私が男塾塾長江田島平八であある!!
(以下読みにくいので平文)
先日私の塾生らの通う高校と、私が卒業した中学校の生徒を、数十人レベルで文通交流させるよう計らうことができました。(実際は日本に居る家族がほとんどやったのだが・・・)
日本からの手紙は、まとめてこちらの学校のクラス宛で届いたので、着いたときには「何だ?何だ?キャー!キャー!私にも見せて!そこはダメ!」と狂乱の事態に陥り、死者・重軽傷者・行方不明者合計235人の惨事になったようです。
今その手紙と返信の手紙の翻訳作業で大わらわ、うれしい悲鳴です。
でも説明するときに「この中学は私が18年前に卒業した・・・」のところで「そうか、その時には日本側はもちろん、中国側の生徒も誰一人として生まれてもいなかったのだなあ・・・」とちょっと感慨深いものがありました。
この功績を称え、校庭に銅像が立つのを夢見る江田島平八であある!!
2005年12月15日木曜日
男の夢(日中友好編)
水質汚染
ちょっと前に中国東北部の河に工場排水が流れ込んで大騒ぎになり、それをきっかけに地方役人の腐敗ぶりまでが海外に流れる間抜けな事件があって、ざまあ見ろって感じであったが、それよりはるか前に我が身自身にも災いが降りかかっていた。
5ヶ月前、ここ龍勝に到着してからのこと。
シャワーを浴びた後、普通なら石鹸のいい香りが残るはずのところ、なぜか体から異臭がする。
石鹸が体に合ってないのかと思い、変えてみたが同じ。
むう、これが加齢臭ってやつなのか・・・とブルーになったが、その臭いというのが硫黄(温泉)の臭いで、どうも老齢臭とも違うっぽい。
一体これはどうしたことなのだ?!としばらく奇妙に思っていたある日、その臭いの発生源が、以前インドでもらった銀の首飾りにあることに気づいた。
なんとピカピカだった銀がいつの間にやら真っ黒に変色しているではないか!
それに服も洗濯するに連れ、白いシャツがなぜか少しずつ青く染まっていく。
今では白シャツが青くなっていった、というより、青シャツが色落ちした、といってもいいくらいになってしまった。
私は化学についてはあまり詳しくないのだが、水道水に何か混じっていることは間違いないようだ。
地元民はわかっているのか水道水は決して飲まず、地下水を湧かして飲む。
その地下水も果たして大丈夫かどうかは怪しいもの。
恐いねー。
男の夢(事業拡大編)
私が男塾塾長江田島平八であある!!
1ヶ月の昆明研修を終え、再び元の場所で本業老師に戻ったのであある!
(以下読みにくいので平文)
私の泊まっている宿には数人の服務員(掃除とか食堂で皿洗いしているバイト)がいて、ほとんどが農家出身の、貧しくて高校に行けなかった16-18才の次男坊とか娘。
早朝から夜遅くまでの超激務で、超激薄給。
しかも女主人は、客には愛想が良いがバイトにはハンニャの形相を見せる鬼ババ。
むう、「おしん」の世界そのまま・・・。
そんな過酷な環境で働く彼らからも、わずかの休憩時間を使って日本語を勉強したい、との要望があったので「服務員のための日本語特別講座」(いらっしゃいませ、ご注文は、とか)を開設しました。
もちろん目的は若い娘っ子を手なずけて・・じゃなくて、こんな地元向けのショボ宿じゃなくて、外国人も泊まるようなしっかりした宿で雇ってもらえるようにするためです。
そして「桂林」という世界的に有名な観光地のそばにあるので、ツアーガイドの生徒もできました。
そこで「観光ガイドのための日本語特別講座」(右手をご覧ください、とか)も開設しました。
この調子で更に、
「ビジネスマンのための日本語特別講座」((お世話になってないけど)お世話になっております、とか)
「寿司屋に行くための日本語特別講座」(銀シャリ、オアイソ、とか)
「漫才を見るための日本語特別講座」(いいかげんにしなさい、とか)
「歌舞伎役者になるための日本語特別講座」(いよお、とか)
「日本人と結婚して合法的にビザを手に入れるための日本語特別講座」(君が好きだ!ビザが目的じゃないんだ、とか)
「同性愛者のための日本語特別講座」(そこはダメ、とか)
と事業展開していくつもりであある!!
2005年11月29日火曜日
漢字テスト 第2弾
以下の中国語の意味を答えよ。
<初級>
1.羽毛球 2.将軍腹 3.猫和老鼠(ヒント:「和」は「and」のこと) 4.筆記本電脳 5.愛人
<中級>
6.餅屋 7.加油! 8.李小龍 9.新聞 10.勉強
<上級>
11.卓球 12.麺包車(ヒント:「麺包」は「パン」のこと) 13.大頭貼 14.小人
<解答>
1.バトミントン。
2.太鼓腹・ビール腹。今中国では肥満急増中。テレビではダイエット番組や痩せるための通信販売CMがしょっちゅうやっている。
3.トムとジェリー。中国語版ではトムは「大地瓜(マヌケ)」、ジェリーは「小不点児(チビスケ)」と呼ばれていた。
4.ノートパソコン。
5.旦那・嫁。夫婦が自分の連れ添いのことを話すときに使う言葉。おばちゃんが旦那のことを「私の愛人」と、聞いている方がこっぱずかしくなるようなことを普通に言う。日本で言う「愛人」の意味もある。
6.パン屋・ケーキ屋。中国にも「餅は餅屋」ということわざがあるかどうかは不明。
7.頑張れ!オリンピックなどで中国人の観客が「ジャーヨー!」と叫んでいるのはこれ。
8.ブルース・リーの中国名。中国人に「ブルース・リー」とか「ジャッキー・チェン(成龍)」とか言ってもまずわかってもらえない。
9.ニュース。新聞のことは「報紙」。
10.無理やり、嫌々すること。日本人の「勉強」もある意味嫌々しているのかもしれないが…。
11.ビリヤード。台球ともいう。テーブルテニスのことは「ピンパン球」という。
12.乗り合いライトバン。多分車の形がパンの形に似ているからだと思うが…。
13.プリクラ。
14.つまらない奴。日本に来た中国人が入場料表示で「大人200円 小人100円」とか見たらきっとビックリすることだろう。
<判定>
14-11:あなたの前世は孔子です。
11-8:あなたの前世は諸葛孔明です。
7-4:あなたの前世は鑑真です。
3-0:あなたの前世はゼンジー北京です。
中国ハマリ度テスト
以下の質問の答えがYesならそれぞれ加点・減点せよ。
1.中国(含台湾・香港)に行ったことがある。(+行った回数×10点)
2.行ったことはないが行ってみたいと思う。(+10点)
3.中華料理はフランス料理に勝ると思う。(+3点)
4.餃子といえば当然水餃子だ。焼くなんて邪道。(+10点)
5.2008年のオリンピックがどこでやるか知っている。(+3点)
6.現在の中国の人口がどれほどか知っている。(+5点)
7.「西遊記」「三国志」「水滸伝」「項羽と劉邦」を読んだことがある。(+読んだ本の数×5点)
8.体の調子が悪くなったらまず漢方に頼る。(+10点)
9.今着ているシャツはユニクロ製だ。(+3点)
10.少林寺拳法を習ったことがある。(+10点)
11.女子十二楽坊のCDを持っている。(+3点)
12.上野動物園でパンダを見たことがある。(+3点)
13.麻雀で役満であがったことがある。(+5点)
14.「731部隊」について知っている。(+10点)
15.チャイナドレスを着てみたいと思う。(あなたが女なら+10点、あなたが男なら-20点)
16.山崎豊子「大地の子」を読んで(あるいはドラマを見て)泣いた。(+20点)
17.「中日友好」という文字を見ると「ドラゴンズのファンクラブのこと?」と思ってしまう。(-20点)
18.「中国」という文字を見ると反射的に「広島県」「鳥取県」…と思ってしまう。(-30点)
19.30年くらい前のテレビドラマ「西遊記」で猪八戒に扮していたのは西田敏行だが、続編では配役が代わった。それが誰だか知っている。(+80点)
20.中国国歌が歌える。(+100点)
21.「ブルース・リー」というのは「青三号」つまり「ブルー1(ワン)、ブルー2(ツー)、ブルー3(スリー)」のことだと思っていたことがある。
あるいは「テレサ・テン」というのは「テレサ十号」つまり「テレサ1(ワン)、テレサ2(ツー)…、テレサ10(テン)」のことだと思っていたことがある。(-60点)
22.「知っている中国人」と言われて真っ先に思い浮かぶのはゼンジー北京だ。(-100点)
<注釈>
4.中国に餃子屋はそこら中にあるが、普通水餃子・蒸餃子で焼くのを出すのは極まれ。
5.もちろん北京。
6.公式発表は13億人、実際は14億15億とも…。
14.太平洋戦争中旧満州国で毒ガス兵器を開発していた部隊。未だに中国が日本の戦争責任を追及する最大の要因の一つ。
17.日本では「日中友好」だが中国では「中日友好」という。「早慶戦」と「慶早戦」みたいなものか。
19.左とん平。
22.自称広島県出身なので「中国人」と名乗ってもあながち出鱈目ではない。
<判定>
201点以上:ハマリ度100%!あなたこそ師父(マスター)!今すぐ中国行き片道航空券を買いに行きましょう!
151-200点:ハマリ度80%!師父まであとわずか!一度中国に留学してみてはいかが?
101-151点:ハマリ度60%!あなたなら次の休暇も中国旅行でしょうね。
51-100点:ハマリ度40%!中国・香港にも良質の映画がたくさんあります。お試しあれ。
1-50点:ハマリ度20%!近所のラーメン屋じゃなくて、本格的な中華料理を一度味わってみて下さい。
0点以下:ハマリ度0%!中国とは縁がないようです。来世で会いましょう。
<ちなみに>
自分でやってみたら、左とん平と国歌が効いて292点!
中国でホームステイ
昆明にやって来た目的の一つに、3年前ここらを走ったときに知り合った中国人サイクリスト親子を訪ねることがあった。
引っ越してしまって行方不明になっていることが心配されたが、実際引っ越してしまっていて探し出すのに四苦八苦したものの、何とか再会に成功。
3年振りということで熱烈歓迎祝賀行事目白押しで、結局そのままそちらのお宅に10日間ほどホームステイさせてもらった。
……とここまで書いて思ったのだが、「ホームステイ」と英語で言うと「言葉の勉強と文化交流のためやってきました。オーそうですか!それは遠いところようこそ!」と歓迎ムードいっぱいなのに、これを日本語で「居候」と言ってしまうと「このお呼びでない無駄メシ食いめ、いったいいつまで居やがるんだ。とっとと帰りやがれ!」と、突然肩身の狭い、三杯目にはそっと出すような存在になってしまいますね。
後者にならぬよう努力したいところです。
まあとにかく実際に現地の人と寝起きを共にするとやっぱり学ぶところは多いことを再確認しました。
(写真:連日食べすぎ…)
2005年11月18日金曜日
男の夢(休暇編)
私が男塾塾長江田島平八であある!
塾生たちの本来の学校が中間試験シーズンに入ったのでそっちに集中させるためしばらく男塾は休講にし、雲南省昆明に来ているのであある!
知人がここの大学に語学留学しているので、そのつてを使って中国語講座に参加しているのであある!(モグリ受講なのでタダ)
無論将来の男塾のライバル学校の敵情視察が真の目的であある!
だが・・・
そこでショーゲキを受けたのが、みんな高だか2ヶ月そこそこの勉強でペラペラ中国語を話していること。外国人相手だからといってまったく容赦することのない近所のおばちゃんの爆裂的中国語を必死に聞き取りつつ何ヶ月もかけてやっと身につけた私のレベルを遥かに凌駕していた。
それに教える方もプロだけあって、ポイントを押さえた無駄のないしかも興味の持てる内容の授業をやっている。
自分の話すレベルも教えるレベルもぜんぜんなってなかったのだなあ…と意気消沈。
お、いかん、ショックで言葉が普通になってしまった。
フム!
ここでの体験を生かし、男の夢実現に向けて江田島は更なる精進をすることを誓ったのであある!!
2005年10月20日木曜日
男の夢(その後)
私が男塾塾長江田島平八であある!
開塾以来3ヶ月が経ち、第一期塾生らが日検四級レベルに達したので(たった3ヶ月だけど本当だよ。塾長うんぬんより塾生らの努力と才能による)
そろそろ閉塾し元の旅人に戻ろうと思っていたのであある!
とその時、第2期・第3期塾生希望者が現れたのであある!
「NOと言えない日本人」である私は「次の年越しはラサで」
という目標をかなぐり捨てこのままここで老師生活を続けることを決めたのであある!
という訳で現在は、
正午・学生の部(初級)、午後・社会人の部(初級)、夕方・学生の部(中級)
の三部制でやっているのであある!
言うまでもなく塾生は女性限定であある!
男性が来ても門前払いであある!!!
以下求人広告:
日本語教師求ム。
条件:日本語堪能。漢字が書けること。年齢・国籍・性別・容姿一切問わず。
勤務場所:中国 広西省 龍勝鎮
待遇:時給0円。交通費・必要経費など一切支給せず。
希望者は以下まで。
kazumotomiwa@hotmail.com
2005年9月30日金曜日
タイクツな日々
ここ龍勝は小さな町なので普段これといったイベントがなく基本的に退屈である。
だから火事でも起ころうものなら(実際あった)、めしの最中だろうが、赤んぼが泣き喚こうが、自分の家が火事になろうがとりあえず見に行かねば損だ!とばかりに大騒ぎになる。
そんなこの町で先日、町内バスケットボール大会に毛の生えたようなイベントがあった。
それでも滅多にない貴重なイベントなので開会式には獅子舞が出たり、民族舞踊があったりと主催者の気合が感じられる。
試合そのものは取りたてて述べることはないのだが、試合開始・終了の合図に「ジャーーーーーン!!!」と銅鑼が鳴らされたのがいかにも中国的。
表彰式の小姐がチャイナドレスだったのもGood!
中国バンザイ。
生日快楽
先日33歳の誕生日を中国で迎えました。
今年は女子高生に囲まれ祝ってもらい、幸薄き私の人生で最良の誕生日になりました。
塾生らが買ってきてくれた大きな誕生日ケーキは見た目も素晴らしいですが、味も見た目通りものすごく甘くて、甘党の私ですらウップとなるくらい。
でも塾生らも「甘すぎる」とブーブー言っていたので私の味覚はまだ狂っていないようです。
つまるところ何が言いたいかというと、ただの自慢です。
失礼いたしました。
漢字テスト
以下の中国語の意味を答えよ。
<初級>
1.麻雀 2.酒鬼 3.手球 4.平頭 5.雪人 6.火車 7.空中小姐
<中級>
8.手紙 9.自来水 10.太太 11.老婆 12.宝宝 13.百姓 14.手機
<上級>
15.暗算 16.三明治 17.一級方程式 18.巴西 19.黄色書 20.熊猫
<解答>
1.すずめ。マージャンは「麻将」と書く。
2.のんべえ。のんだくれ。
3.ハンドボール。「足球」はサッカーのこと。
4.角刈り。中国男性オフィシャルヘアスタイル。
5.雪だるま。
6.鉄道。
7.スチュワーデス。
8.トイレットペーパー。Letterのことは「信」と書く。
9.水道。
10.嫁さん。中国語の「太」にデブの意味はない。
11.これも嫁さん。謙譲の精神??
12.赤ちゃん。子は宝ですね。
13.一般庶民。もちろん放送禁止用語ではない。
14.携帯電話。
15.計略にはめること。中国で「暗算が得意です」と言うと友達を失います。
そらで計算することは「心算」という。
16.サンドイッチ。音の当て字。「サンミンジー」と読むのだが・・。
17.F1。フォーミュラワンの直訳ですね。
18.ブラジル。これも音の当て字。「バーシー」と読むのだが・・。
19.エロ本。中国のエロは桃色ではない。
20.パンダ。
<判定>
0-1:合格可能性20%以下。受験校の再考を要する。
2-4:あなたは横浜の中華街に行ったことがありますね。
5-7:あなたはチャイナドレスを着ている人に興味がありますね。
8-10:あなたは「少林寺三十六房」を見たことがありますね。
11-13:あなたは少林寺で修行したことがありますね。
14-16:あなたはサモ・ハン・キンポーですね。
17-19:あなたは毛沢東ですね。
20:一度専門の医師に看てもらうことを勧めます。
2005年9月13日火曜日
最近の生活
私は今中国南部の龍勝という、端から端まで歩いて30分もかからない小さな山間の町にいます。
すでに2ヶ月近く経とうとしていますが、そんな何もない町で一体何をしているのだ?!と言う声は聞かないけどこっちから先に報告させていただきます。
無論最大の目的は日本語を教えることなんですが、それは夕方2時間(今は1.5時間)にすぎません。
まず午前。
今日やる授業のためのプリント作りと合間に話す小ネタ作り。
飽きられないような、難しくなりすぎないような、しかも有効で効率的な内容を考えるのは大変な作業ですが大変面白くもあります。
私のやっていることには「人生を教える」ようなことは含まれないのでその分お気楽ですが、本物の教師というのは更に大変な仕事なんだろうなあ、とつくづく感じさせられました。
午後は自らの中国語上達のための実地訓練。
といってもただその辺の暇そうな人と喋るだけです。
宿には喋り好き・世話好きのおばちゃんがいて、私の話す言葉をいちいち直してくれて大変ありがたく思っていたのですがその言葉はどう聞いても普通話(共通語)ではない。
この辺りの方言(桂林話)かな?と思っていたら更にそれを通り越して少数民族トン族の言葉でした。
という訳で最近は日・中・トンのトリリンガルです。
夕方は日本語のお勉強会。
そして夜はみんなでテーブルを囲んでの夕食です。
この前までは夏休み中で、バイトの若い人が住み込みで何人か働いていたのでよい話相手になってくれていたのですが、9月に入って皆復学してしまったため、話相手がいなくなり暇になってしまいました。
そこで老板(ボス)に「何か仕事を手伝わせてくれ」と頼み併設されているレストランの服務員になりました。
さっそくもっとも忙しい接客部門にまわされたのですが、客のオーダーが聞き取れないという致命的欠陥があることが判明、わずか30分でクビ。
皿洗い兼掃除という誰でもできる部門に配置され今に至ります。
報酬は夕食無料招待。
その夕食は主にその日の残り食材で作られるので客の入りが悪いと魚ドーンの豪華食卓になるのですが、忙しい日には菜っ葉と肝だけの鍋だったりして巨大ポリバケツいっぱいに捨てられていく客の残飯(ブタの餌になる)の方がはるかに美味そうに思えることもあります。
こんな感じで毎日やってます。
6月6日にUFOが・・・
よく行く食堂で、おばちゃんが問う。
「あんたこの町に2ヶ月近くもいるけど一体何してんの?」
私答える。「フフフ、よくぞ聞いてくれました。私はここで日本語『会話』を教えているのだ。しかも無料で。」
おばちゃん「アイヤー!それなら私達にも教えてちょーだいよ!」
私「もちろん歓迎光臨!」
そして数日後、本当におばちゃんはやって来た。
息子を連れて。
ちょうどその時授業中だったので、取り合えず今日のところは見学してもらうことにして2人を部屋に招き入れて内容の説明をする。
しかしなぜかおばちゃんらは「?」顔。
私の発音が悪いのかと思い、塾生に説明を頼む。
しばらくやり取りした後、おばちゃんと息子は恥ずかしそうに「ゴメンゴメン」と言って出ていってしまった。
塾生が「あのおばちゃんはここを『絵画』教室だと思って来たらしい」と言う。
なんでそんな勘違いが起きたのか塾生らも腑に落ちない様子で「おばちゃんになんて説明したの?」と聞く。
「ただ『会話』を教えている、と言っただけなんだけど・・・?」と話すと塾生一同「それだ!!!」
聞けば「会話」と「絵画」は「hui(下がりぎみ)hua(下がりぎみ)」でまったく同じ発音。
そこで勘違いが生じたようだ。
いわれて初めて気がついた。
中国語の一文字が持つ発音は約400種。
それぞれに4種の抑揚があるので計1400種(ない発音がある)。
漢字2文字の組み合わせとなると単純に計算して
1400×1400=約200万通り。
わずか200万分の1の偶然に出くわすとは・・・。
おばちゃんゴメンネ。
お詫びの印に、今度日本の代表的絵画手法である「ドラえもんの絵描き歌」を伝授しようかと思っています。
まるかいてチョン!
タコ社長
情報の出所は忘れてしまったのだが、外国人(この場合は欧米人)が日本の文化を勉強しようと思い「男はつらいよ」を見たときに、必ず驚くことがあるという。
それは夕食のシーン。
寅さん達がちゃぶ台を囲んでいるところへ、ひょっこりタコ社長がやってくる。
すると寅さん「おうタコ社長!一緒にメシ食ってきやがれってんだべらぼうめ! 結構毛だらけ猫灰だらけ!」
タコ社長「はあ、それじゃあ遠慮なくお呼ばれしていこうかね」
・・・・・・
欧米人から見ると、明らかに食事をしているだろう時間帯にアポもなく訪れる失礼さもさる事ながら、それをあっさり受け入れてしまうというおおらかな文化に驚くらしい。
欧米では前もって日時を決め、招く側も招かれる側もそれなりの準備をして、というのが常識的であるからだ。
しかし残念ながら日本のこの古き良き文化も今ではほとんど絶滅してしまった。
でも!
中国の田舎ではまだしっかり健在であった!!
最近の夕食は毎日宿の一家と一緒にテーブルを囲んでいるのだけど、固定メンバー7人の他に、毎日必ず3・4人は部外者が混じっている。
それは親戚だったり、近所の人だったり、友達だったりで、つまり偶然そこにいた(あるいは来てしまった)人は何の遠慮もなく仲間に入れてもらえる訳だ。
中国の食事は大皿に盛られた料理をみんなでつつく方式なので数人増えようが、茶碗と箸を準備するだけでよくまことに都合がよい。
そしてこの輪に入れてもらえた時が中国を旅していて一番喜びを感じる時でもあるのだ。
2005年9月8日木曜日
ゆとり教育
長い旅のせいで少々のことには動じなくなってしまった私であるが、最近久し振りにビックリタマゲタことがあった。
それは中国の教育スケジュールである。
うちの塾生らは、公立高校普通科の2年生なのだが、一日の授業は朝7:30から夜10:00まで。
うち昼と夕方に2時間ずつの食事休憩があるが実質はそれでも一日10時間授業・・・。
(日本語はその夕方休み中にやっている)
さらに驚くべきは、何と週休0日制!!
ただ土曜だけ夜の部がなくなる。
それ以外は一週間ビッチリ時間割は埋まっている。
週67時間、一ヶ月約300時間・・・。
年度末には2ヶ月の夏休みがあるが、うち40日は補講期間となり上記と同じスケジュール。
あとは旧正月と秋に数日ずつの休みがあるだけ。
日本では「ゆとり教育」とかでどんどん授業時間は減っていく傾向にあるのとはまったく正反対の教育方針。
どちらの方式が果たして有益なのか?
答えは20年、30年後に出るのかな?
2005年9月1日木曜日
犯人は誰だ?!
私は今中国の100元札(=1300円)の偽札を持っている。
100元の偽札は国内に相当蔓延しているようなのだが、最高額紙幣がこの100元札なので、銀行で両替したとき以外は入手する機会はないはずだから自分とは無縁の話だろう、とまったく油断していた。
(銀行も信用ならん、という話も聞いたことがあるが・・・)
しかし金儲けしていなくても実際中国を旅すると100元札を入手する機会は結構ある。
というのは多くの中国の宿ではデポジットを必要とするので、チェックアウトの時の返金に100元札を受け取ることになるのだ。
私はまさにこのパターン(広州のユースでやられた!)。
国が保証して正札と取り替えてくれる、ような甘っちょろいことは中国ではしてくれないので一度手に入れてしまったら、ババ抜きの要領で誰か他人に押し付けるしかない。
しかしあまりにも有名なために誰もがこれでもかというくらい執拗にチェックするのでとても使う機会が見つからない。(一見わからないのだが、よくよく見るとかなりアラが目立つ)
つまりババ抜きといっても、中国人には裏の透けてみえるトランプで勝負しているようなものなので勝てるわけがない。
負の土産として諦めるしかなさそう。
恐らくチェックすることのない、チェックの仕方も知らない外国人は格好のターゲットだろう。
ここでフト思う。
偽札を作って儲かるのは果たして誰か?
狭い目で見れば、もちろん偽札を作った人らである。
しかし広ーーい目で見てみて、私のような愚かな外国人の手にすべて集結しているとすると・・・
これはほとんど元手のかからない外貨獲得になっているではないか!!
そうか!わかった!!
犯人は中国政府だ!
ここの政府なら涼しい顔してこれくらいのことやるね、絶対。
(写真:上が真札、下が偽札。左下の「100」の位置や右端の番号の位置が違うのはバージョンの違いによる)
2005年8月22日月曜日
日本人の利点
日本人が中国人やその他多くの国の人に比べて、得だなー、と思う点は例えばちょっとアルバイトするだけで(他国に比べて)莫大な金が手に入る、世界中ほとんどの国のビザが簡単に取れる、などが挙げられる。
しかし今日本語を教えていて切に思うのは、この日本語という恐ろしく難解な言語を、誰もが全く苦労することなく自然と身につけてしまえる、ということこそ最たる利点ではないだろうか。
過去形について教えていたときのこと。
江田島:私が江田島平八であある!!
過去形は語尾を「た」にすればよいのであある!!
応用例!あなたは昨日何を食べたか?
塾生:私は昨日魚を食べました。
江田島:それは美味しかったか?
塾生:はい、それは美味しいでした。
江田島:いや、その場合は「美味しかったです」というべきであある!
塾生:でも塾長、過去形は語尾を「た」にするのでは?
江田島:こ、これは形容詞の過去形に丁寧語の「です」を
つけたものだからこれでいいの。
塾生:じゃあ、形容動詞の場合は?
形容詞と形容動詞の違いって何?
動詞とは述語のことじゃないの?
動詞とかは述語になるけど名詞とくっつくと主語になるのはなぜ?
動詞の活用形の見分けかたは?
文節と単語って何が違うの?
そもそも動詞とかはなんで活用しなければいけないの??
江田島:ううんと、えっと、それは、実に、かくかくしかじか、
つまり、何といいますか・・・・・・
はいっ、今日の授業はここまで!
あとは各自教科書を読んでおくように!
クレヨンしんちゃん
クレヨンしんちゃんは中国でも「蝋筆小新」という名でテレビや漫画で人気者。
我が「男塾」の塾生も大ファン。
そのためベトナムに来た家族に、彼女らへのお土産として日本製の「クレヨンしんちゃん」を頼んでおいた。
そのベトナムから中国への帰路にて。
国境を越えてしばらくで、バスは検問のため停車。
車内に能面ヅラの公安が5人ばかり入ってきて
「今から全員の荷物検査をする」
私の番になり、ザックの中に詰められた小袋一つ一つの中身を説明してゆき、ある袋に手がかかったとき私は叫んだ。
「それは気をつけて!!」
危険物かと一瞬身を固くした公安が開けた袋に入っていたものは、
そう、「クレヨンしんちゃん」。
中国語で「気をつけて」は「小心」。
そして「しんちゃん」も「小新」で、発音は完璧に同じ。
このしょーもないダジャレに能面公安も苦笑してしまい、場は一転和んだものに。
あとで一緒にバスに乗っていたフランス人からも
「あの中国公安を笑わせるとは!ブラボー!ブラボー!」と大絶賛。
鼻が1cmほど高くなりました。
2005年7月21日木曜日
男の夢
数日前まで私は肩書き無き一介の風来坊でしたが、現在は何と「日本語教師」です。
3年前今いる町を訪れた時に知り合った少女たちは、今や華の女子高生。
その彼女らが日本語を教えてほしい、と言ってきたので日本語塾を開設したわけです。
一日2時間ずつ、日-土まで毎日。
授業料はもちろんタダで、教科書を買ってあげたり、授業後みんなで食事したりするので、台所は真っ赤っ赤に燃え上がっていますが時々塾生の家で夕食をごちそうになったりするので大丈夫です。
現在生徒は4名。
宿の部屋に招いて細々とやっています。
が、将来的には日本語検定一級合格率99%(バカは受験させない)、中国各都市に支部を置く巨大学校法人にしようと考えています。
ちなみに塾名はズバリ「魁!男塾」。
塾生には私のことを「江田島平八(ジャンティエンタオ-ピンバー)老師」と呼ばせています。
2005年7月13日水曜日
三年大昔
今私は3年前にこの旅を始めた時と全く同じルートを走っている。
当時お世話になった人々にもう一度会うためだ。
会った瞬間に思い出してくれる人、説明して思い出してくれる人、当時の写真を見せてやっと思い出してくれる人、いろいろいるけど、皆一様に喜んでくれ、歓待してくれる。
その笑顔を見るだけでも、厚い中ヒーコラ自転車漕いでやって来た苦労が報われる。
ただ今中国は大発展期にある。
3年前とは町の様子が跡形もないほどに変わってしまっていたり、新しい町が丸々一つ出来ていたりする。
古い建物は容赦なく壊され、ボロ宿が豪華ホテルに生まれ変わっていたりする。
そのためせっかく訪ねて行っても、たった3年間なのに当時を知る人が全くいなくて虚しく引き上げることもあった。
今の中国にとっては3年は一昔どころか大昔なのだ。
水は流れてどこどこゆくの
6月、中国南部に大豪雨。
テレビでは最も被害の大きかった梧州という街を中心に
「200万人が家を失う100年に一度の大洪水」
と、気象庁の偉そうなオッサンが言っていた。
のち、その梧州を通ったが、街は2階まで水浸しで1階の店舗はほぼ壊滅していた。
この街は3年前にも訪れているのだが、実はその時にもこの街は大洪水で沈んでいて、私も実際その被害に遭っている。
私の記憶が正しければ、その時にもテレビでは「100年に一度の大洪水だ」と気象庁の偉そうなオッサンが言っていた。
この偉そうなオッサンの言うことが本当に正しければこの先200年はこんな大洪水は起こらないことになるね。
梧州、今が行き時だよ!
いらはい!いらはい!!
余談になるが、「200万人が家を失った」と報道されたわずか2日後。
テレビでは被災者にせっせと救援物資を手渡す人民解放軍の姿。
党の幹部らしき偉そうなオッサンが
「被災者の全ての生活は無事保障できた。問題は解決した!」
と誇らしげに語る姿。
被災者のジイさんが「本当に助かりました。ありがとうございます。」
と明らかに書かれた紙を棒読みする姿が映っていた。
国家機密
広州のユースホステルは、その昔、列強が中国に進出した際の玄関島(長崎の出島みたいな)にある。
そのため各国領事館が今もそこにあるような所だ。
そこを同宿のナイジェリア人と歩いていた時のこと。
一人の中国人女性がトコトコと寄って来てそのナイジェリア人に手紙を渡した。
おいおいこんな所でラブレターの手渡しかい?!
しかし部屋に戻って中身を読んでみてビックリの内容。
その文面は中国語で書かれていたのだが…
「私は広州○○大学核研究所の教授です。
ここは保管状態が極めていい加減で、度々危険物が盗難に遭います。
犯人はおそらくこの大学の卒業生です。
警察に訴えても動いてくれず、逆に察知されて犯人に食事に毒を盛られそうになりました。
犯人は○○食品(中国で有名な大食品会社)にその毒をばら撒く危険性があります。
親愛なる正義感あふれるアメリカ大使館に訴えます。…」
つまりこの手紙の主は、我々が偶然アメリカ領事館前をフラフラ歩いていたのでナイジェリア人をアメリカ人の黒人だと勘違いし、渡してしまった訳だ。
何というトンマな…。
しかし事は重大である。
ちょうど同室にはアメリカ人旅行者がいて、彼に領事館へ持っていくよう言ってみるとコイツが典型的なアジア人蔑視型人間で
「そんならちょうど中国の人口が減っていいじゃん」
と相手にもならぬ。
して、そのナイジェリア人は
「こういうのはうちの国で申し出れば賞金がもらえるんだ。だから国へ持って帰る」と言う。
密告制度のことだろう。
しかし全編中国語で書いてあるこの手紙を果たしてナイジェリアでどうしようというのか??
中国人の皆さん、もし広州を中心に毒物混入事件が起こったならそれはバカアメリカ人とアホナイジェリア人に強く言えなかった私の責任です。
ゴメンナサイ。。。
(写真:そのナイジェリア人、その後元気か?)
2005年6月24日金曜日
警戒水位
広州は連日土砂降り。
私の宿のある地域は低地にあって、川の水位が上がると真っ先に浸水する。
先日は上流でダムが大放水し、1階ドミトリーの住人は4階のトリプルへ移動になった。
ラッキー。
広州は河口に位置するので、濁流押し寄せ、家が流され…という洪水ではなく、じわじわと水位が上がり、いつしか水浸しになって、そしていつしか水が引いている、といった感じの洪水なので街中は比較的のんびりしている。
腰まで水に浸かって記念撮影する若者とか、サドルのすぐ下まで水に浸かりながらも自転車こいでるオバさんとか、釣り糸たれているジイさんとか。
中国4千年の歴史の雄大さを感じてしまった。
食は広州にあり
(このコラムは毎度おなじみの白人悪口コラムですので、白人の方、および白人フリークの方は読むのをご遠慮ください)
身分不相応の中国大酒店から、身分相応のユースホステルに移った初日のこと。
入ったドミトリー8人部屋には私以外全員白人(アメリカ人多し)。
話の流れで皆と一緒に夕飯を食いに行くことになってしまった(本当はいやだったが我輩の辞書にNOの文字はないので)。
どうせスパゲティーでも食いに行くのだろうと思ったら、意外にも中華へ。
でもそこは英語メニューのあるような外人向けの店なのでローカル店の3倍ぐらいの値段。
高いなー、とは思ったが人数がいるのでいろいろな料理が食べられるからまあいいか、と納得し、他の人が何を選ぶか聞いてみた。
するとなんということか!
皆ソバとか粥とかを注文するではないか!
まあこの点に関しては、白人が料理をシェアするするという事が嫌いであり、2人の白人がそれぞれ大盛りのチャーハンを一皿ずつ頼んで食ってる、しかも食いきれずに残す、という真に滑稽な姿をよく見ていたので納得できないでもなかったが、さらに驚かされたのは皆「肉抜き」を頼んでいたことだった。
どうやら「SARS」を恐れてのことらしいのだが「食は広州にあり」といわれるこの地で、何も病人食のような菜っ葉だけの浮いたソバなんか食わなくても…
以上のことは超健康志向の彼らの性格を考慮し、2億4千万歩譲って納得してやろう。
それにしてもこんな少量の飯で彼らは満足できるのだろうか??
疑問は部屋に戻ってから解けた。
満たされぬ腹をポテトチップスとコーラで満たしていたのだった。
私は包子(肉まん)を食べるために一人夜の街に出た。
肉汁滴るそれをかじりながら思った。
「丈夫な子に育ちやがれ!!」
2005年6月21日火曜日
反日デモ
数ヶ月前から新聞紙上をにぎわしている中国各地で起こった反日デモ。
かなり長引く状況に、行く前は相当ビビっていて、しばらく延期するか…とも考えたのだが結局来てしまった。
ここ広州も激しいデモのあった都市の一つ。
街に出て食事や買い物をするとき中国語を駆使し、日本人と悟られぬよう試みるが…。
一秒で外人とばれてしまう。
「アンタどこの国の人?」
「に、日本なんだけど…」
「なんだあ、ヤップン(広東語で日本のこと)だったのかあ!
ようこそようこそ!日本大好き!一度行ってみたいなあ!」
あ、あれ??
日本に対する激しい抗議デモはいったい??
大使館や日系企業への投石は??
そういうことがあったのは事実。
でもそうでない方が大部分。
今年のGWは一万人以上が中国旅行をキャンセルしたとか。
SARSの時もそうだったが、日本人は報道に過剰に反応しすぎのような気が…
まあこれはオイルショックのトイレットペーパー以来の日本人の特性なのかも。
禁臭席つくれ
その中国大酒店での朝。
朝食ビュッフェ、すがすがしい朝を満喫しようと、窓側の禁煙席に座り納豆ご飯などをいただいていた。
そこへどやどやと白人おばさんの一団が来て私の周りに座った(AirFranceのクルーだった)。
すると辺り一帯からシャネルの5番と6番と7番と8番と9番と10番と11番を混ぜたようなすさまじい香水臭がたちこめ、納豆臭をもかき消す、まるで芳香剤の充満したトイレの中でメシ食っているような状態になってしまった。
今日も一日頑張るぞっと。
星星星星星
広州で働いている知り合いの方に、前もって向かうことを伝えておくと、
「豪華ホテルに泊まらせてやるぞ!ドーンと来い!」
とおっしゃるので、ドーンと向かった。
予約されたのは広州一といわれるマリオット系の中国大酒店。
「大酒店」と聞いたときからイヤーな予感はしていたのだが、現実はそれを上回っていた。
広州到着。
ホテルを探し、一般道からロビーへ向かう進入路に入ったとたん、サッと警備員が道をふさぎ、
「ここはお前のような貧乏人が来るところじゃねーんだ!すぐさまうせろ!」
「私は客で、もう予約も済んでいます」
といくら言っても
「とにかく出て行け!すぐ消えろ!!」
何とかそこは切り抜けロビー前まで来たが、再び3人の警備員がダッシュで駆け寄ってきて
「何だテメーは!さっさと出て行け!今すぐ出て行け!!」
と猛烈な勢いで怒鳴り散らす。
いくら説明してもまったく聞く耳もたず。
取り付く島もない、とはこういう状態のことを言うのだろう。
玄関前でモメているのを見た英語のできる人が来て、日本旅券をちらつかせてようやくのこと納得してもらえたのだが…。
資本主義っていやですね。
マルクス万歳。
2005年6月14日火曜日
香港に来ました
シンガポールから香港に飛んできました。
今回は50kgの預け荷物、何の文句も言われず一発フリーでした。
グレイトキャセイパシフィック!
ここは3年前、旅をスタートさせた出発の地。
振り出しに戻ってきたわけです。
ここで中国の1年ビザを取りました。
過去2回のチベット、いずれもビザ期限に追われ逃げるようにネパールへ下りていたので今回はゆっくりと移動できそうです。
まずは西へ、雲南を目指します。
さらばシンガポール
シンガポール在住の皆さん、及びシンガポールフリークの皆さんには申し訳ないですが、シンガポールははっきり言ってつまらない。
空港を出て「いやー、外国にやって来たなあ!」という感激の度合いを例えばインド・エジプト辺りを100、日本を0(自国なので)とすると、シンガポールは「2」程度だろう。
街並み(日系デパート多し)、人々の顔つき(中国系多し)、交通(日本車多し)…。
私の場合、旅の途中、しかもインドからの渡航だったのでそれまでとあまりに違う世界にそれなりに驚きもしたが、日本からここだけのためにやってきた人は果たしてどう感じるのだろうか?
そんな訳でまあ特に感想もなくこの国を去ることになるだろうな、と思っていた最終日の地下鉄で。
私の横にインド人の少女が座っていた。
ある駅で中国人のおばあちゃんが乗ってきた。
するとすかさずインド人少女はその中国ばあちゃんに席を譲った。
降りる時おばあちゃんはその少女に何度も「謝謝」と言っていた。
彼らの元々の国(インドと中国)ではまずお目にかかることのできない光景である。
さすが文化もマナーも先進国シンガポール、ちょっと心が温かくなったような気がした。
J・A・P!
シンガポールでは観光らしきことはせず、特に目的も決めずブラブラ歩いているだけで何かしら無料イベントとかやっていてそれなりに楽しめた。
だが一ヶ所だけ自ら望んで行った所がある。
それは太平洋戦争当時の日本軍の作った俘虜収容所跡地に建てられた博物館。
小さな建物だが、中には日本兵の行った捕虜への残虐な行為を数々の写真(さらし首とか銃殺とか)で示してありブルーな気分になる。
しかし以前韓国の同様の博物館でもかなりブルーになったが、ブルー度はいまいちである。
どうしてかな?
少し考えてわかった。
あれは「韓国に建てられた韓国人による韓国人のための博物館」だった。
しかしここは「シンガポールに建てられた英国人による英国人のための博物館」であり、多数の被害者を出したはずの地元中国人やマレー人、インド人は無視されていた。
展示物の中に日本軍を風刺した漫画があるのだが、ビックリしたのはその説明文で
「路面電車の出口から小便をする"JAP"」とか
「夜な夜なジキジキハウスで楽しむ"JAP"」とか
「戦争初期は太っていたが末期はガリガリになった"JAP"」とか
とにかく『JAP』のオンパレードなのだ。
いくら日本軍の悪行の博物館とはいえ、公共のこの場で「JAP」連発はあまりに酷いのでは…。
日本で政治家がたとえ弾みでも「バカチョンカメラ」とでも言おうものならテポドンが200発ぐらい飛んできそうなものだが…。
日本大使館は抗議できないのかな?
戦勝国の優越感+敗戦国の引け目+日本独特の遠慮。
おそらく永久にこのままだろう。
入り口に掲げられたスローガン。
「忘れてはならぬ。ジャップの行為を。」
2005年6月7日火曜日
幅5mmの攻防
9年5ヶ月前に作ったパスポートの期限が迫ってきた。
このあと中国の1年ビザを取りたいと思っているので、ここシンガポールで更新の手続きをしなくてはならない。
日本大使館のパスポート窓口で順番を待つ。
ハンコの並んだパスポートをペラペラやりながら9年5ヶ月前の東京有楽町のパスポート発行センターでの出来事を思い出していた。
春休みの学生旅行シーズン前のため大行列ができていた。
随分待たねばならなかったがやっと順番が来て必要書類と写真を差し出した。
すると窓口の男は写真に定規を当てて冷たく言った。
「頭の上の空白が4mmしかなく『1mm』足りませんね。駅前で撮り直してきてください。」
ウブだったオレは体制に反抗する、というすべを知らず、なぜ1mmくらい…と思いながらも言われるままに写真を撮り直していた。
しかしその反抗の思いは表情に現れていた。
今自分で見ても「これは本当に自分か?!」と疑うようなムッとした顔で写っているのだ。
おかげで時々各国の入国の際、本物と写真の顔をかなり比べられる。
話は現在のシンガポールに戻る。
あの時と同様、手には必要書類と写真。
その写真は前にバングラデシュの写真館で撮ったものだったがどう見ても頭の上の空白が3mmくらいしかない。
順番が来てオレはそれを差し出した。
係の女はやっぱり写真に定規を当てシブイ顔をして言った。
「ちょっと上の空白が…」
だがオレはもうあの時のようにウブではない。
都合30カ国以上、10年のうち4年間は海外にいて、幾多の困難をくぐり抜けてきた旅のプロだ、猛者だ、達人だ、つわものだ、やり手だ、巧者だ、老師だ、先生だ、ティーチャーだ、マスターだ、導師だ、グルだ。
オレはニコヤカな笑顔で言った。
「そんな固いこと言わないで下さいよ」
女は「ちょっとお持ちください」と言って奥へ入っていった。
上司に相談しているのだろうか。
そして戻って来た彼女もニコヤカに言った。
「これでも大丈夫です」
旅は人を一回りも二回りも大きくさせるものだ。
(写真:旧パスポート)
マーライオン
旅人の間で語られる話の中に「世界3大ガッカリ」というのがある。
これは、有名なのでわざわざ見に行ってみたが、あまりの小ささにガッカリさせられるもの、のこと。
その一つがシンガポールのマーライオン。
見に行ってみたが、「小さい小さい」と言われ続けてどんなに小さいものか期待してしまったため、それなりに大きくて逆の逆にガッカリさせられてしまった。
ちなみに残り2つのガッカリはコペンハーゲンの人魚姫像とどこぞやの小便小僧、というのが定説だが、エジプトのスフィンクスとかオーストラリアのオペラハウスという人もいる。
(写真:高層ビルに囲まれますます小さく見える…)
タバコの吸いすぎは体に毒です
シンガポールの物価は日本の半額程度で、香港並み、といった感じか。
税率のせいだろう、酒は日本と同じくらいの値段。
更に凄いのがタバコで、一箱700円もする。
凄いのは値段だけじゃなくて、各パッケージには
「タバコを吸うと肺が真っ黒になります」と書かれた肺の写真とか
「歯茎がヤニで真っ黒です」の口内写真とか
「母体がタバコを吸うと胎児が死にます」の赤ちゃんの写真とか
「肺ガンになるとメチャ苦しいです」の手術中の写真とか
「家族は大迷惑です」の吹かすパパと苦しがる妻と子供の写真とか。
かなりエグイ写真のオンパレードで、パッケージコレクター及び人体写真コレクターにとっては収集家魂をゆすぶられること間違いなし。
たとえ一箱700円でも買い揃えずにはおれないだろう。
シンガポール政府のタバコ政策アッパレなり。
ショッピングと私
シンガポールの街。
デパートにショッピングコンプレックス。
世界各国の味が楽しめるレストランの数々。
東京と全く変わらない。
いや、加えて中華街、アラブ街、インド街。
東京以上の密度でありとあらゆるものが揃っている。
日系デパートもある。
地下には巨大スーパー。
日本コーナーには醤油・味噌・お茶にお菓子。
何でもある。
でも。
店内をくまなく眺め歩き、たこ焼き・寿司・牛丼の並ぶ食堂街をやり過ごし、結局何一つ買うことなく出てしまった。
別に何を欲しいとも食べたいとも感じなかったのだ。
その後中華屋台でそばをすすりながら、自分では思いも寄らぬ自分自身の行動に自らが一番驚いていた。
長い旅の中にいたせいで頭のネジが一本抜けてしまったのではないか?
もう日本の生活には馴染むことが出来ないのではないか?
本気で心配になった。
だが。
そんなはずはないのだ。
だってついこの前までいたインドではカレー地獄の毎日にとりあえず何でもいいから他の味付けのものが食べたい!
と思い続けていたし、お菓子屋に並ぶスパイシー味だらけのポテトチップを見てはイカ姿フライ(5枚100円)や歌舞伎揚げの味を思い出し、口内に唾液をためていたのだから。
しかし。
このように「そんなに言うならこれでどうだ!文句はねーだろ!!ドドーン!!!」
と並べ立てられてしまうと、目移りして、クラクラして、もうそれだけでお腹いっぱい、勘弁してください、となってしまったようだ。
きっと。
西チベットのど真ん中にたこ焼き屋台がポツンと一軒あったなら、側にテントを張り10連泊してたこ焼きを食べ続けたことだろう。
バングラの片田舎に「寿がきや・バングラ片田舎店」があったならビザを延長してでも毎日通って肉卵入りラーメンを食べ、食後にはクリームぜんざいを注文することだろう。
(名古屋の人しか分からんネタでスマン)
手の届くところにないからそれが買いたくなる。
購買欲とはそういうものなのかも。
罪と罰
以前バングラデシュで会ったシンガポール人の友人が空港に迎えに来てくれた。
再会を祝し、彼のために買ってきたバングラタバコで一服しようとバッグから取り出した。
すると彼が「ダメだダメだ!しまうのだ!」と血相変える。
聞けばシンガポールはタバコの持ち込みは一切免税されず、町中で海外製品を吸っていると警察ににらまれるらしい。
服をあまり身につけていない人の写真がいっぱい載っている本も持ち込み禁止らしく、なぜだか私の鞄にはそんな本が入っていたりして、もし税関チェックがあったらヤバイところだった。
シンガポールといえば、ゴミポイ捨てには多額の罰金とか、麻薬持ち込み即死刑とかは有名だが、まだまだ私の知らないルールがいくらでもありそう。
道徳に反するような行為、他人が不快に感ずるような行為にはどんな罰が待っているか分からない。
エスカレーターの右側を塞いだら逆さ吊りの刑、
ガラスを爪でキーとやったら両腕切り落としの刑、
エレベーターの中で屁をこいたらムチ打ち100回の刑、
会議中に欠伸をしたら36ヶ月50%給料カットの刑、
なんてのもあるかもしれない。
いやはや、小心者にとっては心臓に悪い国ですな。
そして奇跡は起こった
もう一台のカメラは長年愛用しているオリンパスのミュー・ズーム。
いわゆる普通の「バカチョンカメラ」というやつだ。
3ヶ月前インドのホーリー祭の時。
この祭りは色水をぶっ掛けあう狂った祭りである、というのは以前ここに書いた。
その色水はプラスチック製品や衣類に強力に浸透してしまって色が取れなくなるので宿の屋上で色水を掛け合う前に、ビニール袋の中にカメラと身に着けていたお守りの品々を外して入れておいたのだ。
ビシャビシャギャーギャーやっていたその時、一匹の大きなサルがノソッと寄って来てその大切なビニール袋を強奪してしまった。
ワーワー追っかけてもサルは屋根から木へとヒョイヒョイ飛び移ってしまって手が出せない。
サルは悠々と袋の中を調べるが、食べ物がないと知るとアッサリその袋を放棄してしまった。
といってもそこは地上5階に匹敵する木の上。
あわれ私のカメラの入った袋は(重力加速度)×(地上に達するまでの時間)のスピードで地面に叩きつけられた…。
気を失いそうになる身を立て直し、ダッシュで階段を駆け下り、頑丈に施錠してある扉を「緊急事態だ!すぐ開けろ!!」と開けさせ、袋の所へ駆け寄る。
袋の中にはグチャグチャに潰れたカメラの残骸が……なかった。
プラスチック製のスライド式レンズカバーが割れて外れていたが、他は何にも問題なく作動する。
地上15mから落下してこれだけの損害で済むのか?!
そんなことってあるのか?!?!
しかし、同じく袋の中に入れてあった、以前チベットのラサを発つ時もらった石の腕輪がグシャッと潰されたようにひしゃげていた。
チベットのお寺で買った木製の数珠に傷がついていた。
この2つがクッションとなりカメラを守ってくれたというのか?!
今でもそのカメラはレンズカバーはないものの何の支障もなく写真を撮り続けている。
チベットの神様、ありがとう。
オリンパスの方々、ちょっとの間でもミノルタに浮気してしまった私をお許しください。
それ以降チベットとオリンパスの方向には足を向けて寝られない。
なるべくミノルタの方向に足を向けて寝るようにしている。
何のためにここまで来たのか…
今回私がメインに使用しているカメラはミノルタのTC-1。
いわゆる「高級コンパクトカメラ」というやつで定価は驚きのぢうご万円(中古で買ったので本当の買値は5万円だが)。
でも西チベットを越えてネパールに下りてきた時点で、まるで役目を終えたかのようにアッサリ動かなくなってしまった。
落とした訳でも、水につけた訳でもないのに…。
まあ始終振動の中にあるので止むを得ないのかもしれないが、あまりに弱すぎる。
しかしとりあえず修理しなくては、とインド周辺で探したところ、シンガポールにサービスセンターがあった。
事前にインドから国際電話で
「TC-1の修理をそちらで受け付けてくれるか?」
と聞いておいた。
返事は「もちろんOK」。
それで今シンガポールに来ているわけだ。
で、早速サービスセンターに行ってきた。
受付の小姐にカメラを渡し、状態を説明した。
中に入って1分後、小姐の口から出た言葉は、
「このカメラのパーツはここにはないので日本へ一旦送り修理することになるため1ヶ月ほどかかります。料金は2万円です。」
な、なにーーー!!!
料金の高いことは覚悟していたのでよい。
ただ問題は「1ヶ月」という期間だった。
このシンガポールで1ヶ月も耐えることはとても出来ない。
それに遅くとも1ヵ月後には中国に居なくてはならない大切な用事があるのだ。
その条件で修理を依頼するわけにはいかなかった。
失意の中、呆然として考える。
一体何のためにここまで来たのか…。
高い飛行機代まで払って…。(前項参照)
確かに受付小姐が電話で「受け付ける」言った話は間違ってはいないので彼女は責められない。
悪いのはもっと詳しく聞かなかった自分なのだから。
やり場のない怒りと激しい後悔で
「てめえのバカさ加減には父ちゃん情けなくて涙出てくらい!!」
(byあばれはっちゃくの親父)
と自ら壁に体当たりしブリキのたらいを頭上から落としたりしてみても結局はあとの祭り。
でも救いはあった。
実はもう一台、スペアのカメラを持っているのだ。
しかしそのカメラも3ヶ月前、絶体絶命の危機にさらされたことがあった…。(つづく)
自転車空輸
よく聞かれる質問。
「自転車を飛行機に載せる時お金取られるんですか?」
答えは「NO」。
タイヤを外して梱包すれば、一般の預け荷物と同じ扱いとなる。
ただし引っ掛かってくるのは重量の方。
自転車本体だけなら15kgぐらいだが、諸々の付属品があるため。
アジア便エコノミー客は原則20kgまで。
25kgまでなら何も言われずに受け取ってくれ、
25-30kgだとちょっとシブイ顔をされるが「頼む!」で切り抜け、
30kgを超えると「減らせ」と言われ機内持ち込みに移す、
というのが今までのチェックインのパターンだった。
チェックインカウンターで秤に巨大な輪行バッグを載せるときは減量に失敗したボクサーの計量のような心境となり、揺れる数字を見ながら「頼む、30kgを超えないでくれ…」と祈るような心境になる。
で今回カルカッタ空港にて。
生意気にもシンガポール航空を選んだ私はカウンターに並んだ。
自分の番が来て、カートから輪行バッグを持ち上げる。
その時今まで持ったことのないとてつもない重量を両腕に感じた。
揺れが止まったデジタル数字が示したのは
「38.9kg」
係員、ため息一つ。「重すぎる」
私、引きつり顔で。「て、手荷物に移しますから…」
しかし、カウンターの陰には既に重量級の荷物でいっぱいの45Lのザック。アッサリ係員に見つかり
「これはデカ過ぎる。機内に持ち込むのは許さん。これも預け荷物にせよ。」
ドーン。
更に14kg。加えて52kg。弁解の余地なし。
示された超過重量代金、痛恨の160USドル。
「我々シンガポール航空は英国航空に準じた厳しいルールの元で運営しております。規則ですので払っていただかなければお客様を機内にご案内するわけにはまいりません」
インド人とは思えぬテキパキした反応の能面のような男が話す。
私はこの時ほど、機体はオンボロでサービスは最悪だが、規則はナアナアのアエロフロートやエアインディアを恋しく思ったことはない。
しかし私は戦った。
平身低頭、額の皮が剥けるほどカウンターに頭を擦りつけ30分ほど戦った。
戦果は多少あった。
160ドル→120ドル。
だが元々のチケット代330ドルと加えて計450ドル。
4時間のフライトに5か月分のインド生活費が吹っ飛んだ。
こうなったら機内でビール150本飲んで元を取ってやる!!
…つもりだったが9ヶ月ぶりのアルコールのせいで1本飲んだだけでフワフワになってしまっていた…。
シンガポールに来ました
インドから中国へ…の間にシンガポールに立ち寄っています。
明らかに私などお呼びでないこの国になぜ来てしまったのか?
理由は3つ。
1.カメラの修理
2.パスポートの更新
3.シンガポール人の友人に会う
カルカッタから更に南へ3000kmの赤道直下。
そして周りは海。
カルカッタが地獄の蒸し暑さだっただけに、これは間違いなく熱死するな、と思っていたのですが、とんでもない。
昼間せいぜい30度止まり。
意外にもカルカッタに比べて全然乾燥していて、日本の夏なんかよりはるかに心地よい。
夜などファンだけでちょうどいい感じ。
しかし今までいた国とはあまりにもかけ離れた超文明的世界に逆カルチャーショックを受けてしまっています。
2005年6月3日金曜日
スターウォーズと私
「スターウォーズ・エピソード3」をカルカッタで観てきました。
ヒンディー語あるいはベンガル語吹き替えで、ユアン・マグレガーが「チョロ!(行くぞ)」とか「アッチャー!(よし)」とか言うのを期待していったのですが、さすがここは国際都市カルカッタ、英語そのまんまでした。
そのせいかヒンディードンチャカ映画を見に来るような客層とちょっと違った
「ワシら英語も理解できるハイクラスですねん。忙しい身でんねんから、携帯電話は手放せまへん。」
といった人が多く、劇中ひっきりなしにあちこちで液晶画面がピカピカ光り、その度にロビーに出て行くので気が散って仕方がないですねん。
思い起こせば8年前、マーク・ハミル主演の「スターウォーズ・エピソード4・5・6」のデジタル再処理版(アラビア語吹き替え)は全てエジプトで観て、「エピソード1」(英語+日本語字幕)だけは日本で観たものの、「エピソード2」はニューヨーク(英語)と中国(中国語吹き替え)で。
そして今回「3」はインド(英語)。
私の旅には何故かスターウォーズがつきまとっているようで。
しかしながら「1・2・3」の最重要テーマである
「なぜダースベーダーはダークサイドにはしってしまったか?」
は結局理解できずじまい・・・。
オソマツ。
2005年6月1日水曜日
コレクター
私はどの国に行っても記念の土産を買うことはまずないのだが、その代わりに集めているものがある。
それは各国のお札・コイン。
お札のデザインにはその国の代表的建造物、歴史に残る代表的人物が描かれ、よくよく細部までじっくり見るとかなり美しく楽しい。
自分の行った国は勿論、知人が私の行ってない国へ行くときには土産に持ち帰ってもらったりして、今までに集めた分が50ヶ国くらい。
先日ちょいとブータンまで行ってきたのもお札集めのため。
ブータンのお札はどれも多色刷りでまれに見る美しさ。
他のお気に入りは、エジプトの遺跡シリーズ、ネパールの動物シリーズ、一昔前の中国の多民族シリーズ(今は全部毛沢東になってしまった)。
王国の発行するお札の肖像は全額面王様。
バングラデシュは政権交代の度にお札が変わるので、同じ10Tkでも色も大きさもデザインも全く異なる札が5種類もあり混乱の極み。
香港は3つの銀行が札を発行していてこれも混乱を招く。
コレクションしきらないうちに多種多様あったヨーロッパの通貨は味も素っ気もないデザインのユーロに変わってしまった。
しかし何といっても世界でもっともつまらなく、集める気にもならないデザインのお札は米ドルだろう。
1ドルから100ドルまで色も大きさも全て同じの単色刷り。
この世界一シケプーなお札が世界一信用がある、というのも皮肉な話だが・・・。
(写真:ブータンの10ヌルタム札 約25円)
ブータンへ
「ブータン」と聞いて、ああ、あそこにあって、首都はティンプーね、と即答できる人は少ないのではないでしょうか。
ブータンは中国(チベット)とネパールとインドとバングラデシュに囲まれるようにひっそりと存在するチベット仏教を信仰する山国です。
半鎖国政策をとっていて、入国しようと思ったら一日に付き240ドル(!)のビザ代を払わねばならないので、貧乏旅行者には縁のないところですが、1ヶ所だけインドと国境を接する町が開放されているのでそこへ行ってきました。
そこは1つの町を横切るように国境線が引かれ、「ブータン版ベルリンの壁」とも言うべき幅2mくらいのドブ川が国境となっています。
若者はジャンプで飛び越えたりしていますが、町の中心にはちゃんとしたゲートがあって普通はそこを通ります。
地元民も外国人も何のチェックも無く自由に行き来しているのでインド側にモンゴロイド顔のブータン人やチベット僧がいたり、ブータン側にサリーのインド人がいたり、混ぜん一体となっている感じでどちらがどちらというような堅苦しいことはあまり感じません。
ただ、町で店に並ぶ品々を比較すると、国力の歴然たる差、というものを感じます。
しかし唯一、インド側には無くて、ブータン側にはこれでもか、とある品があります。
それは「酒」。
インドの食堂にはコーラやファンタが並べられていますが、ブータンの食堂にはビールにウイスキー。
スーパーマーケットでも冷えたビールが・・・
そういえばここ9ヶ月ほどアルコールは口にしていなかったなあ・・・。
2005年5月28日土曜日
交通ルールを守ろう!
カルカッタの街を自転車で走っていて、とある大きな交差点を渡ろうとしていた時のこと。
車の流れが一瞬なくなり、待っていた人がいっせいに渡り始める。
私もそれに続いて移動し、間もなく反対側の歩道へたどり着く、その時だった。
突然一人の男が私の自転車をガシッと掴み車道の方に引きずり出そうとする。
一瞬自転車泥棒かと思った。
しかし白昼堂々、周りには何十人も見ている中だ。
どうもそうではない。
途切れていた車の流れがまた迫ってきたのでとりあえず歩道につけたかったのだが、その男は執拗に食い下がって、なにやら大きな声でわめき続けている。
その声の中に「ポリス!ポリス!」というのが聞こえた。
向こうに交通ポリスの姿が見える。
そこでピンときた。
この男は信号無視した人を捕まえ、警察に引っ立てる役なのだ。
というと「春の交通安全週間、取り締まり実施中!」みたいだが、ようはポリとグルになってとった罰金(ワイロ)のおこぼれをいただこうという算段なのだろう。
インド警官の腐敗ぶりはこと有名なので、これはマズイことになった・・・
と思ったが、ポリのほうは私のほうをチラと見て外人なので面倒だと思ったのかすぐどこかへ行ってしまったが、その男だけはしつこくわめき続けた。
でもポリがいなけりゃこっちのもの。
弾みでブレーキのスプリングが外れたので
「お前のせいで自転車が壊れたじゃないか!」
と仰々しく自転車をひっくり返し、タイヤを外し大修理・・・
を見せかけているうち、男も諦めてどっかに行ってしまった。
道路上で私らがギャーギャーもめている間、周りの人はじっと見守るだけだったが(警察絡みなので止むを得ないだろう)、開放されたのを見ると「可哀想に、災難だったね、これからは気をつけなよ、ウンウン」と慰めてくれる。
信号無視したことは事実なので弁解の余地はないのだがこの国では渡らない方がおかしいし、誰もが、警官までもがそうしている。
バングラデシュ、インドの悪徳警官の話はこれでもか、というくらい聞かされてきただけに自分が危うくその被害を被りそうになり肝を冷やした。
赤信号はみんなで渡っても怖いときがあるのだ。
経済学入門
ここら辺りの国には、お金には大変興味はあるものの、経済にはいまいち暗い、という人がたくさんいる。
そういう人らとの代表的な会話例。
インド人:1米ドルは40ルピーで、1英ポンドは80ルピーだ。で、1日本円は何ルピーになるのだ?
私:0.4ルピーくらいですね。
インド人:そんなバカな!日本円がそんな安いわけないじゃないか!
この彼の言い分の根底にある理論は「通貨単位1」の持つ価値は、それぞれの国において同じである、というところにある。
つまり、インドで1ルピーで買えるのは飴玉2つだが、アメリカで1ドル払っても、イギリスで1ポンド払っても、ヨーロッパで1ユーロ払っても、日本で1円払っても、中国で1元払っても、タイで1バーツ払っても、サウジアラビアで1リエル払っても、買えるのは飴玉2つでなければならない。
そして1米ドル=40インドルピーというこの40倍の差がその国の経済力の差である、という考えにつながっていく。
だから世界で一番強い通貨は80倍の差がある英ポンドであり、日本円も、1円=0.4ルピーではなく60ルピーくらいあって当然なわけだ。
その考えでいくと、超インフレ国家トルコの経済力はインドの1千万分の1くらいしかないことになってしまう。
哀れトルコ国民よ。。
このとんでもない勘違いをしている人々は驚くほど多く、いろいろな人と話した感触からして、インド10億人のうち8億人はそう思っているだろう。
バングラ1.5億人のうち1.2億人はそう思っているだろう。
彼らに1円は間違いなく0.4ルピーの価値しかないことをわからせてやりたいのだが、そのためには「現地語で」間違いを説明する、というとてつもない難題を越えなければならない。
だから私はこう言ってしまうのだ。
「ごめん、私が勘違いしていたよ。1円は60ルピーだった・・・・」
2005年5月18日水曜日
今日の外電
5月15日午後3時ごろ、バングラデシュ中部の込み合う渡河フェリー内で日本人旅行者Mさん(32)がスリの被害に遭った。
被害総額は、現金約1000円。
現地では約5日分の滞在費に相当する巨額なダメージだけに当人はかなりのショックを受けている模様。
コメントからもその深刻さが窺える。
Mさん談「後々考えてみれば10人がかりで仕組まれた巧妙な罠に見事にハマった感じですね。それにしてもあまりに鮮やかな手口で、全く気が付きませんでした。」
(ロイター発共同)
ケケケの毛太郎
その大学でのこと。
バングラデシュの男たちは普段家の中ではルンギ(巻きスカート)一丁で上半身は裸、というラフなスタイル。
学生寮内でもそれは同じ。
だから私もルンギ一丁でいた。
するとある学生が
「オー!ワキゲモジャモジャ、ソレヨクナイ!」と叫ぶ。
聞けばバングラ男は腋毛は剃るのがマナーらしい。
後日、ある床屋でウダウダしていたらヒゲを剃りに来た男が
「おう、ついでに腋もあたってくれるかい?」
って感じで、おもむろに上半身裸になり腕を上げてジョリジョリ剃ってもらうのを目撃してしまった。
床屋も冥利に尽きるだろう。
ずっと以前、トルコのハマム(蒸し風呂)に行った時、垢すりを頼んだら三助が同様に
「オーワキゲモジャモジャ!ドウスル?」
と叫んだので、丁重に断った。
トルコでは剃るのではなく、トリモチみたいなのをベタッと貼り付けて引っぺがす、冷酷無比な強制脱毛法を使うのを知っていたからだ。
ちなみにバングラデシュもトルコも腋毛は剃るが、胸毛・ヘソ毛・スネ毛・耳毛・鼻毛・ホクロ毛はボーボーのまま、眉毛が繋がっていようがお構いなしである。
2005年5月17日火曜日
嗚呼、日本人
バングラデシュのとある地方農工大に去年に続き再訪した時のこと。
(このコラムにも書いた、エロビデオを学生100人くらいで集まって一緒に見る大学です)
数人の学生が「日本の文部省へ外国人向け奨学金の申請をしたらこんな返事が来たのだが見てくれないか?」と言う。
そこには「この奨学金は日本への留学が決まった者に与えられるもので、個人の申請は受け付けられません。うんぬん…」
と丁寧な『日本語』で書かれてあった。
一体全体この手紙を寄越した者は何を考えているのであろうか?
おそらく担当者は毎日のように送られてくる、主に貧しい国々からのこの種の手紙に手を焼いて形式的に作った文章をコピーし送ったのだろうが、その貧しい国の学生がこの難解な『日本語』をスラスラ読めるとでも思っているのだろうか?
まあ返事を出すだけでもマシ、と言えないこともないが、その裏には「ちゃんと返答はし、責任は果たしたのだからこれ以上何を言われても聞く耳持ちません。」という役人的思慮がうかがえる。
よい返事を期待している学生たちにどんな顔して訳してやるべきか困り果ててしまった。
2005年4月26日火曜日
今晩の献立は何にしようかしら・・・
今回のバラナシ滞在の4ヶ月間は、昼食・夕食は全て泊まっていた宿の家庭料理を食べた。
しかし宿の一家には申し訳ないが、この4ヶ月間の食生活は本当に苦痛だった。
メニューが5種類くらいしかないのである。
この家はおそらくインドの中流家庭の典型で、メシ自体は正直言って美味しい。
それにこのコラムで何度も書いているが、私は味の好みはうるさくない。
しかし5種類のひたすら繰り返しではやっぱり「飽き」が来てしまうのだ。
5種類、と言っても日本のように、今日はハンバーグ、明日は焼き魚、次は鍋料理・・・といったものではなく、昼食メニューはごはん・チャパティー(ペラペラパン)・ダール(豆汁)は毎日変わらず、付け合せの大さじ一杯分くらいのカレー味のおかずの具がイモだったり、豆だったり、ナスだったり・・・といっただけの変化なのだ。
夕食はさらにひどくて、チャパティーとイモカレー煮込みのみが連日。
おまけにこの家庭はピュアベジタリアンなので、卵・肉・魚、一切ご法度。
メニューの少ないのも無理ないか・・・
料理するお母ちゃん達も、料理番組見て新メニューを・・・なんて気は全くこれっぽっちも持ってないようで、料理してやるだけありがたいと思いな、って感じ。
今回は初めからバラナシ滞在は4ヶ月限定!と決めていたので何とか耐え抜いたが、もしこれが永久にだったら・・・と考えると心からインド人に生まれなくてよかったと思う。
それにしても、当のインド人はこんな食生活で満足しているのだろうか??と疑問に思っていたところ、ある象徴的なテレビCMを見た。
それはインド風ヤキソバを作るためのインスタント麺のCMなのだが、ストーリーはこんな感じ。
子供達:パパ、今日のご飯はなんだろうね?
パパ:チャパティーとカレー煮込みじゃないかな?
子供達:えー!またなのー!?(子供達ガッカリ顔)
そこへエプロン姿のママがヤキソバのお皿を持って登場
ママ:今日はヤキソバなのよ!
パパ・子供達:わーい!ママ大好き!!
インド人だってやっぱりいろんなもの食いたいわな。
ボクねぱあるジンデス
道中、自転車を停め、メシ食ったり、休んでたりすると集まってきた地元インド人が話す声の中に「ネパリ、ネパリ」と言うのが聞こえる。
どうやら私のことをネパール人だと言っているようだ。
真っ黒に日焼けし、埃まみれで、この酷暑の中を、大荷物を載せて、自転車で行く。
一般インド人の想像する金満ニッポンとは遠くかけ離れた姿にネパールの奥地から来た行商人と思われても仕方あるまい。
ただしこれが一度や二度の話ではなく、自転車移動中の数十件、ほぼ100%の割合で「ネパール人」と言われたのはちょっと驚いた。
「日本人だ」と明かすと
「何でまたこのクソ暑い中を? 何かの罰なのか??」
なかなか理解してもらうのに苦労する。
これが、午後のこっちがクタクタになっている頃になると説明するのも億劫になってしまい、ある時「ネパール人」で通してみた。
設定はこう。
「私はカトマンズに住むシェルパ族。自転車のパーツを日本から輸入するビジネスをしている。だから今は休暇中の自転車旅行。東京にも2度行ったことがある。」
どうやら相手は完全に信じてしまったようで
「日本はどんな国だった? いい所か?」
とかいろいろ聞いてくる。
「シブヤという街にはこんな短いスカートを穿いて化粧をした16-18歳のストリートガールがいっぱいいたぞ!」と言うと
「いくらだろう?日本は金持ちの国だから2000円くらいではないか?」
といろいろ会話がはずんだ。
熱風吹きつけるある日の午後の話。
暑い所を走ると・・・
バラナシからカルカッタにやってきました。
今がインドでは一番暑い季節。
天気予報では連日40℃以上を伝えています。
しかしこれは「地面から1m離れた風通しの良い日陰」で測った温度なので、直射の元、アスファルトの照り返しの中ではプラス5-10℃くらいなものでしょうか。
当然そんな中を自転車で走るわけだからとっても暑いです。
吹きつけてくるのは熱風。
熱い風呂に入ると体を動かすよりジッとしていたほうが暑さを感じないように、この場合の熱風は苦痛でしかない。
ただ道中水だけはふんだんにあるので(井戸水)、それを頭からザバザバかぶってパンツまでビショ濡れになった状態で走れば気化熱が奪われてかなりヒンヤリ気持ちいい!
しかし天然の乾燥機の中を走っているようなものなので、15分もすればパリパリに乾ききってしまい、また熱風地獄。
井戸を見つけてはまたズブ濡れになり・・・をひたすら繰り返して何とか生き延びました。
水は一日で10L以上は飲んでいたでしょうか。
それでも汗(液体)は全くかかないし、小便も全然したくならない。
いったい水はどこへ行ってしまったのでしょう??
あと、これは走っている時の話ではなく、バラナシにいたときの話ですが、あるすごく暑い日、ちょっと熱っぽさを感じたので体温を測ろうと水銀体温計を取り出したところ、既に「40」の所まで水銀柱が伸びてました。
振って戻しても目前でミヨヨーンと「40」まで戻ってしまいます。
普段あまり見られない光景なので思わず自分の熱を測るのも忘れて何度も繰り返してしまいました。
2005年4月7日木曜日
インドを知る
蔵前仁一著「ホテルアジアの眠れない夜」の中に「威張るなビンボー旅行者」という項があって、そこには
「ビンボー旅行者の中には過剰に倹約に徹し『こうしないとインド民衆の真実は分からぬ』と説く人がいるが貧乏な民衆の誰一人として外国に来れるような『ビンボー旅行者』のことを自分たちと同じ貧乏人とは思っていない」とある。
これはまさにその通りであって否の打ち所はないのだが、全く別の観点から考えると、ビンボー旅行者というのはどのインド人よりもインドのことを知っている、あるいは知ることができる、といえると思う。
インドの列車には常時ギュウギュウ激混みの自由席車両から飛行機代よりも高い一等車両まである。
宿には南京虫ウジョウジョお布施式巡礼宿からマハラジャの邸宅を改造した宮殿ホテルまである。
ビンボー旅行者といっても胴巻きにはそれなりの金は入っているのだからちょっと奮発すれば物価の安いインドにおいては最高ランクの経験もできるのだ。
カーストにこだわることなく誰とでも普通に接することができる。
ヒンズー教の寺だって、イスラム教のモスクだって気兼ねなく入ることができる(異教徒入場禁止の所も多いが)。
広いインドの北から南までどこだって行ける(パーミッションが必要なところもある)。
その辺で知り合ったオッチャンの家でチャイをごちそうになることもあれば、日本に留学してるインド人の友人があれば上流階級のお宅で食事させてもらえることもあるだろう。
対してインド人の場合はどうだろう。
貧乏な庶民がマハラジャホテルに泊まれないのは明白として、金持ちが敢えて「貧乏暮らしを経験したい!」といって南京虫宿に泊まるとは考えられない。
カースト・宗教・男女性差によって行動も大きく制限されるだろう。
そう考えれば貧乏外国人の方がはるかに多種多様なインドを知ることができる立場にある訳だ。
もちろんこれは「広く浅く」知ることができるだけであって「狭いが深い」生活をしている彼らにかなわないことも事実ではあるのだが。
バラナシでホーリー その2
2年前と同じくバラナシでホーリーを迎えた。
ホーリーとは男女も年齢もカーストも関係なく無礼講で色水を掛け合うお祭りなのだが、ここバラナシにおいては無礼講の解釈の度が過ぎて破壊・強姦・殺人なんでもあり。
こと外国人は格好のターゲットなので宿はどこも終日外出厳禁になる。
という訳なので、おそらく世界中のどんなガイドブックや写真集にも「バラナシのホーリー」をまともに写したものはないのではないだろうか?
「危険な撮影」といえば真っ先に戦場カメラマンが思い浮かぶが、あれはあくまで戦争当事者の間に入った第三者的立場であって、石ころや木と同じようなもの。
もちろん流れ弾に当たれば死ぬが、狙われている訳ではない。
ところがバラナシでホーリーの時出歩けば、間違いなく集中砲火を浴びるのである。
周り全員が敵。
しかも何されたって「そんな時出歩く奴が悪い」と同情もされないだろう。
さあ、勇気あるカメラマン諸君、ピューリッツァー賞はここにある。
毎年3月の満月の晩、バラナシに集結せよ。
(写真:家の中にいればこの程度で済む)
2005年3月9日水曜日
人種
物心つき始めた頃、テレビなんかを見て、どうやらこの世には自分らとは異なる顔つきや異なる肌の色の人間がいることを知る。
肌の白い人=「アメリカ人」
肌の黒い人=「クロンボ」
自分らと似てるけど違う言葉を話す人=「ジャッキーチェン」
このあたりはインドの子供も同様に分類するようだが、日本人と決定的に違うのは、肌の白い人を見ると「イングリージェ(イギリス人)」と言うことだ。
長い植民地支配の影響だろうか。
以下はとある本で読んだ話なのだが、200年ほど前までは人類学者による人種分類法は
1.白人
2.黒人
3.黄色人種
4.野蛮人(!)
5.化け物(!!)
と大真面目に考えられていたそうである。
イエティよ永遠なれ。
牛角
先日ガンガー沿いのメインガート(ダシャシュワメード)で爆発事故があってインド人数名が死亡、外国人を含む数十名が怪我で病院に運ばれた。
そこはバラナシに来た人が、インド人外国人問わず間違いなく訪れる最重要ポイントなので、この程度の被害で済んだのが不思議なくらい。
警察の発表ではチャイ屋のガスボンベの爆発、となっているけど、そのあまりの破壊ぶりに爆弾テロの噂もある。
ニュースや新聞には白目をむいて倒れている死体とか飛び散った肉片とかがバンバン映りまくっていてマニアが見たら大喜びしそう。
わたしも久し振りに焼き肉が食べたくなりました。
追記
後日、バラナシのメイン寺(ビシュワナート・ゴールデンテンプル)近くはじめ計3個所で爆弾が発見された(不発)。
それとは別件で警官同士が大喧嘩をして5人死亡(←勝手に死ね)。
今日も何か起こりそうな予感のするステキな街、バラナシ。
おふくろの味
インドの雑貨屋の店頭には壷に入った多種の飴が並んでいて、多くは普通の甘い味なんだけど、中には「ソルト・チリ味」の飴がある。
これはその名の通りのヒリヒリ辛い味の飴なのだ。
一見普通の飴と変わらないので、知らずに大量に買い込んでしまってサクマのドロップ缶からハッカ味のが出てきた時の100倍悲しい気持ちになった。
まったくこんなのを作るなんてインド人の味覚は信じ難い!と思ったが、フト考えてみれば日本にも「塩コンブ飴」がある。
もし外国人が知らずに口にしたらきっとブッたまげるだろうなあ。
2005年2月24日木曜日
身分制度
ヒンズー教には有名な「カースト」という身分差別制度がある。
そのカーストの下には、カーストを持たない「不可触民」という人らがおり、このような人らは上位カーストにとって見るのも汚らわしい存在であるという。
厳密に言えば我々外国人というのは、カーストを持っていないのだからこの不可触民に区分されるらしい。
日本において「見るのも汚らわしい」に当てはまるものを考えてみると酔っ払いが駅にぶちまけたゲロ(締めに食ったラーメン入り)とか、公衆便所の流されていないウンコ(下痢気味)とかが挙げられる。
つまりインドにおいて、我々は常に自分がゲロやウンコであるという自覚をもって行動すべきなのだ。
だから何かの奥様番組のように、誰かさんちの冷蔵庫をちょっと拝見、なんてやってしまうと、中身が全部汚されてしまったことになり大変なことになる可能性がある。
私自身も以前上位カースト(僧)に握手を拒否されたことがあり差別される者の悲哀を味わった。
もちろんこういう衛生観念はインド人自身の生活も束縛しているようで(彼ら自身はそう思ってないのかもしれないが)、例えば毎日行う神へのお祈りの前には必ず綺麗に体を洗って新しい服に着替えなければならない。
で、いざ神棚へ向かう途中に急に腹が痛くなり便所に駆け込んじゃったら振り出しに戻って体洗いからやり直しとなる。
その他食事や洗濯などにもいろいろ決まりがあって知るに連れてそのタブーのあまりの多さにウンザリしてくる。
前まで世界で一番面倒な宗教はイスラム教だと思ってたけど、ヒンズー教に比べればかわいいものだ。
今私はインド人家庭内に身を置く生活をしていて過去通算すれば一年近くインドに居るのだがいまだに新たな発見が多い。
もしこのまま10年経ったとしても完全に理解するのは不可能なような気がする。
中年のツブヤキ
大学生の春休みシーズンに入り、インドにも大勢の若者がやって来ている。
最近は同じ干支の人に会うことも、もはや驚きではなくなった。
ウザイおやじと思われたり、オヤジ狩りに遭ったりしないようナウいヤングの話題に迎合しようと空しい努力をしてみたりするわけだが、彼らの言動を見ていてどーしても一言物申したい衝動にかられることがある。
それは一部に見られるザックの背負い方。
肩ベルトをいっぱいまで伸ばし、だらりと後方に垂れ下がらせた背負い方。
本体胸元で締めるはずの左右を結ぶベルトが首の後ろ辺りにあったりしてザックの設計者が見たらさぞかし嘆き悲しむことだろう。
通学用デイパックならまだしも、それなりの容量・重量のザックをその方法で背負っているのを見ると、インパール作戦で敗走続ける旧日本兵のような痛々しさすら覚えてしまう。
あれは腰ベルトを腰骨に乗るようにし、下から上へと各ベルトを締めてゆけば体にぴったり密着し、同じ重量を持ったときの感覚がまるで違ってくるのだ。
まあもしかして彼らは、ただでさえ苦難の多いインドの旅に自ら更に苦役を課すことで己を鍛え上げるつもりなのかもしれないな、と思いつつ、注意したくなる誘惑を抑え続ける32歳の私であった。
インドで結婚式2
たとえば日本で結婚式に参列する場合、女性は着ていくものを選ぶとき主役の新婦より派手にならないように気を遣ったりするものだと思うが、インドにはその気配りはないようだ。
普段あまり外に出る機会のない女性達はここぞとばかりに飾り立てる。
ゴージャスサリーに身を包み、額・鼻・耳・髪・手の指・甲・手首・足首・足の指・・・、体の中で出っ張っている部分、引っかけられる部分、空白の部分を全て埋め尽くすべく投入された金銀財宝は自らの体重の約30%(推定)。
数百人の集う披露宴では、新婦は赤いウェディングサリーを着ているのでかろうじて判別できるものの、もし一般サリーに着替えたら誰が主役なんだかさっぱり判らないだろう。
結婚式が女のためにあるというとは、やはり洋の東西を問わぬもののようである。
(写真:主役は誰じゃ?)
2005年2月1日火曜日
インドで結婚式
結婚式に参加しました。
2年前もしたのですが、その時は知り合いの知り合いので一部のみでしたが、今回のは身を寄せている一家の中の一人(男30代後半)の結婚なので10日以上にわたるイベントの全てを見ることができました。
形式にこだわるヒンズー教の儀式らしく、それはそれは長ったらしくしつこいくらいいろいろありました。
披露宴は、一昔前日本のでゴンドラに乗って登場するなんてのがありましたがそれが子供だましに思えるほど派手で、名古屋人の私もびっくりです。
大行列を従え白馬に乗って街をパレードしたりしていました。
そして夜・・・。
男として生を受けた以上、なさねば死ねぬ大切なイベント・・・。
これまでの人生で溜めに溜めた莫大なエネルギーを一気に放出させたため強烈な摩擦熱によって急激な上昇気流が発生、巨大な雷雲を呼び、気象観測史上最高の豪雨、突風が吹き荒れ、ガンガーの水位が50m上昇、床上浸水家屋8万5千戸、死者行方不明者15万人、死牛行方不明牛7000頭にのぼる驚天動地、阿鼻叫喚、空前絶後の大惨事を引き起こしました。
が、理由が理由だけにインド政府が緘口令を敷いたため海外ニュースに載ることはなかったようです。
おふたりさん、お幸せに・・・。
2005年1月2日日曜日
火事・オヤジ
インドネシア地震で発生した津波はインド東海岸に甚大な被害を及ぼし、多数の死者・行方不明者を出した。
バラナシは内陸なのでもちろん何の影響もなかったが、テレビでは連日このニュースばかり。
で、ここで私はふと思うのだが、このような深刻な災害を、政府やその関係者はむしろ歓迎しているのではないだろうか?
というのは、こういう時に真っ先に亡くなるのは税金も納められない最下層の人たちであって、国にとっては存在価値はなく、逆に人口が減って食糧問題解決になる、と喜んでいるのでは?
更に嬉しいのは海外から大量に送られてくる援助物資を横流ししてガッポリ儲けられる絶好のチャンスであること。
事実、しょっちゅう洪水に遭うお隣の「被」援助大国バングラデシュには横流しマーケットなるものが公然と存在する。
そこに集まる古着の中にはビンテージジーンズのような掘り出し物が時々見つかるとかでマニアが買い付けに来るらしい。
と言うわけで今頃インドの高官たちは笑いが止まらぬのではないかと思うのだ。
余談であるが、「津波」のことを英語で「Tsunami」と言うことを今回初めて知った。
明けましておめでとうございます
謹賀新年。
2年前と同じくインドのバラナシでの年越しとなりました。
といってもヒンズー教の総本山的なこの街では「正月」の「し」の字もない(「クリスマス」の「ク」の字もなかった)、ただカレンダーを2005年のに取り替える程度の日でしかありませんでした。
アジア諸国で新暦の1月1日にお正月を祝うのは日本とあとどっか一国(フィリピン辺りか?)しかない、と聞いたことがあります。
その他は旧正月や、イスラム暦・ヒンズー暦・チベット暦などの宗教正月に盛大にお祝いします。
我々が何の疑いも持たず正月を祝っていることは、実はアジアの中では「西洋かぶれした例外的な国」だった訳ですね。
まあそれはともかくとして、本年もどうぞよろしくお願いします。