2004年2月26日木曜日

インドに向かいし者たちへ

インドのデリーは世界最悪である。
ちなみに2位はモロッコのタンジェである。

何事もなくデリーを脱出できたらインド旅行の危険の90%は回避できたといってよい。
以前デリーの騙し屋と話したことがあって、面白いネタをいろいろ聞いたので一部を紹介しよう。

彼らは非常によく人を見て選んでいる、ということである。
いかにも長期旅行者風は相手にしない。
まずワナにかからないし、たいした金も持っていないから。
彼らが狙うのはピカピカのバックパックを背負った(←ここがポイント)1人か2人組(3人以上は警戒心が強くなり駄目らしい)、男女は関係ない。
そして3月が一年のうちで一番の稼ぎ時である(学生の春休みシーズン)。
この1ヶ月がんばって働けば(騙せば)、残りの11ヶ月は充分遊んで暮らせるそうである。

まもなくその3月。
いまやインド中のワルがデリーに集結していることだろう。
そして今年も多くの日本人旅行者が彼らのエジキに…

バングラデシュサイクリング事情

今回初めてバングラデシュを自転車で移動してみて驚いた。
この国はとてもサイクリングに適した国である。
特に海外サイクリング未経験者の入門用にはもってこいの国なのだ。
理由を挙げてみよう。

・行けども行けども見渡す限りの平地である。今回800kmの走行中上ったのは2回渡った橋だけ。川はたくさん越えたがほとんど橋はかかってなくて渡し舟を使う。

・道幅は十分広く、舗装状態は驚くほど良い。

・車の運転は荒っぽいが圧倒的に数が少ないのでヒヤリとする場面はごく稀。

・幹線は車が多いがちょっと外れればそれはそれはのんびりとした静かな田園風景の中の道を行ける。

・自転車を停めて一休みするとすぐ100人くらいに囲まれるが、逆に囲まれることにより安全は守られる。自転車をほっぽいといても自動的に彼らが監視役になっているので大丈夫。

・たとえ英語もベンガル語も全くできなくてもどこかから親切な人が来て助けてくれる。

・食事、休憩ポイントはいくらでもある。宿も鉄道駅やバスの停まるような町なら間違いなくある。運悪くなかったとしてもきっと誰かが泊まりに来い、と言ってくれる。

こういうわけだ。
さあ、サイクリストよ、バングラデシュを目指せ!!

バングラデシュ・インド比較概論第一(2回目)

インドにはさまざまな手段を使って旅行者から金を騙し取ろうとする奴が大勢いる。
(ズドンと一発とかボコボコにして力づくで、とかはあまり聞かないが)

中でも最も注意すべきは巧みな日本語使いである。
旅の上級者はその辺よく知っているので相手にしないが、インド初心者にとっては、困っているところにサッと現れ親切に助けてくれるのでコロリと騙され、後でドカンと持っていかれてしまう。

対してバングラデシュ。
実はこちらにも大勢の達者な日本語使いがいる。
町を歩いていると結構頻繁に日本語で話しかけられる。
しかし警戒する必要はない。
彼らは以前日本に出稼ぎで働いたことのある人たちで日本人を見て懐かしがって話しかけているだけなのだ。

昔はバングラ人は簡単に3ヶ月のツーリストビザがもらえた。
しかし来日しても3ヶ月で帰るはずがなく、多くは10年とか15年とか不法滞在して働き、最後に警察に捕まって強制送還される。
そのあまりの多さに大使館は個人の申請ではビザを出さなくなった。
(↑これは聞いた話です。詳細は違うかも)

時々小さな村の中に豪華な家が建っていたりする。
それは「日本ハウス」と呼ばれる出稼ぎ組の家なのだ。
当然それを見ている他の人らも日本に行きたがる。
だが決してビザは下りない。
お前の力で何とかしてくれ、と私に頼んでくる。
しかし悲しいかな、私は何の力も持たないただの旅人。
それは難しい、と諭してもなかなかわかってもらえない。

バングラデシュ人の親切にいつもあやかりながらこういうところではまったく力になってあげられない…
己の無力さを痛感する。

事故った!

時は2004年2月16日。
とある田舎の幹線道路を一台の自転車が横断しようとしていた。
常にサーキット状態にあるこの国の道を横断すること自体かなり無謀なのだが、その自転車は決行した。
そこへ猛スピードの乗用車が衝突!
自転車はグルリングシャグシャ。
周りで見ていた大勢の人々が制止しようとするが車はそのまま突っ走って逃げていった…

という事故を目撃したという話です。
私が事故ったわけではありません。
必死の形相で逃げにかかるドライバーの顔が印象的。
すぐさま野次馬の一人が後続の車を止め追跡開始!
運良く(悪く?)前方で踏切が閉まっておりそこで御用。
ものすごい量の人が群がっており、おそらくそいつは引きずり出されボコボコにされていることだろう。

私はトバッチリを避けるためさっさとその場を去りました。

2004年2月21日土曜日

スチューデントライフ


ボリシャルではヒョンなことから大学の寮でしばらくお世話になっていた。
この大学は全寮制。
授業は8:00〜13:00、後は自由。
ずうずうしくも講義まで参加し、先生から質問され
「そうだと思いますが専門外なので確かなことは分かりません」
とアカデミックな返答で切り抜けた。

学生生活はやはり夜が面白い。
娯楽室みたいなのがあって、テレビの前にみんな集まってアメリカ映画を観る。
その中で心が洗われるようなシーンになるとピュ~と早送りしてしまうのだ。
さすがイスラム国。

と思ったら映画が終わると低学年の学生は部屋から追い出され、高学年だけが残ってさっき飛ばしたシーンだけをワザワザ見直す。
ボリューム担当は、声が大き過ぎず小さ過ぎず調整するのが大変そう。

そしてそれからは心が洗われるような映像専門のアメリカ産ビデオを立て続けに3本見た。
100人くらいで一緒に見ている時点で既に異様なのだが、私にとってもっと不思議なのはこのビデオで大爆笑が起こることだ。

そのシーンはさくらんぼみたいなのに生クリームを塗って舐めたり、バナナみたいなのにチョコを塗って舐めたりするシーンだった。
みんなの大爆笑の中、私一人「うまい棒のチョコバナナ味は美味しいんだけど、小さいからメンタイ味にすべきか迷っていたなあ」と考えていた。

ちょっと話はそれるが、南アジアの映画は笑いが単純である。
ずっこける、叩かれる、などで大爆笑。
単純ゆえに言葉の分からない外国人にも面白いことは分かる。
以前日本で働いたことのある人に「日本の好きな番組は?」と聞いたら「シムラケン、バカトノ」と答えてくれた。
それと同じことだろう。
志村けん、偉大なり。

またどうにも理解に苦しむのがアメリカンジョークである。
どこが面白いのかさっぱり分からない。
アメリカ人の知能レベルを疑う。

話を戻そう。
そのとき見たビデオの中で2本目にはインド人が出ていてやっぱりインド女性はとても美しかった。

一応バングラ学生の名誉のため言っておくが、授業態度はきわめて真面目で私の学生時代より10倍真剣である。
ビデオを見る目は20倍真剣であったが・・・

(写真:真剣そのもの…)

バングラデシュ・インド比較概論第一(5回出席で2単位)

バングラデシュとインドの違いは何か?と考えたとき、ほとんど変わらない、と思ってさしつかえない。
言葉・食事・衣服・乗り物・宗教などなど細かい点に違いは見られるが、大方はよく似ている。

しかし私は長期にわたる現地調査の末、ある一つの決定的な違いを発見した。
それは「ノープロブレム」の使い方である。
まずは例を見てみよう。

インドの場合…

・バスに乗っていたらトラブル発生、修理が始まる。
 私「いったいいつになったら出発できるんだい?」
 運ちゃん「ノープロブレム」

・町を歩いていたらリキシャに足を踏まれた。
 私「痛い痛い!」
 リキシャ引き「ノープロブレム」

対してバングラデシュの場合…

・宿の部屋を案内してもらう。文句なし。
 宿ボーイ「Anyプロブレム?」
 私「ノープロブレム」

・食堂で頼んだものが並べられた。
 食堂ボーイ「Anyプロブレム?」
 私「ノープロブレム」

これらから見て分かるように、インドでは明らかに問題があるときにそれをはぐらかすために現地人がよく「ノープロブレム」を使う。
対してバングラデシュでは明らかに問題がないのにわざわざ気を遣ってくれたことに対し旅行者が「ノープロブレム」を使うのだ。

これこそ両国の決定的な違いである。

2月14日

さて問題です。
2月14日は私にとって何の日でしょう?

3、2、1、ブー。
時間切れ。

バレンタインデーではありません。
それは私には縁のない話です。
答えは、一年前のこの日、肝炎による黄疸が出て入院した日、でした。
あれからもう一年も経ったのか…
月日の過ぎるのは早いものです。

あなたが黄色くなったから
今日が私の肝炎記念日

血祭り


2月1日~3日はコロバニイード、犠牲祭でした。
これはその昔ムハンマドがどーたらこーたらでああしたらしいという、理由はこの際どうでもいいのだけど、町中で牛・羊などが生け贄として殺され神に捧げられるというお祭りです。

祭りはその数日前から始まります。
空き地や道路に何百という牛が売られるため集まります。
その規模はドナドナどころの騒ぎでなく、強いて言うならばドナドナドナドナドナドナドナドナ…ぐらいすごいです。
そして1頭1万~100万円くらいで買われ町のあちこちにつながれその日を待ちます。

祭り初日、朝のお祈りの後、牛は足を縛られ、倒され、数人に押さえつけられ、ナタでギコギコ首を切られます。
グェ~という断末魔の咆哮、
ビュービュー噴出す鮮血、
ブシューブシューという気管から漏れる息。
町の川は洗い流された血で真っ赤に染まります。

事切れた牛は皮をはがれ細かい肉片になり、その日の昼食の皿に並びます。
その食事にはその辺をフラフラ歩いている外国人も気軽に招いてくれ、ご一緒させてもらえます。
また貧しい人にも肉が分けられみんな幸せになれます。

コロバニイード、スプラッターかつハートウォーミングなイスラムの大切なお祭りのひとつです。

(写真:今日はビーフカレー!)

カユイ!PART2

だいぶ前に書いた、映画館に行って椅子に座ったらダニの巣窟になっていてひじと背中がボコボコに腫れた、というのはバングラデシュでの話でした。

その後私も賢くなって、映画を観る時は館内に入るとすでにドッカリ座っている人に
「その席で見たいから一つずれてよ」
とお願いするようにしていました。
バングラデシュの人はとても親切なので喜んで換わってくれます。

で、今回も懲りずに映画館に行きました。
しかし!
ありがたいことに係りの人が気を利かせて入場待ちの行列をすっ飛ばして先に入れてくれてしまったのです!
つまり中には私一人。
どこが当たりかハズレか分からない。

一か八か適当に座ってみました。
お尻だけチョコンと。
しかしこの姿勢を3時間もある長いバングラ映画で続けるのはあまりにも辛い…
思わず背中もたれてしまいました。
その瞬間…

背中ボコボコ。
あなどるなかれ。