トルコではガソリンスタンドによく泊まらせてもらっていた。
敷地の隅の方にマットだけ敷いて寝かせてください、と頼むと43発43中という驚異的な成功率でOKしてもらっていた。
こちらとしては寝かせてもらうだけで充分なんだけど、さすが親日的なトルコ人、それだけでは許してくれずメシになれば一緒に食おうと誘ってくれたり、観光に連れていってくれたり、家に招いてくれたりしてありがたい限り。
トルコ中部、カッパドキアに近いガソリンスタンドに泊めてもらった時のことだ。
やはりここでも歓迎してくれ、メシに加え、ビール2本にスイカ半玉までいただいてしまった。
しかも外じゃ危ないから事務所の中で寝なさい、と部屋の中に入れてくれた。
夜、皆は各家に帰り、そこには私一人・・・
深夜、モーレツな尿意で目が覚めた。
寝る前しこたま水分摂ったので当然だろう。
トイレは外にあったので扉を開けて出ようとしたところ・・・
何と外から鍵がかけられている!
しかも窓は開かない!
これじゃ軟禁だ!!
すでに膀胱は危険度レベル4に達している!(レベル5で核ミサイル発射)
2Hzの自家製コンピューターをフル稼働させ、はじき出された答えは
「金魚ばちにしろ」
しかし翌朝白い腹を浮かせ全滅していたらヤバイというので却下。
続いて出された答えは
「植木にしろ」
しかしこれも臭いでばれそうなので却下。
う、う、危険度レベル5は目前である!
しかし、節分には豆まきをするような信心深さが功を奏したのだろう。
神は我をお見捨てにはならなかった。
このとき部屋には自転車ごと入れてあったのだ!
素早くボトルの中身を捨て、そこにジョ〜。
フゥ〜、助かった〜
しかーし!ここで気を抜いたのはマズかった!
直後に今度はモーレツな便意が襲ってきたのだ!
しかも猶予許さぬ緊急非常事態宣言である。
またもやレベル5は目前に迫っていた!
しかししかし、お彼岸に墓参りをするような信心深さが功を奏したのだろう。
やっぱり神は我を見捨てることはなかった。
自転車の荷物の中にはビニール袋があったのだ!
ブリブリ...フゥ〜
翌朝、みんなが戻ってきたところで何食わぬ顔して裏の畑にまいておいた。
その年の畑は豊作だったという。
2003年9月25日木曜日
脱プン!その5(トルコ編)
2003年9月24日水曜日
脱プン!その4(シリア編)
トルコ国境まであと数kmというシリアの片田舎で居候していた時のこと。
夕食に何か傷んでいたものがあったようで家の者の数人が下痢にみまわれてしまった。
みんな夜中も次々とトイレに駆け込む。
しかし田舎なので夜間は水道がストップ。
缶に汲み置きされた水がどんどん減ってゆき、腹が痛いよりもこのままじゃ尻洗えなくなるのでは・・・の恐怖に襲われていた。
翌日、運悪くこの日がシリアビザの限界だったのでゲリゲリのまま出発しなければならなかった。
国境を越えトルコに入ったところでダウン。
その辺に野宿しようと準備していた。
すると農作業帰りのトルコ人が来て
「そんな所で寝ないでちょっとついて来な」
と誘ってくれた。
コンテナを改造した仮宿泊所へ。
深夜一人で寝ていたとき、それは襲ってきた。
ヤバイ!と立ち上がった瞬間、彼らは自由を求め旅立っていってしまった。
近くの川で蚊にボコボコに刺されながら体と服を洗ってコンテナの中も洗い流しておいた。
しかし翌朝やってきた人らが中に入るなりしかめっ面して洗浄を始めてしまった。
情けないやら申し訳ないやら・・・
強烈な思い出から始まったトルコ初日であった。
2003年9月23日火曜日
宗教冒涜
初めてのイスラム国訪問であったエジプトにて。
日本では感じることの出来ないイスラムの神秘性に酔いしれていた。
そんな中、町外れの小さなモスクに行ったところちょうどお祈りの時間。
外から中の様子をうかがっていると、それに気付いた導師さんがやってきて話し掛けてくる。
「日本人か?」
「イエス!」
「エジプトは楽しいか?」
「イエ~ス!」
「イスラム教徒になりたいか?」
「イエ~~ス!!」
勢いで言ってしまった。
「それでは『ムニャムニャ(本当はもっと長い)』と2回唱えなさい。」
「ムニャムニャ、ムニャムニャ」
「よろしい、これで君はイスラム教徒だ。これからは『ムハンマド』と名乗るがよい」
ムハンマドになってしまった。
その後イスラムの基本である「五行六信」の教えを受け、礼拝前の身の清め方を習い、ペコペコやる礼拝法も伝授された。
いっぱしのエセイスラム教徒である。
しかしここでイスラム教徒になったことによるパワーは想像を超える絶大なものであったのだ。
旅の途中で会った人に宗教を聞かれ、イスラムと答えるとまるで旧知の友を迎え入れるかのような歓迎を受けてしまう。
それが楽しくて頻繁に使ってしまった。
場面に応じて「キリスト教」「仏教」も使い分けていたのだが・・・。
ある時茶店で皆でワイワイやっていた時、やはり宗教を問われその時は「仏教」と答えた。
するとさっきまで楽しく話していた中の一人が突然
「この異教徒め!汚らわしい!出て行け!」
と怒り出したのだ。
周りの人が静めようとするもその怒りは収まらず、私はスゴスゴと退散した。
その時思ったのだ。神聖なる宗教を私のように遊び半分で使うものではない、と。
それ以来「イスラム教」は封印し、無難に「仏教徒」ということにしておいた。
時は流れ一年後、モロッコのカサブランカにいた。
そこには近代建築術の推移を集めた豪華絢爛の巨大モスクがある。
異教徒も観光は出来るのだが、その時は運悪く金曜昼の礼拝の時間で観光客の入場は禁じられていた。
私はまもなくカサブランカを去らねばならなかった。
しかしどうしてもこのモスクの中を見てみたい!
そして思わずしばらく封印しておいたあの禁断の技を使ってしまったのだ!!
入り口に近づくとやはり警備の人が「外人は入れません」と言ってくる。
私は言った。しかも既に身につけていたインチキ臭いアラビア語で。
「私は日本からのイスラム教徒です。このモスクで祈るためはるばる遠くからやって来ました。中に入って皆と一緒に『ムニャムニャ』と唱えたいのです!」
すると警備の人はちょっと待て、と言い残し偉い導師様を連れてきた。
その導師に同じことを繰り返すと、導師はニコヤカに
「遠いところよく来てくれました。さあ中へどうぞ」
中は想像を遥かに超えていた。
数千人のイスラム教徒がいっせいにしゃがんだりペコペコする様は巨大な稲穂の波が揺れているようでもあった。
すがすがしい気分でカサブランカをあとに出来そうだ・・・。
しかしやはり神の天罰が下ったようだ。
その日乗ることになっていたバスは、荷物だけ載せて私をおいて行ってしまった。
翌日荷物は返ってきたもののやはり神聖なる宗教を冒涜するべきではなかったのだ。
それ以来「イスラム教」は封印されたままである。
2003年9月21日日曜日
海水浴
ヨルダンとイスラエルの間に「死海」はある。
海抜マイナス394m、地表で世界一低いところにあり、年中暑くて乾燥している上、流れ出す川がないので塩分がどんどん濃縮され、普通の海よりはるかに浮力を生む。
新聞読みながらプカプカ浮いている写真を見た人も多いだろう。
で、実際入ってみると本当にプカプカ浮いてしまうのだ!
でもあんまり安定していないので疲れるし、オマケのクロスワードを解きながら「母さんお茶」なんて言うことも出来ないので注意しよう。
また浮力が強すぎるのでうつ伏せで泳ごうとすると尻が浮いてしまい顔がドボッと水に沈む。
口に入れば辛いを通り越して苦いし、目に入ろうものなら激痛が走る。
傷口もヤバイし、痔もヤバイ。
ホモの人はもっとヤバイ。
小さく波も立っていて、波打ち際で遊んでいた子供に波がかかると大変!
アッチコッチからビエービエー泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
でもここはアンマンから多くの海水浴客が来ていて(他にヨルダンの海は最南端がちょっと紅海に面しているだけ)ビキニパンツのおとっつぁんと真っ黒なチャドルのおっかさんが仲良くスワンボートを漕いでいたり、チャドルのまま泳いでいる女の人がいたりして面白いです。
多分対岸ではイスラエル人がトップレスで日光浴したりしてるんだろうなあ。(想像)
2003年9月18日木曜日
インディージョーンズ
ヨルダンの観光のハイライトはなんと言っても「ぺトラ」。
「インディージョーンズ3」のロケにも使われた巨大な遺跡です。
しかし入場料が30$くらいして高い!
できることなら安く入りたい。
そういう情報はまことしやかに旅行者の間を駈け抜けます。
方法はこう。
ぺトラ近くのある宿の主人は、ぺトラ入場券のモギリもやっているので、その宿に泊まってちょっとニギらせれば1/20の現地人料金で入れてもらえる、というもの。
私もその宿に泊まって早速オヤジに話を持ちかけてみました。
しかし返ってきた答えは
「わりい、オレ明日非番なんだよ。その代りいい方法を教えてやろう。」
翌日、オヤジに教わった方法で入場を試みます。
その方法とは単純なもので、夜暗いうちに出て、入場ゲートに続く道に沿って流れる川(今は乾季で枯れている)を通ってゲートをパスせよ、というもの。
ライト片手に歩いて行くとゲートの横で犬がガウガウ吠えていてちょっとビビリましたが、何の問題もなくクリア。
その先には幅5m、高さ100mくらいの岩の隙間がクネクネ続いています。
トコトコ行き、やがて空も白み始めた頃、その隙間の向こうにぼんやりと朝日に浮かび上がる巨大な遺跡が!!
この人類の遺産が今目の前に!!
しかもたった一人、私だけが見ている!!
ピラミッドに続き再び立ち尽くしてしまいました。
前回のピラミッドもここもその後普通に見物もしたのですが、一般の時間だと観光客もウジャウジャいるし、それにたかる土産物屋もうるさくていまいち。
それどころか、旅の初めにあまりにも衝撃的なこの2つを見てしまったためその後見た数々の遺跡が全て大した物に思えなくなってしまいました。
そのくらいスゴイのだよ、夜のピラミッドと朝のぺトラは。
2003年9月16日火曜日
台湾の事情
台湾には大きく分けて2つの人々が住んでいる。
1つは元々この島に住んでいた人々、高砂族という名で呼ばれたりもする。
もう1つは戦後共産党に追われ大陸から逃げてきた蒋介石率いる国民党の中国人。
現在は西部の大都市に中国人が住み、政治経済に中心を担い、元々いた人らは東部や山間部の貧しい地域で暮らしている。
そんな山間部を訪れたときのことだ。
日本統治時代を経験している年配の人はもちろん、その子供の代までもが今の日本人の忘れてしまった美しい日本語をしゃべっていた。
訪れる前は韓国と同様、日本人に対し恨みを持っているのではないか、と不安に思っていたのだが話してみると全く違っていた。
日本時代は平和に上手くやってこれていたのに(もちろんそうでない事件もいろいろあるのだけど)、あとから入ってきた奴ら(中国人)がそれをメチャクチャにしておいしいところだけ持っていってしまった、と。
日本は素晴らしい所なんでしょう?死ぬ前に一度行ってぜひ皇居を拝んでみたいです、と言う人もいた。
もしかしたら現存する真の大和魂はここにしかないのかもしれない・・・
日本人、反省せよ!
韓国、ソウルの南に「独立記念館」がある。
何年か前に日本が教科書問題で日韓の歴史をうやむやにしようとしたことに対し韓国国民が怒り、「歴史を忘れ去ってはならない!」と、秀吉の時代から日本が韓国にしてきた悪行の数々を広大な敷地の中に模型と映像で示したものである。
展示には拷問の再現シーンや、後ろ手に縛られた韓国人が日本兵に銃で頭をぶち抜かれる映像が流れていたりと見ているとドーンと暗い気持ちになってしまうようなものばかり。
説明文には、韓・英・中・日の4ヶ国語で書いてあるのだが、見学に来ている人らの感情を察するに日本人とばれてはリンチに遭ってもおかしくないような感じがしたので顔は韓国文に向け目だけ日本文を追ったり、切符を買うときもピッタリの額を出し、中でも一言も口をきかぬなどのささやかな努力をしてみた。
しかしこういう時に限って子供に「ねえねえ、トイレはどこ?」ときかれたりして困ってしまった。
とにかく見終わった後は、悲しいような、情けないような、申し訳ないようなひたすら反省するだけであった。
日本人は焼肉食って免税品を買うだけじゃなくてこういう所にぜひ行くべきであろう。
ただ気になったことが一つだけある。
ここは韓国の小学生の社会見学として定められているらしく全国からバスに乗ったものすごい数の小学生が続々とやってくる。
日本が韓国に対しひどい事をしてきたことは事実だろうし、その歴史を知ることは大切である。
しかしまだ現在の国際関係もよく理解していないような子供のうちに、このようなショッキングなシーンをこれでもかというくらい見せつけてもよいものだろうか?
これがトラウマになって、よくわからないけど日本人は悪いやつだ!と思い込んだりはしないのだろうか?
せめて高校生くらいの分別のつく歳になってから見せるべきではないのだろうか?
この疑問を、ソウルにいた日本統治時代を経験していた日本語ペラペラのおばあさんと、帰国後にも友人の韓国人に聞いてみた。
するとやはりこのことは韓国でも問題になっているらしかった。
しかも時は日韓共催ワールドカップ前年であり、両国は不幸な過去を忘れこれからは協力してやっていこう、と言いながらもう一方では日本の悪を強調している。
改正すべきとの声が上がっているらしかった。
W杯が終わって一年。
今もまだ多くの小学生が見学しているのだろうか・・・
ワレ登頂セリ
エジプト、カイロでのこと。
エジプトと言えばピラミッド。
ピラミッドと言えば登りたい。
というわけで登りに行きました。
しかし昔登ろうとして落っこちて死んだ人がいたらしく、法律でピラミッドの登頂は禁止されています。
だから夜中にゲリラ的に登るのです。
宿にお金パスポート時計などは全て置いておき、身元不明にしてわずかなお金だけを持って深夜、カイロから10km離れたギザへ向かいます。
タクシーはピラミッド入り口のちょっと手前で下り、塀を乗り越えて、隣接するゴルフ場をルパン3世のように走り抜けると砂丘にぶつかります。
その丘を越えていたとき同行していた人が「アッ!」と叫びました。
何かと思ってそちらを見てみると・・・
そこには月夜に浮かび上がる巨大な三角形のシルエットが!!
立ち尽くす、というのはこういうことを言うのでしょう。
しばし呆然。
ふと我に返り、いよいよ登頂開始。
辺の中央部は石の角が削れて危ないので四隅から登りましょう。
一つの石は高さ1mくらい。
階段状になっているので登るのは簡単です。
ウンショ、ウンショと頑張りつづけて140m、ヤッター!頂上にたどり着いたぞー!!
満天の星空の元、日の出を待ちます。
一番高いクフ王のピラミッドの頂上は石がなくなっていて10m四方くらい平らになっています。
石に彫られた落書きには数百年前のがあったりして長い登頂の歴史を感じさせます。
しかしとにかく寒い!
ただでさえ砂漠の夜は冷える上、風が吹きっさらしなので寒くてたまらない!
岩陰に身を寄せて風をしのごうとしても、なぜかそこにウ○コがあったりして臭い。
やがて東の空が白みがかるころ、カイロの町からうねりのようにアザーン(朝のお祈りのお知らせ)が聞こえてきて荘厳さはピークを迎えます。
さて日の出を見終わったところで下山。
しかしここからが本当の試練なのです。
下るのは簡単。
問題は下で警官がニコニコしながら我々の下山を待っているのです。
もちろん我々を捕まえるためです。
「コラコラキミタチ、ココニ登ッチャダメダヨ。」
「言葉わかりません」
「悪イコトシタラ牢屋ニ入ル、コレエジプトノオキテ。」
「そうだ皆さんにプレゼントがあるんですよ。」
こうして来る時ちょっとだけ持ってきた小銭(10円くらい)を渡せば無罪放免。
警官は毎日のようにやって来る登山客からお小遣いをもらえるし、我々は憧れのピラミッドに登れるし、両者利害一致し皆ハッピー。
でもこれは7年前の話です。
最近は登ると本当に牢屋に入れられちゃうらしいので登るならそのつもりでどうぞ。
2003年9月12日金曜日
人口爆発大国PART2
ご存知の通り現在中国では一人っ子政策実施中。
といっても誰も彼もが子供は一人!というわけじゃなくて省ごとにルールが違います。
厳格に「一人だけ」と決まっているのは東海岸を中心とした都市周辺。
人手を必要とする農家や少数民族には適用されません。
またこの定めは何十項目にもわたる長い規則で、それがかかれた大判のポスターが人の集まるところ(食堂など)に張ってあります。
読んでみると「結婚は男23歳以上女20歳以上」とか「もし第一子が障害者だった場合4年後以降に第二子をもうけてよい」とか。
それでいてもやはりできてしまうと巨額の罰金を払わなければならないので戸籍のない子供がたくさんいるらしい。
そういう子はもちろん学校には行けません。
中国の人口は公称12億、実際は15億人とか。
インドも人口は増加の一途をたどっています。
政府は産児制限を呼びかけているけど強制力がないので,そんなの俺の知ったことか!とみんなポコポコ産んでしまいます。
ヒンズー教徒に聞くと「イスラム教の奴らが嫁を何人ももらって10人も20人も子供を産むから悪いんだ!」と言います。
人口で劣るムスリムが挽回しようと頑張っているんですかねえ。
現在人口10億のインド、このままだと50年後には20億人に達するとか。
トルコでのこと。
子供が10人いる家に居候していました。
その家は農家ではなく人手を必要としているわけでもないし、お金持ちというわけでもないので「10人もいたらお金がかかって大変ではないのか?」と聞くと「たくさん子供を作って、その中に一人でも優秀な人間ができればそれで家族全員を養うことができるからそれでいいのだ!」と・・・
「下手な鉄砲・・・」の原理ですね。
2003年9月10日水曜日
永遠なれチベット仏教
「チベット仏教」と聞いてどんなイメージを思い浮かべますか?
4000m以上の険しい山の中の寺で、黙々と五体投地で祈る厳しい宗教・・・
そんな感じではないでしょうか。
でもそのイメージを持ってラサに行くとビックリしますよ!
あずき色の袈裟を着た坊さんが町でビリヤードやっていたり、VCD屋で香港映画を見てゲラゲラ笑っていたりするんですから!
本山ジョカン寺の前では多くのチベット人が五体投地を繰り返していてこれもイメージに近いのですが、よく観察してみるとみんなおしゃべりをしながら楽しそうにやっている。
ある時まるで筋トレをしているかのようにものすごいスピードで五体投地をしている人がいたので不思議に思って聞いてみたところ、
「腹が減っているからさっさと済ませて帰りたいんだ」
とのこと・・・。
食欲と信仰欲とのせめぎあいですね。
2003年9月6日土曜日
ハッピーバースデー!
一年前私は30歳になった。
いったいどこでこの記念すべき日を迎えるのだろう、とだいぶ前から気にしていたのだが、結局東チベットのとんでもない山深い中で、しかも周りに人も住んでいないような所なのでその辺の空き地にテントを張ってキャンプしていた。
暗くなるとやることもないのでさっさと寝た。
静かな30歳の訪れだった。
しかし翌朝目が覚めて外に出てみると、昨日は雲がかかっていてわからなかったのだが目の前にドカ〜ンと巨大な三角形の雪山が顔を見せていた。
誰にも祝ってもらえなかったけどこの山だけが祝ってくれているような気がした。
しかしそもそもチベット人は誕生日を祝う習慣はないらしい。
それどころか一般の人は自分の誕生日すら知らないのだ。
(ダライラマだけは特別で、ラマの誕生日はチベットの祝日)
大切なのは日ではなく生まれた曜日である。
これはビルマ仏教でも同じで、各曜日ごとに自分の守護動物(?)があり、それに願をかけるのだ。
日−トリ、月−トラ、火−ライオン、水(午前)−牙ありゾウ
水(午後)−牙なしゾウ、木−ネズミ、金−モグラ、土−竜
あなたは何曜日生まれですか?
2003年9月5日金曜日
中国的多人房事情
多人房とはすなわちドミトリー(相部屋)のこと。
小さな村のホテルではドミはなくシングルで5~10元(80~150円)位ですが、観光地や中都市になると値が上がるので多人房に入れば1ベッド5~10元位で済みます。
観光地の多人房は外国人でいっぱいで英語が共通語の異様な世界ですが、観光地でない都市の多人房は地方からの出稼ぎ工事のオッサンで占められていることが多いです。
中国人はお国自慢が大好きなのでいろんな土地の話が聞けます。
それにそういう人は1ヶ月とかの長期でいるのでその町の穴場、路地裏の安ウマ食堂、楽しい飲み屋、あんなこといいなできたらいいな的店などの情報をたくさん持っていて一緒についていくといろんな体験ができます。
中国ではまだ海外からの出稼ぎには会ったことはないですが、以前ヨルダンのアンマンで同じような出稼ぎドミに泊まった時は、ヨルダン・シリア・エジプト・イラク・スーダン・イエメンのアラブ多国籍軍状態。
ポツンと現れた日本人は格好のおもちゃで、いろんな所に連れていってもらい、ホモに2回も寝込みを襲われるなどエキサイティングな経験をしました。
その点中国はちょっとおとなしいかな・・・今のとこ。
中国的自転車事情
自転車を止めて休憩していると「ちょっと乗ってみていいか?」と言われます。
これは中東でもよく言われたことで乗せてあげるのですが、自転車にあまり乗らない中東人は重い荷物にまたぐだけでもフラフラしてしまうのに対し、さすがここは自転車大国!
皆さん容易に乗りこなしてしまいます。
ただあの前傾姿勢とギアチェンジにはかなり戸惑うようですけど。
在中国日本人旅行者事情
そのアメリカ人と一緒にいるときは皆は私を見ると「このアメリカ人のつきそい中国人ガイドかな?」と思うようでちょっとは気にしてもらえますが、一人だと一見中国人と同じなので誰も気にしてくれません。
だから混んでいる飯屋なんかに行くと主張するのが大変で結構苦労します。
ただ一旦日本人だと分かると意志疎通できる(筆談ですが)こともありすごく親しみ持ってくれてありがたいです。
それに一見中国人なので路地裏とかアヤシゲな店とかにもズカズカ入っていけて楽しいですよ。
中東でもやりたかったけど無理だったなあ、すぐ人だかりができちゃうから。
在中国外国人旅行者事情
先日まで3週間ほどアメリカ人サイクリストと行動を共にしてきました。
二人ともチベットを目指していたのですが、私が、4時には走るのを止め、後は町ブラブラ、地元交流、気に入った町なら1週間でも1ヶ月でもいたい、滞在・交流重視型なのに対し、彼は日が沈むまで走り続けとにかく先を急ぐ移動型でした。
その間は互いに妥協しながらやってきたのですが、このままだとお互いの旅に無理が生じるので
「今度生まれ変わったら一緒に旅しましょうね」「うん」
と納得し別れました。
それ以外にもどーにも彼とは合わず、私が現地の人が食べるものならゲテ物だろうと何でも食べ、飲むものを飲む(水道水だって生水だって)のに対し、彼はポテト・トマト・牛肉以外には箸もつけず、水は買うのみ。
私が頑張って言葉覚えるのに、彼は2ヶ月いるのに言える言葉は「プーヤオラー(辛いのなし)」のみ。
「アメリカに帰れ!」と何度出掛かったことか。
彼に限らず西洋人旅行者に多いのが旅先に自国文化を求める人が多いこと。
朝はパンとコーヒーだったり、夏なのにホットシャワーをねだったり、英語しか話さなかったり、と。
東洋人旅行者(日韓台)が現地文化に溶け込もうと努力する人が多いのに比べ彼らの傲慢さが鼻につくときがあります。
これが植民地支配を広げてきた側とされてきた側の違いかと思うのは考えすぎかな?(日本も一時してましたが・・)
旅のスタイルは人それぞれなのでとやかく言う問題ではないのかもしれませんが
「When you go to Rome, You should follow Roman rule.」
という言葉があるくらいなんだからもう少し努力してもいいんじゃないかなー、と思いました。
なーんて偉そうなこといってしまいましたが、実は私も異国文化を中国に持ち込んでいるのだ。
それはズバリ「ハンドウォシュレット」。
サイクリストにとって肛門様は生命線なのだ!!
清潔一番!!
中国的漢字事情
中国を旅するにあたって筆談は大変心強い交流方法ですが、やはり同じ文字でも意味が違ったり、字が簡略化されすぎて分からなかったり、そもそも日本にはない文字だったりして全て理解するには勉強しないとだめ。
私も毎日すごい量の筆談をしてきて(ボールペンの芯が1週間でなくなる)かなり筆談能力はアップしました。
それに発音は土地が移るにつれどんどん変化していくのでついていくのが大変ですが、文字はずっと共通なのも便利です。
やっぱりたった1文字で意味が伝えられるというのはすごいことだと思います。
ただ時折ビックリするような文字もあって
牙科・・歯医者のことです。噛まれそうですね。
炎熱・・天気予報で、気温は高いでしょう、のこと。燃えそうです。
雑誌読んでたらアイドルのプロフィール紹介があり
「身長5尺4寸」
なんか雷電為右衛門みたいで笑えました。
中国的靴事情
ここに来るまで靴は一度も履いたことがなく、ずっとスポーツサンダルで通してきたのですが、先日カカトが壊れたので中国人民の皆さんを見習って便所サンダルを買いました。
さすが中国4000年の歴史が生み出したものだけあって、安い、丈夫、吸水性ゼロ、そのままシャワーに入れる、などいいことずくめ。
愛用してます。
しかも人民の皆さんはこれで登山もしてしまうのでマネしてハイキング登山してみたらツルツル滑って大変でした。
やはりまだ修行が足りないようです。
それにやはり長距離サイクリングには向いていないような気も・・・。
私はもう少し修行してみますがよい子のみんなは真似しちゃだめだよ!!
中国的厠所事情
厠所とはすなわちトイレのこと。
中国の公衆便所は通称「ニーハオ便所」。
扉がないのが普通です。
これも慣れの問題で、隣のオッサンのりきむ顔を見ながらクソするのもまた一興。
また、ブタさん便所というのもあり、下でブーブー待っていて出したものをそのまま食べちゃう。
その近くで豚肉の料理を食べると食物連鎖を感じます。
ただ自転車に乗っていて意外な所で困ったことがありました。
それは野グソポイントがなかなかないこと。
中国の土地はおよそ人の手の届く所(道路脇はもちろんのこと、山ひとつが頂上まで全て棚田になっていたりする。どうやって上まで水を供給しているのかは今もって不明)は全て耕作地になっており、草むらとかが無いのです。
そんなの畑の隅でしちゃえばいいじゃん!と思うかもしれないけど、すげー山道でもどこへいくのかトボトボ歩いている人が必ずいて、その人にこういう所でクソするのをマジマジと見られるのはなぜか恥ずかしかったりするのだ。
中国的果皮事情
果皮とはすなわちゴミ全般のこと。
中国にしばらく居るとゴミをその辺にポイ捨てすることが気にならなくなります。
やはり初めはちょっと抵抗ありましたがある時考えを変えました。
町には多くの掃除おばちゃんがいてゴミを掃除してくれます。
それなのにもし中国共産党の大号令で「道にゴミを捨てたものは即死刑!」などという法律ができたら(共産党ならありえないこともなさそうでコワイ)在中国の何万人というおばちゃんが職を失うこととなり中国は大不況に陥ることでしょう。
ゴミを捨てることはおばちゃんの生活を守り、果てには中国経済のためだ!
そう思えばポイ捨てもミニNGOみたいなもんで、捨てた後は気分爽快!
ポイ捨て以外にも、歩きながら鼻ほじろうが、痰吐こうが、屁ここうが、一向に平気になりました。
ただ日本に帰ってからが心配ですが・・・
中国的発破事情
道路拡張やガケ崩れなどで道路工事はしょっちゅう。
道路をふさぐ岩を除くための発破作業もしばしば。
この前トロトロ走っていたら工事のオッサンに止められ「今から発破があるからちょっとこっちに来て」と道の端に寄せられました。
数分後、わずか100m位の所で10発のダイナマイトが爆発、頭の上を石ころがヒュンヒュン飛んで行きました。
国は広いくせにこういうところは狭いです。
これが中国式。
中国的電脳事情
電脳とはすなわちコンピューターのこと。
山奥なら話は別ですが、そこそこ人の集まっているところには必ずネットゲーセンがあり、小学生が巧みにマウスを操りブロードバンドシュミレーションで遊んでいます。
外で人力のみで巨岩を叩き割っているのとはえらいギャップを感じますが・・
ネット屋は携帯電話とともに急成長分野らしくあちこちに店があり新店舗は新マシンを入れているので環境はかなりいいです。
しかもADSLが標準。
それでいてフツーの町なら1時間20〜30円くらい。
PCの値段は日本よりも高いので買うなんてしなくてもこれで充分みたいですね。
中国的回族事情
回族とはすなわち在中国イスラム教徒のこと。
ウイグル方面だけかと思ったら南方にもいるんですね。
町にはたいてい回族街があって、店には例のミミズ文字の看板があるのですぐわかります。
以前その回族街に1週間ほど滞在してました。
5年ぶりのイスラム世界でしたが、1日5回のお祈りはどこへやら、昼間から酒は飲むし(豚肉は食べない)、その堕落ぶりはトルコ並みか。
いや、中国のモスクはアザーン(お祈りの時間ですよーの放送)すらないのだ。
でもアゴヒゲをフサフサに生やしたおじいちゃんが「ワシは10年前にメッカ巡礼に行ったのじゃよ」と話しみんなからの尊敬を集めているのを見るとなんか嬉しくなっちゃいます。(アゴヒゲはメッカ巡礼を済ませた者の証拠)
中国的少数民族事情
ここまで私の通ってきた道は中国南部の少数民族の居住区、これまでに10くらいの族に会いました。
それぞれの族はそれぞれの服があって(こう書くと特攻服みたいだなあ)女の人は普段からアイデンティティを誇示するかのように民族服を着ているので、見慣れない衣装を見ると、新しい地域に入ったな、と分かります。
ただ少数といっても10数億の大部分を占める漢民族に比べればの話であり、その数はかなりのもんでは?
以前ある族の人に「漢民族とは仲いいのか?どれくらいの人数がいるのか?」と聞いたところ、「民族団結、国家発展」という教科書通りの答えが返ってきて、やはり通りすがりの外国人には本音は漏らせないんだろうなあ、と思いましたが、数については「漢族よりは少ないけど○○族よりは多い」と、ちょっとライバル心も垣間見えたりして興味深いところです。
(写真:広西省トン族)
中国的裏床屋事情
知っている人もいるかもしれませんが、中国の床屋には2種類あって、ひとつはおっさんのやっているフツーの床屋。
もうひとつはピチピチ小姐がミニスカートで迎えてくれる床屋。
以前町を歩いていたら後者の求人広告を見つけました。それには・・・
・年齢18~22歳
・容姿端麗
・歯が揃っていること
・経験不問
結構厳しいです。
でも一応床屋だから髪も切らねばならなく、ガキを練習台にしているのを見かけました。
15分後・・・
あわれガキの頭はデコボコに。結局ママさんが仕上げ直してました。
中国で床屋に行くときは目的を明確にして行きましょう!!
中国的麻雀事情
中国では老いも若きも男も女も4人そろえば即麻雀。
昼飯食ったらおばちゃん電話で4人集めて家の前で野外麻雀。
私も果敢に勝負を挑み続け、始めのころはよく分からない手であがられ負け続きだったのですが、中国的規則が分かってきて最近はトントンの勝負ができるようになりました。
以前中東でバックギャモン習得のためにアラブ人に100連敗くらいしたことを思えば素早い上達です。
ルールは単純で、頭2枚に3×4の組を作れば役など必要なく、ポンしようがカンしようがお構いなし(ただしチーは大陸にはないようだ。台湾にはあるらしい)。
とにかく勝負が早くて流局はありえない。
そして当然金は賭けていて、一勝負(半チャンではない)ごとに、ロンで10元(150円)、ツモれば全員から10元で30元。
なんだ、安いじゃん、と思うなかれ。
庶民の平均月収が1000~1500元の中国では、日本で20万稼ぐ人の2000円に相当する金が一勝負ごとに動くのだ。
以前おばちゃんから50元くらい勝ってしまい、もらうのは悪いので遠慮しようとしたら、おばちゃんのプライドが許さないらしく
「いいからとっときなさい!ただし明日も勝負するから出発しちゃダメだかんね!!」
と言われ翌日見事に100元持ってかれました。
おそるべしおばちゃん。
ただ昔ジャッキーチェンの映画「プロジェクトA」の中で、サモハンキンポーの初登場シーンは麻雀をしているところであり、彼が役満を狙っているのを見て、派手好き・目立ちたがりの中国人は絶えず役満狙いの派手な麻雀をしているものとばかり思っていたのに、まさかポンジャンみたいなショボイ麻雀をしていたとは・・・。
長年信じてきたものに裏切られたような気分です。
中国的道路事情
中国はさすが自転車大国。道路には自転車専用レーンがあってそこを走れば快適です。
道も広く、ゆうゆう人民号とともに快適なサイクリングが楽しめます。
しかしそれは大都市周辺に限ったこと。
田舎の方に入ってしまえばたとえ幹線国道であろうとも山の一部を削っただけのダート道であることが多く、一歩間違えば奈落の底へ。
しかもその道も砂利道ならまだマシなのですが、土道なので車が通れば土埃がもうもうと立ち、湧き水の出るところでは足首まで埋まる泥沼と化し、一日の平均時速が5km/hということもありました。そんな道が300km(1000m峠含)も続いたときはホントにバスに乗ろうかと思いましたね。
僕の外国語覚え方術(番外編)
中国語の場合、下の方法に加えもっと効果的な方法があります。
それは筆談。
多少日本で使っている漢字と意味が違うものがあったり、略され過ぎて不明な漢字があったりするけど下手な英語よりよっぽど細かな感情を伝えることができます。
で、私の場合、筆談中には必ず書かれたものを読んでもらうようにしていました。
また書いた文の中におかしなところがあるときは直してもらうようにしていました。
中国語は発音は難しいけれども、なんとなく日本の熟語の発音と似ているので、アラビア語を覚えるよりははるかに簡単です。
加油!(がんばれ) 再見!(では)
僕の外国語覚え方術(暇人用)
言葉はコミュニケーションの基本。
ほんのちょっとでも現地語を話せば全然ウケが違います。
ここでは私流の現地語マスター術を紹介しましょう。
1.あいさつ!
「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」
最低でもこの3つは覚えましょう。
ガイドブックの会話集の中にも絶対あるでしょう。
向かう飛行機の中で覚えられるはず。
「テシェキュレデリム」(トルコ語のありがとう)
「チェーズティンバッレーカミャ」(ビルマ語のありがとう)
一見覚えにくそうだけど、本を見ながらでもいいから何度も使っていると自然と口から出てくるようになります。
これを言えば相手もきっとニッコリ笑顔を返してくれるでしょう。
これだけなら短期の旅の人でも十分覚えられますよね。
これすら覚えようとしない人はさっさと豚小屋に帰ってウ○コでも食っててください。
2.何言ってるのかさっぱりわからん!
全く未知の言語圏に入ると誰かが話し掛けてきたとしてもベラベラベラ〜と音として聞こえるだけで
質問されているのか怒られているのかすら解りません。
第2段階として「5W1H(いつ、誰、どこ、何、どちら、どのように)」に相当する言葉を覚えましょう。
その単語が聞こえれば少なくとも何か質問しているんだな、くらいは解ります。
「どこベラベラベラ〜」と言われれば、たいてい「どこから来たのか?」か「どこへ行くのか?」なのでどっちか答えればその質問文も解ることになります。
3.もっと語彙を増やしたい!
その辺で遊んでいる中学生か高校生をつかまえましょう。
この辺りの子は学校で習った英語を試したい盛りであり、外人と話したくて仕方がない。
「これは何?」と聞きまくって語彙を増やしましょう。
「寒い」「大きい」などの簡単な形容詞もわかるでしょう。
また、名前・年齢・場所の聞き方なども手に入れましょう。
このときに注意をひとつ。
会話集にもこの手の質問は載っていますが、そちらには「あなたのお名前はなんというのですか?」とか
「ここの地名は何というのですか?」といったような長々とした文章になっているので覚えにくい。
だから、「名前は?」「ここどこ?」みたいな聞き方を教えてもらいましょう。
そのほうが短くて覚えやすい。
4.更に高く!
単語だけを並べると並べるだけでも充分意思は伝わりますが、もっとしっかりした話がしたい人は大学へ行きましょう。
日本のバカ大学生と違って海外の大学生は大変しっかりした英語を話せる人がほとんどなので、そこの大学生をつかまえて過去・未来形、男性女性形、文による変格の仕方、など高度な文法を学びましょう。
聞いたところで覚えなければ意味がない。
私の場合は昨日仕込んだ言葉を紙に書いて、自転車のハンドルに張ってブツブツ唱えながら自転車こいでました。
また、ランダムに時計を見て8時42分なら「八百四十二!」と言う練習をしておけば買い物にも困りません。
こうして1日20個ずつでも覚えていけば1ヶ月もすればそこそこ会話が成り立つようになります。
しかしそれだけやっても「ベラベラベラ〜」と話し掛けられるとサッパリ解らないときがあります。
そういう時は適当に「ウンウン」とうなづいてみましょう。
そのまま話が続けばそれでいいし、もし相手が困った顔や悲しそうな顔をしたときにはあわてて「違った違った、ノーノー」とごまかしましょう。
この方法なら高い金払って留学する必要もなし!
目指せ!マイナー語マスター!!!
中国的色物事情
香港は無法地帯です。
中国本土に入ると合法か違法なのかはわからないけどほとんど見かけなくなります。
でも「大人用品店」というのがあって、コケシみたいなのがズラリ並んでいる店がデパートの中にあったりしてビックリさせられます。
これは「一人っ子政策」の一環らしく、子作り以外の方向にエネルギーを費やすためだとか。
また、おおっぴらに本とかは売られてないけど、裏道を歩いていると「エロVCD映画館」があって入り口には「色情女子痴態暴露」とか「悶絶快楽絶頂交友」とかものすごく観たくなるようなタイトルが並んでいるので観に入ってしまいました。
しかし中身は香港製のしょーもないコメディーエロ映画だったりしてガッカリ。
漢字は罪ですねえ。
ちなみに「キモチイイ!」は中国語で「爽!」。
「爽健美茶」は中国ではかなりきわどいイメージになるらしい。
中国メシうまい!
安そうな小さな汚い食堂があったので入ろうとしたところ、店主はちょうど麻雀の真っ最中。
「お忙しい中申し訳ないですが一品作ってくださいな」と頼むと店主は負けていたようで大変機嫌が悪く面倒くさそうに調理しぶっきらぼうに出してきた。
しかし・・・
ウ、ウマイ!
あんなに適当に作っていたのに!
ながきに渡り滞在した中国を飽きることなく楽しめた理由の一つにこの中華料理のうまさがあるのは間違いないですね。
どんな所で何食べても基本的にハズレがない。
数ヶ月居ても全メニュー食べるのが不可能なくらいバリエーション豊か。
中国人の友達と行けば調理法まで指定して、更にディープな中華を楽しめること請け合い。
でも残念なのは一皿が大量なので一人旅だと一回に一品しか食べられないこと。
やっぱり中華は大人数でテーブルを囲んでいろいろな皿をつつくのが楽しいですよね。
中国人との付き合い方
中国人はとっつきにくいです。
初めて入る食堂・宿では
「何か知らない変なやつが来やがった」といういやな目で見られがち。
でもそこで勇気を出して入り込み、笑顔で自己紹介すると
「おやまあ、よく来てくれたねえ!」
とあたたかく迎え入れてくれます。
再度行けばもう彼らの友達同然。
周りの人に「こいつはなあ・・」と紹介してくれます。
小さな町だとすぐに町中に知れ渡ることとなり、通りを歩けばみんなから
「メシ食ったか?(仲良い人は「ニーハオ」ではなく、これが挨拶となる)」
の、箸で口にかき込むポーズをしてくれるようになります。
仲間入りできたようでちょっと気分いいです。