2004年4月5日月曜日

そこのけそこのけ自動小銃が通る(その1)

パキスタンの危険地帯といえば北部インド国境付近のカシミール地方が有名であるが、それ以外にアフガニスタン国境付近のトライバルエリア(部族エリア)がある。
ここはパターン人というこの地域最大の部族の土地。
パターン人というのは大小様々な部族の総称であり、この地域には国の法律が及ばず自治が任されている。
麻薬・武器・酒が公然と売買され、外国人が誘拐されたりするおっそろしい地域である。

もちろんこの情報は前もって知っていて、今回の中部パキスタンツーリングのルートはこのトライバルエリアを大きく外した道を行った。
しかし一般パキスタン人に言わせるとその道でも誘拐があるので危ない、という。
必ずメインの国道を行くように忠告され、それに従ってさらに大きく迂回するルートをとった。

その国道上のドライブインで夕飯を食っていた時のこと。
一人の身なりのしっかりした紳士がやって来て
「この辺りも危険地帯なので私の家に泊まりに来た方がいい」
という。
その人の元には辺りの人がわざわざ挨拶に来るような信用できそうな人だったのでついていくことにした。

車に乗って田舎道を行く。
「あれは私の家だ」
しかし車は通り過ぎてしまった。
「あれも私の家だ」
やっぱり車は止まらない。
そんなのが数回続いて
「あれが私のメインの家だ」
しかしそれはもはや「家」と呼べるような代物ではなかった。
砦、要塞、城・・・

もうここまで読まれた方はお気づきだろう。
そう、この男こそ、この地方最大の部族、6万人を率いる部族のおかしらなのであった。

これを日本に例えるなら、
神戸辺りのコンビニで肉マンをかじっていたら、通りがかったオッサンに「この辺りはヤクザの抗争があって危ないからうちに来なさい」と言われ、行ってみたらその人は山口組の組長だった、
といったところである。