを3回、4回目はカップ全部飲み干すのですが、すごく嬉しい時(注ぐ人が)は4回とも全部飲み干さねばなりません。
みんな次々と祝福のチャン(チンコー酒)を注ぎに来てくれます。
私も決勝点となる必殺のタイガーショットを外のドブにたたき込んだりしてみました。
オエッ。
2004年8月16日月曜日
アジアカップ
カトマンズ到着
天上のチベットから下界のカトマンズへ下りてきました。
日本ほどではないでしょうが、やっぱりムッとする湿度を感じます。
タバコがあっという間に燃えてなくなってしまいます。
思わず沸かしたてのお茶を飲んで口を火傷しました。
(チベットでは沸点が低いのですぐ飲んでも問題無い)
当たり前のことが当たり前じゃなくなってしまいました。
さらばラサ
夢のような日々は過ぎるのが早いものです。
あっという間に19日間のラサ滞在は終わってしまいました。
この間、多くの人たちと再会することができ、皆一様に優しい笑顔で迎え入れてくれました。
今ラサの街は日に日に確実に変わっています。
2年後鉄道が開通すれば更に大きく変わってしまうでしょう。
でもチベット人・中国人関係なく、人々の優しさだけはきっと変わらないと思います。
さらば、ラサ。
2004年8月4日水曜日
ガンバレ日本!
ラサには2年前見つけた行きつけの飲み屋(チベタンOnly、中国人お断り)がある。
そこの常連にやたら元気なおばちゃんがいる。
こういう飲みの場で話題が下ネタに向かっていくのはこの世の常というものだろう。
そのおばちゃんが「日本人は毎晩何回なのよ?」と聞くので
「2-3回がせいぜいかな(2003年度厚生省白書参照)」と言うと、
「日本人はだめねえ。チベット人はツァンパとバター茶でみんな健康、精力絶倫。うちのダンナなんて毎晩8回よ!」とおっしゃる。
5回でもなく10回でもなく、8回という中途半端な数字がこの話の信憑性を物語っている。
その後閉店時間となるが、おばちゃんまだ飲み足りないようで
「うちで2次会やるからついてらっしゃい!」とおっしゃる。
ヒョコヒョコついて行ってお宅にお邪魔し飲んでいると既に寝ていたダンナが顔を出した。
さっきの話からしてダンナはチョコボール向井風のマッチョかアブドーラ・ザ・ブッチャー風の恰幅のいい男を想像していたのだが、出てきたのはチョコボールどころか、大泉晃風のインチキひげを生やしたヒョロっとしたおっさんだった。
急にさっきの8回の話が嘘っぽく思えおばちゃんに尋ね直すと、
「昔はもっとガッシリしてて毎晩8回だったんだけどね。今は痩せちゃってもうだめね」
どうやらおばちゃんに精力すべて吸い取られてしまったらしい。
ラージャロー!(神に勝利あれ!)
(写真:タフネスおばちゃん(中央))
2004年7月28日水曜日
神の住む街
私は神など信じないが、ラサに来てそれを信じたくなるような出来事があった。
2年前、ラサでお世話になった家に娘さんがいて、ラサを去った後も度々メールのやり取りがあった。
しかししばらくして連絡がなくなり、その後そのアドレスも消滅してしまった。
(ホットメールは1ヶ月アクセスしないと消える)
そして月日は流れ、先日ラサに2年振りにやって来てメールボックスを開くと何とその娘さんからのメールが来ているではないか!
発信日を見れば到着の2日前になっている。
もちろん彼女は私が今ラサにいることなど、それ以前にチベットを再び旅していたことさえ全く知らない。
その後実際に会ってみると彼女もビックリ。
やっぱりラサは神の住む街である。
(写真:左がその娘さん)
ラサに来たのは…
西チベット方面から東に向かうと、途中で道が二手に分かれる。
北東方向はラサへの道、南方向はネパールへの道。
結局ネパールに行くのでショートカットして直接ネパールに下りることもできた。
しかし片道750km、往復1500kmの遠回りをしてでも私はラサに行きたかった。
安くてうまい中華が食べたい、ポタラ宮の雄姿を再度拝みたい、しかしもっと大切なことがある。
それは2年前に訪れたときに会った人達にもう一度会うためだ。
ラサに着いて早速彼らの元に向かった。
忘れられているかもしれないので当時撮った写真を持って。
しかしそんなものは不要だった。
宿の服務員、毎日通った食堂のおじさんおばさん、カメラ屋の小姐、みんなみんな顔をあわせたとたん「アンマ?!」
わずかの期間滞在しただけなのにみんなしっかり覚えていてくれた。
笑顔で2年前の話に花が咲く。
もうそれだけでラサにわざわざやってきた甲斐があったというもんだが、これらはほんの序章に過ぎない・・
そう、最大の目的は1ヶ月間居候させてもらった一家を訪れることにある。
(なぜ居候することになったかは「チベットの恩返しその2 母の想い」を参照してください)
門をくぐると懐かしい顔が「アンマ?!」
しばらく近況報告をした後はみんな普通の生活に戻る。
2年振りに会ったのに、なんか仕事か学校から帰ってきただけのような淡白さで、もう少し大騒ぎしてくれてもいいのにな、と思う反面、この特別扱いされない感じが逆に嬉しかったりもするのである。
2004年7月27日火曜日
Capital of TIBET
カイラス山の麓の村でのこと。
不本意にも白人の皆様と一緒に飯を食うことになりました。
本当は行きたくなかったのですが、私が行かないと彼らは料理の注文すらできないから仕方がありません。
そこで私がこれからラサに向かうことを言うと、彼らは次々とラサの悪口を始めました。
「広い道に高いビル、ラサなんてただの中国の街だぜ。ポタラ宮なんて博物館じゃないか。行くだけ無駄だよ。」
ラサは私の最も好きな街、黙って聞いている訳にはいきません。
「君たちはジョカン(チベット仏教の総本山の寺)の開門に参加しましたか?(巡礼者が殺到し大騒ぎになる)
シャカムニ(御本尊)に触れた後の彼らの笑顔を見ましたか?
毎朝地元チベタンのするリンコル(市内を一周)を共に歩きましたか?
1日と15日に行われるお祭りに彼らと共に参加しましたか?
もし一つでも体験してたら、ラサを中国の街、なんて呼べないはず。
ラサは紛れもなくチベットの首都ですよ。」
彼らは一つも参加してませんでした。
彼らが見たのは中国風のラサの街、そして外国人用ホテルに、外国人向けメニューの置いてあるレストランのみだったのです。
続けて私は言いました。
「あなたたちにとってラサは観光地、だけど私のとってのラサは大切な旅の目的地。だからポタラ宮もあなたたちには博物館だけど、私にとっては重要な旅のシンボルなのです。」
白人さんたちは黙ってしまいました。
私の勝ち。
キューピー30秒クッキング
本文を読まれる前に「ツァンパ」豆知識!
「ツァンパ」とはチベット人の主食で、大麦を炒った物を粉にし、バター茶(しょっぱ生臭い)でこねて食べます。
食べ方にもいろいろあり、
1.粉のまま舐める(舐める時息を吸うと必ずムセる)
2.バター無しの塩茶でこねる(遊牧民が放牧中によくやっている)
3.バター茶でこねる(お手軽)
4.3にチーズバターを加える(一般家庭はこれがスタンダード)
5.4に砂糖も加える(飛び込みアッパー昇竜拳並みの破壊力を持つスーパーウルトラハイグレードな食べ方。これを出されたらもてなされている、と思っていいだろう)
「ツァンパ」は保存が利き、軽いので携帯食としては抜群で、調理(といえるかどうか…こねるだけ)も簡単。
しかもあまり量を食べられない(食べたくない)のでなかなか減らない、腹持ちがいい(消化が悪い)、といいことづくめのチベット料理の代表選手です。
…以上を踏まえた上で本文へどうぞ。
<今日の献立>
バラエティーツァンパ
○毎日毎食同じ味のツァンパだとさすがに飽きるものです。
料理に大切なのはやっぱり味付け!
ツァンパにいろいろ混ぜてみてあなたのツァンパライフを何倍にも楽しくしちゃいましょう!
これを食べれば今日の放牧の疲れも吹っ飛んじゃいますよ!!
<用意するもの>
・ツァンパ(いっぱい)・チキンスープの素・レーズン・カレー粉・胡椒・唐辛子パウダー・ケチャップ
<調理法>
ツァンパとそれぞれを混ぜてこねるだけ
<結果>
・チキンスープツァンパ:チキンスープは別で飲むべき。マズイ
・レーズンツァンパ:レーズンパンを生で食っているかのよう。マズイ
・カレーツァンパ:期待度と裏腹にかなりマズイ
・胡椒ツァンパ:絶望的にマズイ
・唐辛子ツァンパ:切腹したくなるほどマズイ
・ケチャップツァンパ:「哀しいけどこれってツァンパなのよね!」と言いたくなるほどマズイ
<結論>
下手な小細工はするもんでない。
素材の味を大切に・・・
2004年7月25日日曜日
インド人とカイラス山
カイラス山は仏教・ボン教のチベット系宗教の聖地である以外に、ヒンズー教・ジャイナ教のインド・ネパール系宗教の聖地でもある。
よってカイラスに行くと、見慣れたモンゴロイドに混じって大勢のインド人・ネパール人巡礼ツアー客が来ている。
突然あの濃ーーい顔が多数出現するもんだから、それだけでマクー空間に引きずり込まれたような感じがする。
外国に来れるようなインド人だから当然彼らは金持ち。
インド人の金持ちと言えば、タイコ腹のおとっつぁん+サリーからブヨブヨ肉のはみ出たおっかさん+英語スクールに通う生意気なガキ、の3点セットに決まっているのだがやっぱりここでもそうだった。
で、もちろん彼らもコルラ(山を一周)する。
しかし「金持ち汗かかず」とインドの格言にある通り彼らは歩かないのである!(歩く人もいるけど)
行ける所までジープで行き、後は馬に乗り、荷物はポーターが運び、また車が来れる所で拾ってもらって帰る。
ズルイ!
さてここで問題です。
彼らの夕食メニューは何だったでしょう?
3、2、1、ピンポン!ピンポン!
その通り、カレーです。
香辛料はわざわざインドから運んだんだってさ。
地雷
西チベットでトイレがあったのはアリとサガだけ。
あとの町や村ではその辺で適当にする。
普通中国の村では肥料になったり野ブタが食べたりするので残らないが、西チベットではその過酷な環境のせいで農業は成り立たず、ブタも生きられないため、ブツはそのまんまとなる。
ある町でのこと。
やっぱり「その辺でしてこい」と言われたので建物の裏に回ってみたらビックリタマゲタ。
その数に驚いたのではない。
まず壁に沿って1mの等間隔でズラリ一列。
壁の端まで来ると1m前進し、先ほどのと正三角形の頂点の位置に配置されるようにズラリ。
それが27列続いていた(数えてみた)。
まるでダイヤモンドゲームの升目のようだ。
もちろん私もその隊列を乱さぬよう、正しい位置に地雷をセット。
このままのペースでいけば数年後には地平線の向こうまで達するんじゃないか、くらいの勢いである。
その地平線の先にはインドがある。
その町のあたりはアクサイチンと呼ばれる国境線の定まっていない地域なのでいつインド軍が攻めてきてもおかしくない。
しかしこの果てしなく広がる整然と並んだウンコを見たらビックリして逃げ帰るだろう。
戦わずして勝つ。
中国人民解放軍バンザイ!!