新蔵公路は現在道路拡張工事の真っ最中。
そこを通るとき、ただでさえ厳しい道が、川の中を通らされたり掘り下げられた沼の中を通らされたりと苦難を極める。
しかし悪いことばかりではない。
そこでは工事に従事する人々の住むテントがある。
食事どきにそこを通ると、大抵「飯食ってけよ!」と声がかかるのだ。
行けばブッカケご飯ドンブリ超大盛り3杯。
ありがたく頂き出発すると、またすぐ隣のテントからも誘いの声が。
もちろん断ってもいいんだけど、この先もしかしたら食事できるような所が無くなるかも・・・の恐れからまたゴチになってしまう。
こんな調子で一日8食なんて日もあった。
空腹に悩まされることは想定していたが、まさか胃拡張で苦しむことになるなんて・・・
うれしい誤算。
(写真:出稼ぎ農民たち)
2004年7月24日土曜日
NOと言えないニッポン
雪やコンコ
前回東チベットの旅では靴を一度も履くことはなく全てサンダルで通した。
その反省を生かし今回は靴を持ってこず。
それは当たりだった、前半においては。
道路工事中では迂回路が川の中だったりして膝までズブズブ浸かって歩かねばならずサンダルの方が便利であった。
しかし後半、状況が一変。
平均標高3000mを越えると毎日のように雪が降った。
たいていニワカ雪程度なので大丈夫だったが、時折一晩中降り続くときもある。
朝テントから出ると一面銀世界。
どこが道なのかすらも分からない。
トラックの残した轍だけが唯一の道しるべ。
それを伝っていくのだが、午前は踏まれた雪が凍ってツルツル滑り脇の新雪にはまり込むと裸足がピリピリ痛い。
でも昼過ぎると融けて道が泥沼と化すのでやっぱりサンダルの方がいいかな。
夜は毎晩氷点下。
前回冬のチベットで寒さに苦しんだ経験を全く生かさず、今回も長年愛用している+10℃仕様の寝袋しかないのでやっぱりつらかった。
夏だから大丈夫だろう、とタカをくくったのが甘かった。
夏の新蔵公路(カシュガル-アリ)は冬の中尼公路(ラサ-ネパール)より寒かった。
教訓
「備えなければ憂いあり」
(写真:どこへ向かって進めばいいのか…)
狼が出るぞう!
狼に遭った。
結論から言うと襲われることはなかったが。
アリの西、数百kmに渡って人の全く住んでいない地域がある。
そこがすなわち狼出没地域である。
行く前は散々地元民におどされた。
「独りで行くと死ぬぞ!」と。
ならばどうすればよい?と問えば、
「銃を持て」
こんなことになるのならパキスタンのおかしらにトカレフ1丁譲ってもらうんだった。
私にも一応武術の心得はあるものの、珠算3級程度なので狼相手には心もとない。
それ以外の対処法としては・・・
・石を投げる
・棒を振り回す
・とにかく逃げる
・あきらめる
・・・など。
ギャートルズとかわらんではないか。
で、本当に狼はいた。
「ウォーー!」
私を見て天に向かって高らかに吠え上げた。
まるで映画のワンシーンを見ているかのようだ、などと感激に浸っている場合じゃない!
逃げろや逃げろ。
しかし、のち走る狼も見たが、そのスピードといったらとても自転車で逃げ切れるものではなかった。
狼に襲われないためにはどうすればよいか。
答えは一つ。
神に祈るのみである。
ただし注意点が一つ。
出没地域はウイグル自治区とチベット自治区の境界にまたがっている。
アラーに祈るべきか、ダライラマに祈るべきか、そのところ間違えのなきよう。
2004年5月24日月曜日
中国的職務熱心
パキスタンから峠を越え、中国に入ってすぐのこと。
道路脇にポツンと立つ建物の前で車が止まった。
どうやらここで荷物検査が行われるらしい。
1人ずつ中に呼ばれ片っ端から調べられる。
小さなスーツケースの人でも15分。
私は荷物が多いので45分もかかった。
ビスケットは箱を開けられ、マネーベルトも全開、現像済みネガの1コマ1コマ、パンツの一枚まで調べられた。
せっかくのパッキングもグチャグチャ。
乗ってきた車もシートはめくられ、車の下にもぐられ、エンジンのパイプは外され調べられている。
結局全員(たった10人なのに)が終わるのに3時間もかかった。
ここはまだ標高4500mくらいあるのだ。
可哀想なのは高山病になっている人で、頭ガンガンしているのに下ることは許されない。
中身の不明なCD、公安には読めないウルドゥー語(ミミズ文字)の普通の新聞(!)まで一旦没収され、検査の末OKなら返してもらえる。
他にチェックの対象になっていそうなのは、武器、麻薬類はもちろん、台湾の国旗、ダライラマの写真、劣化ウラン弾、オサマビンラディンなどは持ち込めないだろう。
こんなこともあろうかとチベットのガイドブック・地図は寝袋に巻き込んでおいたのでセーフ。
もしラディン君と中国を旅したい人は寝袋に包んであげてね。
パキスタン総括
皆さんは「パキスタン」と聞いてどのようなイメージを抱きますか?
インドとの領土紛争、核実験国、テロリスト支援国…
マイナスイメージのほうが強いのではないでしょうか。
私もそうでした。
確かにそれは事実かもしれません。
でもそれだけが全てではありませんでした。
チベットへ向かうための通過点ぐらいにしか考えていなかったパキスタン。
しかしまた多くの人々から多くの親切を受けてしまいました。
私が感謝の意を述べると、彼らは決まってこう言いました。
「お礼なんていいんだ。その代わり日本に帰ったら皆に伝えてくれ。世界中の人達はアメリカのプロパガンダのせいでパキスタンが危険な国だと誤解してしまっている。本当のパキスタンは美しい自然と優しい心を持った人々の住む素晴しい国なのだ、と」
<パキスタンデータ>
○滞在日:74日
うち変り所として‥
・キャンプ(首都のど真ん中)12泊
・民泊 12泊
・ドライブイン(激安宿泊施設)2泊
・病院(入院した訳じゃなくて宿を聞いたら紹介された)1泊
・警察(逮捕された訳じゃない)1泊
・建築中の家(侵入した訳じゃない)1泊
○自転車移動日:28日
○移動距離:2865km(102km/日)
○出費:28500円(380円/日)
みなしごハッチ
パキスタンの小さな村の小さな宿でのこと。
夜も更け、そろそろ寝ようと蒲団をかけたところ、突然足に刺すような強烈な痛みが!
ビックリして蒲団を跳ね除けると、そこに居たのはミツバチハッチどころか毒々しい黄と黒の大きなスズメバチ!!
スズメバチに二度刺されるとショック死すると聞いたことがあるのでかなりビビリながら何とか追っ払ったものの、刺されたところがジンジン痛い。
ここは定石通り自家製の聖水をふりかけてみたりしたが(太腿なのでかけるのは楽)ほとんど焼け石に水といった感じで、足はパンパンに腫れ、翌日からはモーレツな痒みが10日間も続いた。
とほほ、、
それにしても、安宿でダニや南京虫に刺された人はこの世にゴマンといるだろうがハチに刺された(しかも野山ではなくベッドで)人はそんなにいないだろう。
またまた貴重な体験をしてしまった次第である。
クンジャラブ峠にて
パキスタンと中国の国境、クンジャラブ峠(4730m)。
峠までの道は急坂なくダラダラ登って行くので3000mから出発して気が付いたら峠に着いちゃいました。
高度順応の常識は無視してしまいましたが別段問題なし。
峠といってもなだらかな丘になっていて、まだ辺りは一面の雪原(道だけ除雪)。
日差しがメチャ強いのでTシャツ短パンでも暑い(熱い)くらいですが風が吹いたり日陰に入るとメチャ寒いです。
でもやっぱり高所なので空気薄く、タバコの火が自然に消えてしまう(しけていたせいもある)。
そこへパキスタン人ファミリー(金持ち)の峠往復ツアージープがやって来て降車するなり、一人がハシ○をプカァ。
鍛え方が違う…
ちなみに峠から中国のイミグレのある町まで120kmはバス強制移動。
自転車はダメ!!
(写真:暇そうな中国人衛兵)
ユパ様
北パキスタンにあるフンザは「風の谷のナウシカ」のモデルといわれる風光明媚な村です。
さすがそう言われるだけあって、オウムの大群が押し寄せて村を破壊していったりします。
布教活動をしているオウムもいます(現アレフ)。
ワンペン!
以下のことの原因は全て自分も含めた外国人ツーリストのせいなので書かないでおこうと思ったが、ネタが出来てしまったのでやっぱり書く。
パキスタン北部、カラコラムハイウェイ(KKH)上の子供らの
「ワンペン(ペンくれ)!ワンダラー(1ドルくれ)!」
の多さはひどすぎる。
パキスタンでもここだけだ。
会う子供の8割は言ってくる。
しかも無視して通り過ぎると後ろから石が飛んでくる。
子供の投げる石でも当たると結構痛い。
小学校の下校時間に出くわした時にゃ戦慄が走る。
津波のような「ワンペン!」
雨アラレの投石。
一度運悪く後頭部に命中。
頭にきてガキの一匹を捕まえ、先生の前まで引きずっていき
「パキスタンの学校では外人に石を投げるよう指導しているのか!!」
と言うと、先生も驚き謝罪し、そのガキの頭が外れちゃうんじゃないか、と思うくらいビンタをかまし続けた。
ガキ大泣き。
さすがに私も「ちょっと大人げなかったかな」と思い直し、以降は・・・
・「ワンペン」は「ハロー」の現地語であると解釈しこちらも元気良く「ワンペン!」と返事する。
・「ワンダラー」と言われたら「1ドルが何ルピーか知っていたらくれてやる」と返す。(正答率0%)
・「アッサラームアレイコム(こんにちは)」と先制攻撃を仕掛け「ワレイコムサラーム(こんにちはの返事)」と言わせる。それをひたすら繰り返し「ワンペン」と言うスキを与えないようにする。(ちなみにこれに返事をしないことは最大級の敵意表現とみなされる)
・「ペンどころか金が無くてパンも買えないんだ。1ルピー(2円)くれ」と悲壮感漂う顔で詰め寄る。(あまりに真剣にやりすぎて家から余りパンを持ってきてくれた子供がいた。以降封印)
しかし何をやっても結局石が飛んでくる。
何かいい方法はないかなあ。