2005年6月24日金曜日

警戒水位


広州は連日土砂降り。
私の宿のある地域は低地にあって、川の水位が上がると真っ先に浸水する。
先日は上流でダムが大放水し、1階ドミトリーの住人は4階のトリプルへ移動になった。
ラッキー。

広州は河口に位置するので、濁流押し寄せ、家が流され…という洪水ではなく、じわじわと水位が上がり、いつしか水浸しになって、そしていつしか水が引いている、といった感じの洪水なので街中は比較的のんびりしている。
腰まで水に浸かって記念撮影する若者とか、サドルのすぐ下まで水に浸かりながらも自転車こいでるオバさんとか、釣り糸たれているジイさんとか。

中国4千年の歴史の雄大さを感じてしまった。

食は広州にあり

(このコラムは毎度おなじみの白人悪口コラムですので、白人の方、および白人フリークの方は読むのをご遠慮ください)

身分不相応の中国大酒店から、身分相応のユースホステルに移った初日のこと。
入ったドミトリー8人部屋には私以外全員白人(アメリカ人多し)。
話の流れで皆と一緒に夕飯を食いに行くことになってしまった(本当はいやだったが我輩の辞書にNOの文字はないので)。

どうせスパゲティーでも食いに行くのだろうと思ったら、意外にも中華へ。
でもそこは英語メニューのあるような外人向けの店なのでローカル店の3倍ぐらいの値段。
高いなー、とは思ったが人数がいるのでいろいろな料理が食べられるからまあいいか、と納得し、他の人が何を選ぶか聞いてみた。
するとなんということか!
皆ソバとか粥とかを注文するではないか!
まあこの点に関しては、白人が料理をシェアするするという事が嫌いであり、2人の白人がそれぞれ大盛りのチャーハンを一皿ずつ頼んで食ってる、しかも食いきれずに残す、という真に滑稽な姿をよく見ていたので納得できないでもなかったが、さらに驚かされたのは皆「肉抜き」を頼んでいたことだった。
どうやら「SARS」を恐れてのことらしいのだが「食は広州にあり」といわれるこの地で、何も病人食のような菜っ葉だけの浮いたソバなんか食わなくても…

以上のことは超健康志向の彼らの性格を考慮し、2億4千万歩譲って納得してやろう。
それにしてもこんな少量の飯で彼らは満足できるのだろうか??
疑問は部屋に戻ってから解けた。
満たされぬ腹をポテトチップスとコーラで満たしていたのだった。

私は包子(肉まん)を食べるために一人夜の街に出た。
肉汁滴るそれをかじりながら思った。
「丈夫な子に育ちやがれ!!」

2005年6月21日火曜日

反日デモ

数ヶ月前から新聞紙上をにぎわしている中国各地で起こった反日デモ。
かなり長引く状況に、行く前は相当ビビっていて、しばらく延期するか…とも考えたのだが結局来てしまった。

ここ広州も激しいデモのあった都市の一つ。
街に出て食事や買い物をするとき中国語を駆使し、日本人と悟られぬよう試みるが…。
一秒で外人とばれてしまう。

「アンタどこの国の人?」
「に、日本なんだけど…」
「なんだあ、ヤップン(広東語で日本のこと)だったのかあ!
 ようこそようこそ!日本大好き!一度行ってみたいなあ!」

あ、あれ??
日本に対する激しい抗議デモはいったい??
大使館や日系企業への投石は??

そういうことがあったのは事実。
でもそうでない方が大部分。
今年のGWは一万人以上が中国旅行をキャンセルしたとか。
SARSの時もそうだったが、日本人は報道に過剰に反応しすぎのような気が…
まあこれはオイルショックのトイレットペーパー以来の日本人の特性なのかも。

禁臭席つくれ

その中国大酒店での朝。
朝食ビュッフェ、すがすがしい朝を満喫しようと、窓側の禁煙席に座り納豆ご飯などをいただいていた。
そこへどやどやと白人おばさんの一団が来て私の周りに座った(AirFranceのクルーだった)。
すると辺り一帯からシャネルの5番と6番と7番と8番と9番と10番と11番を混ぜたようなすさまじい香水臭がたちこめ、納豆臭をもかき消す、まるで芳香剤の充満したトイレの中でメシ食っているような状態になってしまった。

今日も一日頑張るぞっと。

星星星星星

広州で働いている知り合いの方に、前もって向かうことを伝えておくと、
「豪華ホテルに泊まらせてやるぞ!ドーンと来い!」
とおっしゃるので、ドーンと向かった。
予約されたのは広州一といわれるマリオット系の中国大酒店。
「大酒店」と聞いたときからイヤーな予感はしていたのだが、現実はそれを上回っていた。

広州到着。
ホテルを探し、一般道からロビーへ向かう進入路に入ったとたん、サッと警備員が道をふさぎ、
「ここはお前のような貧乏人が来るところじゃねーんだ!すぐさまうせろ!」
「私は客で、もう予約も済んでいます」
といくら言っても
「とにかく出て行け!すぐ消えろ!!」

何とかそこは切り抜けロビー前まで来たが、再び3人の警備員がダッシュで駆け寄ってきて
「何だテメーは!さっさと出て行け!今すぐ出て行け!!」
と猛烈な勢いで怒鳴り散らす。
いくら説明してもまったく聞く耳もたず。
取り付く島もない、とはこういう状態のことを言うのだろう。
玄関前でモメているのを見た英語のできる人が来て、日本旅券をちらつかせてようやくのこと納得してもらえたのだが…。

資本主義っていやですね。
マルクス万歳。

2005年6月14日火曜日

香港に来ました

シンガポールから香港に飛んできました。
今回は50kgの預け荷物、何の文句も言われず一発フリーでした。
グレイトキャセイパシフィック!

ここは3年前、旅をスタートさせた出発の地。
振り出しに戻ってきたわけです。
ここで中国の1年ビザを取りました。
過去2回のチベット、いずれもビザ期限に追われ逃げるようにネパールへ下りていたので今回はゆっくりと移動できそうです。
まずは西へ、雲南を目指します。

さらばシンガポール

シンガポール在住の皆さん、及びシンガポールフリークの皆さんには申し訳ないですが、シンガポールははっきり言ってつまらない。
空港を出て「いやー、外国にやって来たなあ!」という感激の度合いを例えばインド・エジプト辺りを100、日本を0(自国なので)とすると、シンガポールは「2」程度だろう。
街並み(日系デパート多し)、人々の顔つき(中国系多し)、交通(日本車多し)…。
私の場合、旅の途中、しかもインドからの渡航だったのでそれまでとあまりに違う世界にそれなりに驚きもしたが、日本からここだけのためにやってきた人は果たしてどう感じるのだろうか?

そんな訳でまあ特に感想もなくこの国を去ることになるだろうな、と思っていた最終日の地下鉄で。
私の横にインド人の少女が座っていた。
ある駅で中国人のおばあちゃんが乗ってきた。
するとすかさずインド人少女はその中国ばあちゃんに席を譲った。
降りる時おばあちゃんはその少女に何度も「謝謝」と言っていた。
彼らの元々の国(インドと中国)ではまずお目にかかることのできない光景である。
さすが文化もマナーも先進国シンガポール、ちょっと心が温かくなったような気がした。

J・A・P!

シンガポールでは観光らしきことはせず、特に目的も決めずブラブラ歩いているだけで何かしら無料イベントとかやっていてそれなりに楽しめた。
だが一ヶ所だけ自ら望んで行った所がある。
それは太平洋戦争当時の日本軍の作った俘虜収容所跡地に建てられた博物館。
小さな建物だが、中には日本兵の行った捕虜への残虐な行為を数々の写真(さらし首とか銃殺とか)で示してありブルーな気分になる。
しかし以前韓国の同様の博物館でもかなりブルーになったが、ブルー度はいまいちである。
どうしてかな?
少し考えてわかった。
あれは「韓国に建てられた韓国人による韓国人のための博物館」だった。
しかしここは「シンガポールに建てられた英国人による英国人のための博物館」であり、多数の被害者を出したはずの地元中国人やマレー人、インド人は無視されていた。

展示物の中に日本軍を風刺した漫画があるのだが、ビックリしたのはその説明文で
「路面電車の出口から小便をする"JAP"」とか
「夜な夜なジキジキハウスで楽しむ"JAP"」とか
「戦争初期は太っていたが末期はガリガリになった"JAP"」とか
とにかく『JAP』のオンパレードなのだ。
いくら日本軍の悪行の博物館とはいえ、公共のこの場で「JAP」連発はあまりに酷いのでは…。
日本で政治家がたとえ弾みでも「バカチョンカメラ」とでも言おうものならテポドンが200発ぐらい飛んできそうなものだが…。
日本大使館は抗議できないのかな?

戦勝国の優越感+敗戦国の引け目+日本独特の遠慮。
おそらく永久にこのままだろう。
入り口に掲げられたスローガン。
「忘れてはならぬ。ジャップの行為を。」

2005年6月7日火曜日

幅5mmの攻防


9年5ヶ月前に作ったパスポートの期限が迫ってきた。
このあと中国の1年ビザを取りたいと思っているので、ここシンガポールで更新の手続きをしなくてはならない。
日本大使館のパスポート窓口で順番を待つ。
ハンコの並んだパスポートをペラペラやりながら9年5ヶ月前の東京有楽町のパスポート発行センターでの出来事を思い出していた。

春休みの学生旅行シーズン前のため大行列ができていた。
随分待たねばならなかったがやっと順番が来て必要書類と写真を差し出した。
すると窓口の男は写真に定規を当てて冷たく言った。
「頭の上の空白が4mmしかなく『1mm』足りませんね。駅前で撮り直してきてください。」
ウブだったオレは体制に反抗する、というすべを知らず、なぜ1mmくらい…と思いながらも言われるままに写真を撮り直していた。
しかしその反抗の思いは表情に現れていた。
今自分で見ても「これは本当に自分か?!」と疑うようなムッとした顔で写っているのだ。
おかげで時々各国の入国の際、本物と写真の顔をかなり比べられる。

話は現在のシンガポールに戻る。
あの時と同様、手には必要書類と写真。
その写真は前にバングラデシュの写真館で撮ったものだったがどう見ても頭の上の空白が3mmくらいしかない。
順番が来てオレはそれを差し出した。
係の女はやっぱり写真に定規を当てシブイ顔をして言った。
「ちょっと上の空白が…」

だがオレはもうあの時のようにウブではない。
都合30カ国以上、10年のうち4年間は海外にいて、幾多の困難をくぐり抜けてきた旅のプロだ、猛者だ、達人だ、つわものだ、やり手だ、巧者だ、老師だ、先生だ、ティーチャーだ、マスターだ、導師だ、グルだ。

オレはニコヤカな笑顔で言った。
「そんな固いこと言わないで下さいよ」
女は「ちょっとお持ちください」と言って奥へ入っていった。
上司に相談しているのだろうか。
そして戻って来た彼女もニコヤカに言った。
「これでも大丈夫です」

旅は人を一回りも二回りも大きくさせるものだ。

(写真:旧パスポート)

マーライオン


旅人の間で語られる話の中に「世界3大ガッカリ」というのがある。
これは、有名なのでわざわざ見に行ってみたが、あまりの小ささにガッカリさせられるもの、のこと。
その一つがシンガポールのマーライオン。
見に行ってみたが、「小さい小さい」と言われ続けてどんなに小さいものか期待してしまったため、それなりに大きくて逆の逆にガッカリさせられてしまった。

ちなみに残り2つのガッカリはコペンハーゲンの人魚姫像とどこぞやの小便小僧、というのが定説だが、エジプトのスフィンクスとかオーストラリアのオペラハウスという人もいる。

(写真:高層ビルに囲まれますます小さく見える…)

タバコの吸いすぎは体に毒です

シンガポールの物価は日本の半額程度で、香港並み、といった感じか。
税率のせいだろう、酒は日本と同じくらいの値段。
更に凄いのがタバコで、一箱700円もする。
凄いのは値段だけじゃなくて、各パッケージには
「タバコを吸うと肺が真っ黒になります」と書かれた肺の写真とか
「歯茎がヤニで真っ黒です」の口内写真とか
「母体がタバコを吸うと胎児が死にます」の赤ちゃんの写真とか
「肺ガンになるとメチャ苦しいです」の手術中の写真とか
「家族は大迷惑です」の吹かすパパと苦しがる妻と子供の写真とか。

かなりエグイ写真のオンパレードで、パッケージコレクター及び人体写真コレクターにとっては収集家魂をゆすぶられること間違いなし。
たとえ一箱700円でも買い揃えずにはおれないだろう。
シンガポール政府のタバコ政策アッパレなり。

ショッピングと私

シンガポールの街。
デパートにショッピングコンプレックス。
世界各国の味が楽しめるレストランの数々。
東京と全く変わらない。
いや、加えて中華街、アラブ街、インド街。
東京以上の密度でありとあらゆるものが揃っている。
日系デパートもある。
地下には巨大スーパー。
日本コーナーには醤油・味噌・お茶にお菓子。
何でもある。

でも。
店内をくまなく眺め歩き、たこ焼き・寿司・牛丼の並ぶ食堂街をやり過ごし、結局何一つ買うことなく出てしまった。
別に何を欲しいとも食べたいとも感じなかったのだ。
その後中華屋台でそばをすすりながら、自分では思いも寄らぬ自分自身の行動に自らが一番驚いていた。
長い旅の中にいたせいで頭のネジが一本抜けてしまったのではないか?
もう日本の生活には馴染むことが出来ないのではないか?
本気で心配になった。

だが。
そんなはずはないのだ。
だってついこの前までいたインドではカレー地獄の毎日にとりあえず何でもいいから他の味付けのものが食べたい!
と思い続けていたし、お菓子屋に並ぶスパイシー味だらけのポテトチップを見てはイカ姿フライ(5枚100円)や歌舞伎揚げの味を思い出し、口内に唾液をためていたのだから。

しかし。
このように「そんなに言うならこれでどうだ!文句はねーだろ!!ドドーン!!!」
と並べ立てられてしまうと、目移りして、クラクラして、もうそれだけでお腹いっぱい、勘弁してください、となってしまったようだ。

きっと。
西チベットのど真ん中にたこ焼き屋台がポツンと一軒あったなら、側にテントを張り10連泊してたこ焼きを食べ続けたことだろう。
バングラの片田舎に「寿がきや・バングラ片田舎店」があったならビザを延長してでも毎日通って肉卵入りラーメンを食べ、食後にはクリームぜんざいを注文することだろう。
(名古屋の人しか分からんネタでスマン)

手の届くところにないからそれが買いたくなる。
購買欲とはそういうものなのかも。

罪と罰

以前バングラデシュで会ったシンガポール人の友人が空港に迎えに来てくれた。
再会を祝し、彼のために買ってきたバングラタバコで一服しようとバッグから取り出した。
すると彼が「ダメだダメだ!しまうのだ!」と血相変える。
聞けばシンガポールはタバコの持ち込みは一切免税されず、町中で海外製品を吸っていると警察ににらまれるらしい。

服をあまり身につけていない人の写真がいっぱい載っている本も持ち込み禁止らしく、なぜだか私の鞄にはそんな本が入っていたりして、もし税関チェックがあったらヤバイところだった。

シンガポールといえば、ゴミポイ捨てには多額の罰金とか、麻薬持ち込み即死刑とかは有名だが、まだまだ私の知らないルールがいくらでもありそう。
道徳に反するような行為、他人が不快に感ずるような行為にはどんな罰が待っているか分からない。
エスカレーターの右側を塞いだら逆さ吊りの刑、
ガラスを爪でキーとやったら両腕切り落としの刑、
エレベーターの中で屁をこいたらムチ打ち100回の刑、
会議中に欠伸をしたら36ヶ月50%給料カットの刑、
なんてのもあるかもしれない。

いやはや、小心者にとっては心臓に悪い国ですな。

そして奇跡は起こった

もう一台のカメラは長年愛用しているオリンパスのミュー・ズーム。
いわゆる普通の「バカチョンカメラ」というやつだ。

3ヶ月前インドのホーリー祭の時。
この祭りは色水をぶっ掛けあう狂った祭りである、というのは以前ここに書いた。
その色水はプラスチック製品や衣類に強力に浸透してしまって色が取れなくなるので宿の屋上で色水を掛け合う前に、ビニール袋の中にカメラと身に着けていたお守りの品々を外して入れておいたのだ。

ビシャビシャギャーギャーやっていたその時、一匹の大きなサルがノソッと寄って来てその大切なビニール袋を強奪してしまった。
ワーワー追っかけてもサルは屋根から木へとヒョイヒョイ飛び移ってしまって手が出せない。
サルは悠々と袋の中を調べるが、食べ物がないと知るとアッサリその袋を放棄してしまった。
といってもそこは地上5階に匹敵する木の上。
あわれ私のカメラの入った袋は(重力加速度)×(地上に達するまでの時間)のスピードで地面に叩きつけられた…。

気を失いそうになる身を立て直し、ダッシュで階段を駆け下り、頑丈に施錠してある扉を「緊急事態だ!すぐ開けろ!!」と開けさせ、袋の所へ駆け寄る。
袋の中にはグチャグチャに潰れたカメラの残骸が……なかった。
プラスチック製のスライド式レンズカバーが割れて外れていたが、他は何にも問題なく作動する。
地上15mから落下してこれだけの損害で済むのか?!
そんなことってあるのか?!?!

しかし、同じく袋の中に入れてあった、以前チベットのラサを発つ時もらった石の腕輪がグシャッと潰されたようにひしゃげていた。
チベットのお寺で買った木製の数珠に傷がついていた。
この2つがクッションとなりカメラを守ってくれたというのか?!

今でもそのカメラはレンズカバーはないものの何の支障もなく写真を撮り続けている。
チベットの神様、ありがとう。
オリンパスの方々、ちょっとの間でもミノルタに浮気してしまった私をお許しください。
それ以降チベットとオリンパスの方向には足を向けて寝られない。
なるべくミノルタの方向に足を向けて寝るようにしている。

何のためにここまで来たのか…

今回私がメインに使用しているカメラはミノルタのTC-1。
いわゆる「高級コンパクトカメラ」というやつで定価は驚きのぢうご万円(中古で買ったので本当の買値は5万円だが)。
でも西チベットを越えてネパールに下りてきた時点で、まるで役目を終えたかのようにアッサリ動かなくなってしまった。
落とした訳でも、水につけた訳でもないのに…。
まあ始終振動の中にあるので止むを得ないのかもしれないが、あまりに弱すぎる。
しかしとりあえず修理しなくては、とインド周辺で探したところ、シンガポールにサービスセンターがあった。
事前にインドから国際電話で
「TC-1の修理をそちらで受け付けてくれるか?」
と聞いておいた。
返事は「もちろんOK」。
それで今シンガポールに来ているわけだ。

で、早速サービスセンターに行ってきた。
受付の小姐にカメラを渡し、状態を説明した。
中に入って1分後、小姐の口から出た言葉は、
「このカメラのパーツはここにはないので日本へ一旦送り修理することになるため1ヶ月ほどかかります。料金は2万円です。」
な、なにーーー!!!
料金の高いことは覚悟していたのでよい。
ただ問題は「1ヶ月」という期間だった。
このシンガポールで1ヶ月も耐えることはとても出来ない。
それに遅くとも1ヵ月後には中国に居なくてはならない大切な用事があるのだ。
その条件で修理を依頼するわけにはいかなかった。

失意の中、呆然として考える。
一体何のためにここまで来たのか…。
高い飛行機代まで払って…。(前項参照)
確かに受付小姐が電話で「受け付ける」言った話は間違ってはいないので彼女は責められない。
悪いのはもっと詳しく聞かなかった自分なのだから。
やり場のない怒りと激しい後悔で
「てめえのバカさ加減には父ちゃん情けなくて涙出てくらい!!」
(byあばれはっちゃくの親父)
と自ら壁に体当たりしブリキのたらいを頭上から落としたりしてみても結局はあとの祭り。

でも救いはあった。
実はもう一台、スペアのカメラを持っているのだ。
しかしそのカメラも3ヶ月前、絶体絶命の危機にさらされたことがあった…。(つづく)

自転車空輸

よく聞かれる質問。
「自転車を飛行機に載せる時お金取られるんですか?」
答えは「NO」。
タイヤを外して梱包すれば、一般の預け荷物と同じ扱いとなる。
ただし引っ掛かってくるのは重量の方。
自転車本体だけなら15kgぐらいだが、諸々の付属品があるため。
アジア便エコノミー客は原則20kgまで。
25kgまでなら何も言われずに受け取ってくれ、
25-30kgだとちょっとシブイ顔をされるが「頼む!」で切り抜け、
30kgを超えると「減らせ」と言われ機内持ち込みに移す、
というのが今までのチェックインのパターンだった。
チェックインカウンターで秤に巨大な輪行バッグを載せるときは減量に失敗したボクサーの計量のような心境となり、揺れる数字を見ながら「頼む、30kgを超えないでくれ…」と祈るような心境になる。

で今回カルカッタ空港にて。
生意気にもシンガポール航空を選んだ私はカウンターに並んだ。
自分の番が来て、カートから輪行バッグを持ち上げる。
その時今まで持ったことのないとてつもない重量を両腕に感じた。
揺れが止まったデジタル数字が示したのは
「38.9kg」
係員、ため息一つ。「重すぎる」
私、引きつり顔で。「て、手荷物に移しますから…」

しかし、カウンターの陰には既に重量級の荷物でいっぱいの45Lのザック。アッサリ係員に見つかり
「これはデカ過ぎる。機内に持ち込むのは許さん。これも預け荷物にせよ。」
ドーン。
更に14kg。加えて52kg。弁解の余地なし。
示された超過重量代金、痛恨の160USドル。
「我々シンガポール航空は英国航空に準じた厳しいルールの元で運営しております。規則ですので払っていただかなければお客様を機内にご案内するわけにはまいりません」
インド人とは思えぬテキパキした反応の能面のような男が話す。
私はこの時ほど、機体はオンボロでサービスは最悪だが、規則はナアナアのアエロフロートやエアインディアを恋しく思ったことはない。

しかし私は戦った。
平身低頭、額の皮が剥けるほどカウンターに頭を擦りつけ30分ほど戦った。
戦果は多少あった。
160ドル→120ドル。
だが元々のチケット代330ドルと加えて計450ドル。
4時間のフライトに5か月分のインド生活費が吹っ飛んだ。
こうなったら機内でビール150本飲んで元を取ってやる!!
…つもりだったが9ヶ月ぶりのアルコールのせいで1本飲んだだけでフワフワになってしまっていた…。

シンガポールに来ました

インドから中国へ…の間にシンガポールに立ち寄っています。
明らかに私などお呼びでないこの国になぜ来てしまったのか?
理由は3つ。
1.カメラの修理
2.パスポートの更新
3.シンガポール人の友人に会う

カルカッタから更に南へ3000kmの赤道直下。
そして周りは海。
カルカッタが地獄の蒸し暑さだっただけに、これは間違いなく熱死するな、と思っていたのですが、とんでもない。
昼間せいぜい30度止まり。
意外にもカルカッタに比べて全然乾燥していて、日本の夏なんかよりはるかに心地よい。
夜などファンだけでちょうどいい感じ。

しかし今までいた国とはあまりにもかけ離れた超文明的世界に逆カルチャーショックを受けてしまっています。

2005年6月3日金曜日

スターウォーズと私

「スターウォーズ・エピソード3」をカルカッタで観てきました。
ヒンディー語あるいはベンガル語吹き替えで、ユアン・マグレガーが「チョロ!(行くぞ)」とか「アッチャー!(よし)」とか言うのを期待していったのですが、さすがここは国際都市カルカッタ、英語そのまんまでした。
そのせいかヒンディードンチャカ映画を見に来るような客層とちょっと違った
「ワシら英語も理解できるハイクラスですねん。忙しい身でんねんから、携帯電話は手放せまへん。」
といった人が多く、劇中ひっきりなしにあちこちで液晶画面がピカピカ光り、その度にロビーに出て行くので気が散って仕方がないですねん。

思い起こせば8年前、マーク・ハミル主演の「スターウォーズ・エピソード4・5・6」のデジタル再処理版(アラビア語吹き替え)は全てエジプトで観て、「エピソード1」(英語+日本語字幕)だけは日本で観たものの、「エピソード2」はニューヨーク(英語)と中国(中国語吹き替え)で。
そして今回「3」はインド(英語)。
私の旅には何故かスターウォーズがつきまとっているようで。

しかしながら「1・2・3」の最重要テーマである
「なぜダースベーダーはダークサイドにはしってしまったか?」
は結局理解できずじまい・・・。
オソマツ。

2005年6月1日水曜日

コレクター


私はどの国に行っても記念の土産を買うことはまずないのだが、その代わりに集めているものがある。
それは各国のお札・コイン。
お札のデザインにはその国の代表的建造物、歴史に残る代表的人物が描かれ、よくよく細部までじっくり見るとかなり美しく楽しい。
自分の行った国は勿論、知人が私の行ってない国へ行くときには土産に持ち帰ってもらったりして、今までに集めた分が50ヶ国くらい。

先日ちょいとブータンまで行ってきたのもお札集めのため。
ブータンのお札はどれも多色刷りでまれに見る美しさ。
他のお気に入りは、エジプトの遺跡シリーズ、ネパールの動物シリーズ、一昔前の中国の多民族シリーズ(今は全部毛沢東になってしまった)。
王国の発行するお札の肖像は全額面王様。
バングラデシュは政権交代の度にお札が変わるので、同じ10Tkでも色も大きさもデザインも全く異なる札が5種類もあり混乱の極み。
香港は3つの銀行が札を発行していてこれも混乱を招く。
コレクションしきらないうちに多種多様あったヨーロッパの通貨は味も素っ気もないデザインのユーロに変わってしまった。

しかし何といっても世界でもっともつまらなく、集める気にもならないデザインのお札は米ドルだろう。
1ドルから100ドルまで色も大きさも全て同じの単色刷り。
この世界一シケプーなお札が世界一信用がある、というのも皮肉な話だが・・・。

(写真:ブータンの10ヌルタム札 約25円)

ブータンへ

「ブータン」と聞いて、ああ、あそこにあって、首都はティンプーね、と即答できる人は少ないのではないでしょうか。
ブータンは中国(チベット)とネパールとインドとバングラデシュに囲まれるようにひっそりと存在するチベット仏教を信仰する山国です。
半鎖国政策をとっていて、入国しようと思ったら一日に付き240ドル(!)のビザ代を払わねばならないので、貧乏旅行者には縁のないところですが、1ヶ所だけインドと国境を接する町が開放されているのでそこへ行ってきました。

そこは1つの町を横切るように国境線が引かれ、「ブータン版ベルリンの壁」とも言うべき幅2mくらいのドブ川が国境となっています。
若者はジャンプで飛び越えたりしていますが、町の中心にはちゃんとしたゲートがあって普通はそこを通ります。
地元民も外国人も何のチェックも無く自由に行き来しているのでインド側にモンゴロイド顔のブータン人やチベット僧がいたり、ブータン側にサリーのインド人がいたり、混ぜん一体となっている感じでどちらがどちらというような堅苦しいことはあまり感じません。

ただ、町で店に並ぶ品々を比較すると、国力の歴然たる差、というものを感じます。
しかし唯一、インド側には無くて、ブータン側にはこれでもか、とある品があります。
それは「酒」。
インドの食堂にはコーラやファンタが並べられていますが、ブータンの食堂にはビールにウイスキー。
スーパーマーケットでも冷えたビールが・・・
そういえばここ9ヶ月ほどアルコールは口にしていなかったなあ・・・。